たった、3文字。

2月の回顧録、続き。

(これまでの記事はこちら)
【2月の回顧録①】「燃え尽きストーリー」、再接近の ”兆し”?
【2月の回顧録②】”Lost Being” ~ 私とは、何か。
【2月の回顧録③】”第0チャクラ” との、邂逅。
【2月の回顧録④】コアビリーフ:僕は、居るだけじゃ居ちゃいけない存在だ。

過去の「燃え尽き体験」と同じようなストーリー、体感覚が生じ始めたことに端を発した、自己探究。

そして、前回記事である「コアビリーフの探究」は、岡部明美さん(あけみちゃん)主宰のLPLマスターコース「ハコミ・POP」の受講時だった。
1960年代に展開しはじめた心理学の新しい潮流に「トランスパーソナル心理学」というものがあり、その代表的なセラピーである「ハコミセラピー」や「プロセスワーク」を深く学ぶ講座だ。

ちょっとだけ、ハコミの説明を。

両者の中でも「ハコミ~」は、物理学者であるロン・クルツが考案したもので「Body-Centered Psychotherapy」とも呼ばれる。
「心の動きや反応」と「身体の感覚」が不可分であることを、まさに ”体験・体感” できるセラピー技法だ。

代表例は、マインドフルネス(思考のリラックス)の意識状態になった人への「声掛け」の実験。

例えば、その意識状態の人に「言いたいことを言っていいんだよ」と、声を掛けると・・・
・・・潜在意識に「言いたいことを言ってはいけない」という禁止令がある人は、ザワつく反応が出る、というわけだ。
逆にその禁止令が潜在意識に存在しない場合には、「受け止めたけどザワつかない」という反応になる。

こんな体験をすると、「潜在意識」とか「感情」と「身体の反応」が不可分で体験されるので
普段は思考バリバリな人も「うわ、”感じる”ってこういうことか・・・」となったりする。

カウンセリングやセラピーに用いると、その人の心の ”深いところ” にアクセスでき、プロセスが深まっていく。

他にも様々なバリエーションの技法があり、その深さ、豊かさを体験できる。

そして「その時」は、突如訪れる。

こうしたハコミセラピーの学びは、体験的なワークを中心に取り組んだ。
そんななか、「ナリッシュメント」を体感してみるグループワークがあった。

ナリッシュメントというのは、言うなれば「(魂の)滋養となる言霊」。
要は、勇気づけや励ましとなるような言葉掛け。
それを、目を閉じてリラックスした意識状態の人に掛け、どんな言葉がどのように体感されるのかを、体験してもらう。

・・・とまあ、説明自体はシンプルではある。

そしてその声かけの言葉は、声をかける相手へのインスピレーションから得る。
要は「声を”かける側”の直感」、思いつきだ。

グループの仲間がフォーカスパーソンにそれぞれ異なる声をかける中、
僕は「もう大丈夫、一緒に行こう!」というフレーズが降りてきたので
その声かけをした。
 
 
「人に掛けた言葉って、実は”自分が掛けられたい言葉”なんだよ。」
・・・これはまさに、「投影の法則」だ。

というわけで今度は、講師であるあけみちゃんの号令により
「自分の言葉を自分にかけてもらう」実験へ。

目を閉じている僕へ、グループの仲間に先程の「もう大丈夫、一緒に行こう!」の声掛けをしてもらう。

すると・・・あけみちゃんが・・・
突如、介入した。

その時が、突如・・・訪れた。
 
 

あーーそーーぼ!!

目を閉じている僕に、不意打ちの「声掛け」。

そしてこの言葉を・・・あけみちゃんとグループの仲間が、一斉に声掛けする。

「あーーそーーぼ!!」

その「言霊のシャワー」に、目を閉じている自分は一瞬「嬉しい感触」を覚えた直後・・・
 
 
 

僕の思考は、
 
ブッ飛んだ。
 
 
 
 
なぜなのか、もはやわからない。

全身が小刻みに震え、脚がガクガクし、立っていられない。

涙が止まらない。

何が起きているのか、もうわからない。

思わず屈んだ。
 
 
「封印されてきた何か」が、決壊してしまった。
 
 
なぜ自分がこんなに泣いているのかわからないまま、ただグシャグシャで居続けるしか、できなかった。
 
 
さらにあけみちゃんは、介入を続けた。

「グループの一人ひとりに”遊んでー!”って、言ってみて。」

・・・言葉が、なかなか出ない。

・・・いかに自分が、この言葉を禁じてきたのか、気づいてしまった。

あけみちゃんの介入と、そこから始まった ”愛の公開処刑”(笑)。

・・・どうにかこうにか、ようやくにしてそのミッションを終えた。

ただただ涙が止まらず、わけもわからずグシャグシャだった。

今になってようやくわかってきた、「あの時起きていたこと。」

僕がグループの仲間に掛けた言葉は「もう大丈夫、一緒に行こう」。

・・・それは「投影の法則」に準ずるならば、要は 大人の”自分”に掛けてあげたいフレーズ。

・・・あけみちゃんは、その言葉を「こどもの僕」向けのフレーズへと直観的に変換し、僕に浴びせたのだった。

「あーそーぼ。」

そしてその声かけは、まんまと「大人の僕の”思考”」を飛び超え・・・

潜在意識へ・・・
・・・そして僕の「インナーチャイルド」へ・・・

それはそれはもう、ガツンと・・・突き刺さったのだ。
 
 
ただただ、驚愕だった。
 
 

未完了の感情。未完了の、ニーズ。

僕が、「自分」と「人」を接続する ”コネクタ” として、使いたかったもの。

つながるために、言いたかったもの。

その原点が「あそぼ!」と「あそんで!」、だったのだろう。

それは「言えなかった言葉」ではなく「出したかったエネルギー」なのだ、と思う。

素直に誘いたい気持ちを、素直に出すこと。
無邪気に巻き込みたい気持ちを、無邪気に出すこと。

・・・そんなエネルギーに蓋をしてきたことによる「未完了分の吹き溜まり」。

その封印を解き、触れてしまった体験だったのだ。

それを封印したための代償行為が・・・
「知識」「情報」「能力」を持つことで、評価や興味を持たれることで ”人と繋がる”という、これまでの人間関係の在り方だったのかもしれない。

そういえば僕は、小さいとき。

「あそんで!」ではなく・・・

「これなぁに?」という言葉を使って、親に構ってもらおうとしてきたなぁ。
 
 
素直に「あそぼ!」「あそんで!」と言えなかった、何らかの「未完了のエネルギーの吹き溜まり」。
・・・それがずっと残っていたことを、図らずも体感したのだった。
 
 

ただ、素直でいられること。
・・・それを何らかの健気な事情があって、禁止してしまう、そのエネルギーの吹き溜まりが
その人にとっての「未完了の感情」とか「未完了の体験・体感」になって、その後の人生にひっそりと、しかし根深い影響を与えてしまうのかもしれない。
 
 
 
「人の心」というのは、なんとも興味深い。
 
 
 

ちなみにこの体験の前は、最初に書いた「コアビリーフの探究」に取り組んでいて
それだけでも「今日は濃い日だなぁ」と思っていた折の出来事だ。
 
 
ホント、濃い日だった。

 
 
 

 
つづく。
 
 
 
 
 

おすすめの記事