相変わらず、ワチャワチャ取り組んでおりやす。

ビリーフリセット®カウンセリング講座、第2講終了。

カウンセラーであり、音楽家としてもご活躍の大塚あやこ さん の独自メソッド、ビリーフリセット®を学び、カウンセラー、ないしカウンセリングパーソンを育成する講座です。

今回も深く豊かな実践の学びだった。

それが「思い込みである」と気づかないからこそ、思い込み。 ~”当たり前すぎのマイルール” に気づくために~

今回は更に深く、その「製造元」と「製造の仕組み」について学んだ。
 
そしてその学んでいく感覚は・・・持っている彫刻刀の種類が増えていく感覚。
 
思い込みを「思い込みである」と掘り起こすものが、今までは「単刀」しかなかったのが
少しずつ、様々な表情を付けられる彫刻刀を手にいれていく感覚。
 
使い方はまだまだ下手っぴだけど、これで「もっと色んな彫り方ができるかもしれない」というわけだ。

そうすれば、そこから浮かび上がる表情にも豊かさが出てくるようになるのだ。

傾聴へのネクストステップ ~感情に寄り添うために~

前回の傾聴は、ひとまず「とにかく”聴くこと”を、やってみよう」だった。
 
そこから、今回は新たなテーマを付け加え「”感情に寄り添う” 傾聴」に、取り組んだ。

これまでの傾聴(自主トレ)における反省点

これまでの自分の傾聴は、知らず知らずのうちに「自分の捉え方・解釈」を介しているだけの「捉え聴き」一辺倒。

こちらの「価値観フィルター」を通す聴き方になると、その後のセッションの行方=可能性は「聞き手の見識の範囲内」でしかなくなってしまう。

話し手が「話し手のあるがままに川の流れを作っていく」事ができないのだ。

ハートの ”パラボラアンテナ” をオープンにしておいて、”心で聴く” ~「頭」と「心」と「肚」~

「頭」と「心」と「肚(はら)」
 
東洋的な概念として、「人の持つエネルギー」の出処・種類をそのように大別する考え方がある。

「頭」はまさに、理性。思考の力。「べき・ねば」や「思い込み」を作り出すのも、ここ。
「心」はいわば、感性。感情の力。根源的には「したい」「ほしい」「いやだ」のエネルギー源。自分軸の羅針盤のようなもの。
「肚」はさらに根源的な本能・野生の力。「肚を決める」というように「決断」のエネルギー源。心の羅針盤にGoを出すところ。
 
この現代社会はずーっと「頭偏重の、無理な頑張り」によって疲弊している。
そういうアンバランスによって心身を病む人が相次ぐなかで、この「心・肚を取り戻す大切さ」が、少しずつ気づかれ始めてきた。

自分(人生)の「社長」を、”心” に戻し、整える

だからこそ、これからは・・・その「頭に全てを任せて疲弊してきた人たち」は。
自分の、人生の「経営者=社長」を・・・「”心”に取り戻す」。そんな必要がある。 
(これを聴いたとき、「頭・心・肚のバランス」が「社員・社長・株主のバランス」に似ているなぁ、と思ったり。) 

だからこそ、「心」を取り戻してもらうプロセスに寄り添うカウンセラーが「感情=”心” に寄り添う傾聴」を行うためには・・・
聞き手であるコチラ側の「ハートの ”パラボラアンテナ” をオープンにして、心で聴く」ようにしなければならない。
 
そのためにはまず。
聞き手自身が自分の ”心” を置き去りにしていないこと、整えていること」が必要だ。
 
実は「傾聴自主トレ」の主眼も、そこに関連していた。
”カウンセリングスキル” よりもまず ”クライアント体験” を通じ、自分の心を「クリアリング」していく。
この「心の相互クリアリング」を仲間同士、無料で行えるのは「お得な特典」である、というわけだ。

他者から「ストロークしてもらう」ことの効果

自分の心を深くクリアリングすることは、なかなか自分では難しい。

なにしろそのために「自分で見たくない、無いことにしている自分を見に行く」わけなので、
その作業を「自分でする」と、そこの部分を「うまいこと自分ですり抜け」たり「ハードルを甘々にしてしまう」からだ。
 
だって、見たくないんだもん。
 
でもそこを相手から「(言語・非言語的)ストロークを打ってもらう」ことで「捉えた何かを、感じざるを得なくなる」。
たとえカウンセリングスキルの初心者同士だったとしても、この点においては効果テキメンだったりするのだ。
 
 
・・・そんなわけで、話を傾聴自体に戻しますと。

頭での「捉え聴き」から 心での「感じ聴き」へのシフトを、心がけてみる

いよいよ傾聴の実践。
 
既述の反省点を踏まえ、頭での「捉え聴き」から 心での「感じ聴き」へ、シフトできるかどうか。
そのヒントが、先程の「ハートの ”パラボラアンテナ” をオープンにして、心で聴く」という構えのイメージだ。
 
・・・不思議だけど、このイメージで聴こうと決めてみると、何となく自分の「傾聴の構え」が変わった感じがする。

コチラの解釈で、話し手の行う ”川の流れ作り” に干渉しなくなるイメージがしたのだ。

・・・あぁ、こうやって「話し手に川の流れを作って貰えば、いいんだ。」

前より少し、そう思えるようになった。

話し手の作る ”川” に、そっと小石を投げる練習 ~感じてもらうための「相づち・伝え返し・要約」~

そうやって話し手=クライアントが作る「川の流れ」の中に、時折「相づち・伝え返し・要約」という「小石」をそっと投げるチャレンジをしてみた。

今回は「自分の解釈が正しいかどうか」という「邪魔」ではなく。
「この ”あなたが作った川” には ”こんな波紋ができるんですね” を、ちょっと感じてもらう」構えをイメージしてみた。
 
そうやって、こちらは小石を投げるけれども、あくまで「あなたの川作りが主体」であることをキープできるか、そんなチャレンジだった・・・そうやって邪魔にならずにセッションを豊かにするストロークが、できるようになれたらいいなぁ。

”視野を広げておくための”「捉え聴き」も併用できると、もっといい

とかく自分は、気をつけてないと「自分で筋立てを作ってしまう」傾向がある。
 
しかし・・・そんな「捉え聴き」も「相手の邪魔に使う」のではなく、「視野を広げておき、かつアイデア貯蔵庫にしておく」ことができるそう。
そしてそれは「経験と場数」によって培われていくようだ。
そうやって「クライアント主体」を維持しながら「感じ聴き」と「捉え聴き」の両輪を回すことができたら、最高なのかもしれない。

最後のところで「一番大事になる、傾聴の ”あり方”」

それは。

正直な自分、であること。

裸一貫、ありのままで相手に伴走すること。
もしセッションの行方に雲がかかったとしても、落ち着いてその正直さをもって「なんかちょっとわかんなくなってきちゃったんですよね~」
なんて言えちゃう正直さもまた「次の流れを生む」光明になったりなったりするらしいのだ。
 
・・・この話を聴いた時、ライヴステージで超他人軸に陥った自分すらも包み隠さない、圧倒的に正直なヒーラー’sヒーラーの方を思わず思い出した。
【TALK&MUSIC LIVE】R-Spirit vol.1 ~新しい世界で つながろう~ が素晴らしかった件
あの圧倒的Being、今思い出しても素晴らしかったもんなぁ・・・

とにかく傾聴を深めるために、自分の心のクリアリングをやっていこう。

他者の領域とジャッジメント ~「絶対に負ける”しか無い” 戦い」から降りることの大切さ~

人間のストレスは「事象・現実そのもの」が生むのではない。
 
その「事象・現実そのもの」に対して「こうあるべきだ・こうあってほしい」という「観念・思い込み」を持ち、その現実が「その思い込みどおりになっていないギャップ」にストレスを感じる。

例えば、雨模様はただ、雨模様であることでしかない。
そこに「今日は楽しみなデートだから晴れるべき日だった」という「思い込み」があるために、そのギャップからストレスを生ずるのだ。

そして人間のストレスのほとんどは「人間関係のこと」だ。

嫌いなアイツ」「問題であるアイツ」「許せないアイツ」を生み出しているのは

「アイツ」ではなくて、「アイツはこうあるべき」という・・・「観念」。

現実として「ただ、ああであるだけのアイツ」に「こうあるべきなはずなのに!!」という「観念の衣」をまとわせては
「いつかこの観念、思い込みが叶ったら・・・自分はこの戦いを止められるのに、アイツときたら!!」をやり続けている。

そんな「アイツはこうあるべき」の主語は・・・そのアイツ=「他者」だ。
 
そして、その他者がどう在るべきか決められるのは、結局

その”他者”、本人だけ。

こうして人は「他者の領域」に踏み込み続けるが、自分では絶対にその人を変えることができない

ということが腑に落ちない故に「もう、アイツは!」をやりつづけたまま、生きている。

そうやって絶対に変えられない他者を変えようとする、という「絶対に負けること ”しか無い” 戦い」に明け暮れている間、人は

”自分を生きる担当者”を、不在にし続ける。

これが「他者を主語に、アイツをジャッジして生きる」ことの最大の問題点だ。
 
「他者の領域」は、どんなジャッジをもってしても絶対に変えられない。
・・・それこそが「他者の領域=神の領域」ともいわれる所以である。

今回は、そんな「他者を主語にジャッジし続け、自分を生きる担当者を不在にしている状態」から抜け出すワークをやった。

このワークをやると、他者に着せようとしていた”こうあるべき”というジャッジの衣=思い込み(の投影)を取り去って、「こうあるべき許せないアイツ」が「ただあのアイツであるだけだった」、という現実に回帰する。
 
そうやって他者の領域から撤退する、その瞬間

「あ、私も結局ただの私だった!」となるのだ。

言葉にするのは難しい感覚なのだが「ずっと担当者不在だった”自分を生きる人担当”に、思わず戻っていく」ようになる。
 
「自分はただ自分を生きればいい」というシンプルな現実を、取り戻すのだ。

「(過去と)他人は変えられない」と書かれた自己啓発本を読んだだけでは得られない「生々しい腑落ち感」を感得できる、深いワークだった。

「ライヴセッション」で再び・・・前回の時と「同じ本質を持った人」の役が回ってくる”不思議体験”

ここからはちょっと、スピスピした話しになりますが・・・

クライアントに選ばれた仲間が他の仲間達を家族役に指名し、講師のあやちゃんが直々にカウンセラーとして
その家族の「あり方・関係性・世界観」を再現・検証していく「ライヴセッション」。 

その「家族役」を選ぶ際、クライアントからみて「エネルギー感・雰囲気が本人に最も近い人」を選ぶのだが・・・
あやちゃんがクライアントに「じゃあ次は○○さんの役を選んで・・・」といった時点で

「あ・・・来る・・・」

というのが、なぜかわかった。

これは前回の、TLI受講時の ライヴセッション と、同じ感覚・・・あの時も「この役が来る・・・」のがなぜかわかった。

今回も同じだ・・・仲間はまだキョロキョロ検討しているけど、絶対自分に来る・・・

そしてやっぱり来た・・・不思議だ。

そしてセッションが始まると。

あれっ・・・これ・・・

なぜか前回の時、つまりTLI受講時のセッションと「同じ本質を持った人」の役をやっていることに気づく。

それは

離れて坐し、”あの人たち” を見守り、祈り続ける”事を誓った”人。

クライアントも、家族のケースも、全く違うのに、なぜまた・・・

そして、その体験をしているときに感得する思いがあった。

それは、この「離れたところからでも見守り、祈る人」の持つ「覚悟や優しさ、そして強さ」だ。

現代社会はとかく「関与して解決すること=強み、強さ」としがちだけど。

この「離れたところからでも見守り、祈る人」の存在というのは、実は「いつもそこにいてくれる安心感」を、人知れず与えられる「強さと優しさ」があるのだと、その役を通じ体感した。

TLIの講師として前回のセッションを行ったあやちゃんに、この話をすると。

「このセッションは然るべき人にその役が来るようになってる。だから、同じ本質を持った役が再び来たことも、何か意味がある」のだそう。

その意味って、なんだろう・・・

でも、その役をやっている時に思ったのは。
「・・・自分の目指したい ”Being” はこれなんじゃないか。」ということ。
 
 
ただ ”まっさらな自分で...ただ見守り、祈る人” 。

”ずっと大丈夫だったし、これからも大丈夫なんだよ”って、いつも誰かのことを思える人。

・・・そんな自分を、目指してみたい。

・・・って、すっかりスピスピしちゃいましたなぁ(笑)。

最後に

とにかく学ぶほど深いし、新たな「生の体感」がある。

その分だけ「足りない・出来ない・Being統合不足感」もまた、増える感じもして(笑)。

それでもとにかく。
講師のあやちゃん、サポートの認定カウンセラーさん、そして仲間のみなさんが「暖かくて、優しい」。

そのことが、とにかく有り難い。

だから安心して受講でき、「本当のこと」を話せるのだ。

これからも皆さんの胸をお借りし、ワチャワチャしながら学んでいくのだ。

講師のあやちゃん、サポートスタッフの皆様、仲間の皆様。
今回も深く豊かな学びをありがとうございました。
 
 
 
おしまい。

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