そもそもすべて、勘違い。

ビリーフリセット®カウンセリング講座ベーシック、第5講終了。

カウンセラーであり、音楽家としてもご活躍の大塚あやこ さん の独自メソッド、ビリーフリセット®を学び、カウンセラー、ないしカウンセリングパーソンを育成する講座。

今回はそのベーシック講座、最終講だった。

「行為」と「感情」を接続すると、あなたに「混濁」が降ってくる

「怒らせてしまった」「悲しませてしまった」と、人は言う。

「させてしまった」と、人は言う。

それは「自分の行為」と「相手の感情」は”不可分なセットである”という前提を当然のこととしているためだ。

しかし心理学的には、それは「別個のもの」と取り扱う。

要は、上記の前提こそが ”思い込み” なのだ。

勘違い、なのだ。

「させる」の罠。

心理学においては、「悲しませる」という概念は・・・存在しない。

自分がどんな「行為・態度」をしたところで、相手の感情(反応)をそのように「させる」ことはできない。

相手を「悲しませる」ように見えたのは、実は。

相手がその「プログラム」を持っているからだ。
その行為に対して「悲しい、と反応するためのプログラム」を所有しているからだ。

だから、いわゆる「鈍感力の強い人」は、同じ性質の行為に出会っても、”傷つくことができない”。
その性質の行為に対して「傷つき、悲しむものである」というプログラムがインストールされていないからだ。
この場合には、どんなにこちらが自覚的かつ悪意をもってストロークしても、無効なのだ。

行為・態度の所有権は、いつだって、こちらの領域にある。
それに対する感情の選択権・所有権は、いつだって、相手の領域にある。
 
こちらの領域にある「行為・態度」は、相手の領域をコントロールすることなど、できない
のだ。

だからこそ、その両者を不可分なものとして「一緒くた」にしてしまうから・・・

混濁が、降ってくる。

「悲しませた」・「私のせいで」。

あなたの責任下に無い「相手の感情」を、背負ってしまう。
「相手の感情」と、同化してしまう。

そうやって自分の心が「相手の領域」に”お出かけ”してしまう間、「自分の心の領域」の担当者が、不在になるのだ。

あなたを怒ってみせた、あの人。
あなたを嫌ってみせた、あの人。
あなたに悲しんでみせた、あの人。
あなたに傷ついてみせた、あの人。

それは究極的には、あなたがそう「させた」のではない。
究極的には、あなたのせいではないのだ。
(というのは「こころ」の話であって、肉体的・物理的に傷つける場合に関することは、もちろん別次元の話。)  

それはあの人が、あなたの行為・態度「に対して、そういう反応を示すためのプログラムを持っていたから」に過ぎないのだ。

その前提となる「思い込みのプログラム」を、「シャドウ」とか「ビリーフ」と言う。

「〇〇ということが起きた時、私は△△と感じる。」
「私にとって、〇〇は△△であるべきだ。」
「〇〇な時、私は△△してはいけない。」
「〇〇すると、私は△△になる。」

人は、こうしたプログラムを ”映写機” として持っていて、それを現実世界に「投影」することで現実世界を捉えている。
例えば、「眉間にシワを寄せる相手」を「相手は怒っているんだ」と捉えるのは、自分の中に「そう捉えるための前提」が組み込まれているからなのだ。

「相手が眉間にシワを寄せるとき、私は相手が怒っていると感じる。」
このプログラム、このビリーフを、眉間にシワをよせた相手に「投影」することで初めて、その事象への意味付けができる。

そして、そのシャドウやビリーフの投影を、人は「人生のパターン」として、繰り返していく。

そして、繰り返す、ということは、つまり・・・

自分の中にその「行為・態度」と「感情・捉え方」を接続した

「1回目」が、ある。

ということなのだ。

 

「原初の(否定的)感情」と「コアビリーフ(=中核となっている自己否定的信条)」

人が生まれ落ちた瞬間というのはおそらく、理性というものが無い。

「解釈」というものを差し挟まず、「感性100%」で、その状況を感じ取る。

そして、その「感性100%」はおそらく・・・

その人にとっての ”あるがまま” を、まさに ”感じ” 取る瞬間」だ。

だからこそ、そんな瞬間の(家族の)状況が 何か不穏であったり、緊張感があったり、わけのわからない感じがあったとしたら・・・
子どもは感性100%で、それを感じきってしまう。

これは・・・ひどい。

 
そして、感じきった子どもは・・・

「恐い」「かまって」「寂しい」「いやだ」・・・

そんな「原初の(否定的)感情」を、発動する。

・・・それはまさに、生存のための防衛本能のようなもの。
生存のための全てを自分以外、つまりは親に任せなければならないがゆえの、危険信号。

そしてそんな心が100%の不安定状態から脱出するために、おそらく生まれて初めて ”あるもの” を・・・こしらえる。

それが

理性。

そして、その「理性」が作る最初のコンテンツが、おそらくは・・・

コアビリーフ。

あの ”原初の(否定的)感情” を感じた理由は・・・

「自分は見捨てられる人間」だからだ。
「自分は無価値な人間」だからだ。
「自分は孤独な人間」だからだ。
「自分は愛を貰えない人間」だからだ。

などなど・・・

そうやって、出来たてホヤホヤの「理性」で、「コアビリーフ」と言う名の「原初の解釈」を作り出し、

・・・自分を納得させたのだ。

そして、不安定な「原初の感情」を・・・封印した。
 
 
 
「原初の感情」と「理性の萌芽」と「コアビリーフの誕生」。 
これが、それ以降の人生に影響を及ぼし続ける。

コアビリーフが正しいことを納得し続けるための証拠集め・・・「強化」の人生。
コアビリーフが実現されないようにするための飽くなき頑張り・・・「補償」の人生。
コアビリーフの存在から目をそらすための、見ないふり・・・「回避」の人生。
 
 

これぞ。
「こうなってしまった人生」の、カラクリ。
 
 
ビリーフリセット®の学びは、その部分まで”見に行く”ための学び。

自分で生存を図れるようになった「今の大人である自分」をもって、
自分で生存を図れなかったが故の「あの原初の感情」を見に行くことができる。

それをもう・・・見に行っても、大丈夫なのだ。

もう大人、なのだから。

心の深層を探検することで「見えてくるもの」

生まれ落ちた瞬間の家族が、あのような「ひどさ」を抱えていてほしくなかった。

家族が・・・親が・・・笑顔でいてほしかった。

「原初の感情」と、それゆえの「コアビリーフ」には・・・実は、そんな「捨てきれなかった願い」が、隠れている。
だからこそ、その「コアビリーフ」を捨てずに こだわり続けてきたのだから。

捨てきれなかった願い・・・これが、コアビリーフの・・・さらなる正体だ。

・・・だからこそ、そんな「深層探検」をすることで見えてくるのが
その正体に呼応する「人生のミッション」や「ヴィジョン」。

それは「親の笑顔を見たかったのに、そのためにこうしたかったのに」という原風景が作り出す、魂の願いのようなものなのかもしれない。

人は、この全容が腑に落ちた時。
今までの「こうなってしまった人生」が「そのための果実だった」ことに気づき・・・これまでの人生が ”陽に転ずる” のだと思う。 

プロセスは いつだって完璧。

・・・とは、よく言ったものだ。
 
 

「原初の感情」と「母親」

原初の感情とコアビリーフ、そしてその裏にある願い。
それは、「母親に対する(未完了の)感情」と密接に関係していることが多いようだ。

子どもにとって より気になるのは、やはりそのお腹から生まれた母親なのだなぁ。

生存不安を抱えた子どもにとって「こうあってほしい母親」が「そうではなかった」状態。
感性100%の子どもにとって、わけのわからない、ひどい状態。
・・・それは究極的には、「ただ母親が笑顔である」という ”安心感” が得られなかった状態に帰結するようだ。

そして子どもは、それを得られなかった理由を「自分の責任」として、引き受けてしまう。
なぜならば、子どもは「それが自分のせいではないことを、理解できない」からだ。

例えば・・・
あの「いつもイライラしていたお母さん」は、実はただ「毎日忙しすぎた」ことが原因だった。
もしくは、ただそういう気性の人だっただけだった。
・・・自分のせいではなかった。
 

・・・ということを「見抜く力」が無い、子ども。
だからこそ、それを「自分のせい」にすることで納得させ、心の安定を図ってしまう。

「自分は母親をイライラさせる存在だ・・・悲しい。」
この感情が癒えていないと、その後の人生を「私=人をイライラさせる存在」という前提で過ごすようになってしまう。

こんな私は・・・
「見捨てられる人間だ」。
「愛されない人間だ」。
「孤立する人間だ」。
「無価値な人間だ」。

・・・そうやって、コアビリーフを生み出してしまうのだ。

こうして、当時の「癒えていない感情=未完了の感情」と「コアビリーフ」との関係の多くが
母親との関係の中で構築されるようだ。
 
無垢なる子どもにとって、まず始めに得たかった「生存への安心感」は、働く背中よりも・・・「(母)親が笑顔である」こと。
子どもにとっての安心は残念ながら、豊かな通帳残高 ではなく 豊かな笑顔、だったのだ。

「母親への(ジャッジメント)ビリーフ」をチェックしてみる

母親への未完了の感情をチェックシートで確認しつつ、仲間に傾聴してもらって ”思い当たる節” を見つけるペアワークを行った。

その項目は、自分自身が得られなかった感情そのものであることもあるし、
何かを引き受けようとしたが故の「私は母親を救えなかった」、といった類のものである場合もある。

そして自分は、というと。

「自分にとっての人生課題やコアビリーフは父親との課題だったので、母親に対するビリーフは無いだろうなぁ・・・」
と思ったそばから

早速出てきちゃったぞ、オイ(笑)。

しかもチェックシートの項目に無いやつ(笑)。

そして、今回の母親ジャッジメントは 今までの自分の人生にかなり影響を及ぼしていた「重要拠点」だった。
 
 
「母は自身のことを責めて(生きて)いる、大変な人だ」
緊張関係にあったあの時の家庭の人間関係に挟まれ、それを母は”私の(家系の)せいだ”と自分責めをしている・・・という思い込み。

これがあることで、子どもである自分自身の行動パターンが、どうなるか。

それは「”この人は大変な思いをしている”、とジャッジした人を ”なんとかしよう” としたくなる。
その”大変な人”を補い もしくは肩代わりするために、その”大変な事”へ自ら突撃し、自ら翻弄される」という人生劇場を展開するのだ。
 
 
この点に気づいた途端、その「思い当たる節の記憶」がドンドン出てきて・・・というか、このエンジンで行動してばかりだったことに、気がついた。
大変そうな人を「ただ見守る」ことに対して 勝手に罪悪感を覚え、その「罪悪感から介入」してしまうのだ。
 
「そうしたいから」ではなく「罪悪感から」、介入する。

そして、このエンジン。
「やりたくない上に難易度が高いことに突撃する」にはうってつけのエンジンである上、一向に「世界が自分に対して優しくならない」エンジンだったのだ。

・・・こうして気づいたからには、リセットワーク。
このビリーフをリセットした。

思った以上のデカブツをリセットしてもらえて、よかった。

そして、帰宅。

帰宅して目にした母親は、早速にして別の人間像に、変容していた。
 

あの思い込みを解いた、真の母は「強くて、凄くて、カッコイイ人」。
 
クールで、グレイト。
 
・・・今までなんて失礼な見方をしていたんだろう。
・・・というか、うちの家族はみんなそれぞれに強くて凄いんだなぁ、と。
 
これでようやく家族全員と同じ目線の高さに立てた気がする。
そして自分もまたその一員として、萎縮も遠慮も、また肥大も強がりもしなくていいんだなぁ、と。

カーチャン、時々自己卑下っぽいこと言うけど、もうダマサれない(同化しない)ぞ(笑)。

ちなみに、ペアワーク中に自分がこのジャッジメント(ビリーフ)をゲロった瞬間が、未だに全く思い出せません(笑)。

そう。
思い込みというのは、それが思い込みであることに気づかないぐらい、自分の内に同化している
だからこそ、無意識にポロッと吐露したそのビリーフは、リアルなものだったのだ・・・
 
 

ビリーフを介した、自己の探究。

それは時に、ビリーフを取り除いたり、取り除かないことを選択したりしながら
自分にとって心地よい「心のあり方」に一歩一歩たどり着いていくことを目指すための

理性と感性の共同作業だ。

それをメソッド化したものが、このビリーフリセット®。

こうしてベーシック講座が終了し・・・

今度はアドバンス講座へと、進んでいく。

講師のあやちゃん。
支えてくれた認定カウンセラーの皆様。
そして、5ヶ月間共に探究しあった仲間の皆様。

ありがとうございました。

アドバンスも、よろしくお願いいたします。
 
 
 
おしまい。

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