前回の、続き。

(これまでの記事はこちら:)
【2月の回顧録①】「燃え尽きストーリー」、再接近の ”兆し”?
【2月の回顧録②】”Lost Being” ~ 私とは、何か。
【2月の回顧録③】”第0チャクラ” との、邂逅。
 
 
 
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過去の「燃え尽き」と同じストーリーが再燃しつつある感覚に端を発した、自己探究。

それは、新たな「コアビリーフ=自己否定の核」の発見へと、つながった。

「僕は、いるだけじゃいちゃいけない存在だ」。

やや周りくどい言い回しだけど、これが一番シックリくる。

この何とも言えない感覚を、言語化できないまま、ずっと持ち続けてきてしまった。
この感覚は、そこから「役に立たなければ存在価値がない」といった ”子分のビリーフ” を作り出す、厄介なものでもある。

探究して、手放したい。

・・・と感じていたところに、そのチャンスはやってくる。

岡部明美さん主宰のLPLマスターコースにおいて、クライアントとしてこのビリーフの探究をさせてもらうことができたのだ。

このビリーフの「デメリット」と、「メリット」は

デメリット

「僕は、いるだけじゃいちゃいけない存在だ」と思い込んでいると・・・

「必要性」の中に居続け、くつろげない。
根源的な安心感=「ただ居ていい感じ」に、なれない。

そして・・・
心身の健全さ、という点で、だんだんと「息切れ」が生じてくる。
疲弊した状態が当たり前になり、自分で自分を、まさに「生かさず殺さず」生きるようになる。
 

バーンアウトしてしまうのも、ある意味必然ともいうべきビリーフだったのだ。

あらためて、この「心身の健康面でのデメリット」を言語化し、愕然とした。

メリットもあった

人がビリーフを握りしめ続けるのは、そこにメリットもあるからだ。

このビリーフがあれば・・・
成長や存在証明、居場所づくりのため「頑張る」ことができる。
また、何もしない罪悪感(←これもビリーフだけど)を回避できた。

幼少期(インナーチャイルド)に焦点を当てるならば、
仕事と介護に奔走する家族に貢献できる、といったメリットがあった。

こんなデメリット、メリットを探究しているうち・・・
自分がいつも「なんとかしなくちゃ」とか「どうすれば」といった文言が「脳内の口グセ」であることも改めて意識化できた。

文章を置き換えてみると、何に気づくだろうか?

バイロン・ケイティの考案した、現実をあるがままに見るための「ワーク」をもとに、色々な側面から文章を置き換えてみると・・・

1:「僕は、いるだけでいたほうがいい」
・・・確かにそうだ。
そのほうが周りに緊張を与えずに済む。
人と自分をチェックすることなく、ノンジャッジでリラックスできる。
 
 
2:「人は、いるだけじゃいちゃいけない」
・・・思わず笑った。
確かに、過去の場面で、いるだけの人に対して「何しに来てるの?」「いるだけならどいて!」「僕がやるから!」って、やってた気がする(笑)。

酷いなぁ。

自分攻撃であるビリーフは、投影の法則を使って、他者攻撃にも使ってしまうのだ。
 
 
3:「”僕は居るだけじゃ居ちゃいけない”と思う自分は、もう居ちゃいけない。」
そうだ。
僕は、このビリーフを持っていてはいけない・・・卒業しなければいけない。

『よっちゃんの”本当のニーズ”は、何だったのかな?』と、セラピスト。

・・・僕の本当のニーズは、「安心と調和」だった。

・・・そのためにこそ、このビリーフを卒業する。
その方が、自分に対しても、それを見ている周りの人に対しても、辛く当たらずに済む。
それによって自分の意識は「安心と調和」の世界に近づく。

つまり、このビリーフを手放すことが、一番の「提供」であり「貢献」だったのだ。

僕は、「私=提供できるもの=Doing」だ、と思ってきた。
その根源が、この「僕は、居るだけじゃいちゃいけない存在だ」という、コアビリーフだった。

そして興味深いことに、これを手放すことが、世界への一番の「提供」であり「貢献」。
そしてその「手放し、という提供」こそが・・・

その「在り方=Beingの提供」へと変容するのだった。
 
 
そして・・・
最終的には「いるだけじゃいけない」こともあっていいし、「いるだけでいてもいい」ことも、あっていい。

人生には、どちらもあり得るし、起こりうる。
そして、そこが自分の居場所でなくていいことも、また有り得るのだ。

そしてまた、自分の居場所は、自分で探せば良い。
「”ただ居ていいこと”への罪悪感」ゆえに”居場所への柔軟性”を失い、固着すると
本当は居心地の悪い場所でさえもDoingで繋ぎ止めようとし、また「疲弊の道」に入っていってしまうのだろう。
それは結果的に、相手にとっても「不快だったり、迷惑をかけてしまう」ことでもあるのだ。

「世界は深刻だ」と思い込み過ぎてきたのかもしれない

「居ていいこと」への許可が、無条件で出ていない「無意識の感覚」・・・

・・・そのことが、「世界と関係性を結ぶ」ことに対する「深刻さ」を生み出してきたように思う。

「やってもらう=負債」で「”返済しないといけない”という罪悪感がある」ことにも気づいた

・・・これからは、安心して、受け取ろう。

ちゃんと、「助けて」貰おう。

なぜなら それこそが、「自分は居ていい」という許可と ”自己一致” した状態なのだから。

・・・「罪悪感からの”恩返し返済”」なんて、きっと誰も嬉しくないのだ。
 
 

「気づき」は続く

 
「安心するためには条件が必要だ」と思っている状態を、「不安」という。
「安心するためには条件など無い」と思えている状態を、「安心」という。
 

・・・そんなことに、気づいた。

条件無しで「自分は居ていい」と感じる事に、許可を出すこと。
・・・それが、世界への「Doingではない、Beingレベルでの提供・貢献」だ。

『そんなよっちゃんの魂は、この世界に何をしに来た魂なの?』と、セラピストから最後の質問があった。

心理的スペースが空いた自分自身から、こんな言葉が飛び出した。

「僕の魂は、”居ていいことの許可”への恩返しに来た。」

『恩返し、だけ?』

「いえ、そして助けてもらいます(笑)。」

「居ていいことへの罪悪感を手放すこと」・・・そのこと自体が、実は「世界へ恩を返すこと」につながるベースとなる。 
その上で、自分が「助けてもらうこと」を許可すること。

そうしたことが、バランスする世界。

・・・これこそが、自分の望む「安心と調和」の世界に、つながっていくのだと思う。
 
 
つづく。
 
 

最後に:このビリーフ探究に”伴走”して下さった方は、こちら。

このビリーフ探究に ”伴走” してくださったのが、LPL認定ライフコンサルタントの炭屋昭一郎さん。
経営者でありながら心理のことも深く学び、経営にも活かし実践されている方です。
とてもオープンハートに”共同探究”していただきました。
そんな炭屋さんの、素敵なホームページはこちら。
炭屋昭一郎 Official Site | パワーゲームを越えた世界へ 
(本記事を書いた時点では出来たてのHPで、これから随時更新されると思います!) 
 

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