まさかの展開へ。

現在受講している、BRC(ビリーフリセット・カウンセリング)講座・アドバンス。
ベーシックに続き、今回も終了規程にある「師匠直々のカウンセリング」を、今回は早々に、受けた。

というのも・・・

「これは探求しとかないと・・・」という ”何か” が、早々と”出てきて”しまったからだ。

体感覚から突如表れた「思考加熱・冷却システム」

BRCアドバンス講座中に行った「自分の(否定的)思い込み発見エクササイズ」。

そのなかで見つけた自分のビリーフ(思い込み・信じ込み・心理ブロック)は
「何事も、最速最短でやらなければならない」というもの。

自分に刻まれた「焦りグセ」を、まさに言語化した形だ。

そして、これを発見した時に、ある「馴染みのある体感覚」に、襲われた。

このビリーフが発動しているときの、体感覚。
それは・・・

アタマの中が「加熱する」状態。
そして同時に、頭部表面と首、肩が「冷える」感覚だ。

・・・しばらく、この体感覚に、とどまってみる。

すると、ある ”記憶” が浮かび上がった。

出社前の ”儀式”

自分が心身強制終了し、うつ病と診断されるまでの日々。

出社する前にいつも、この「謎の脳内加熱&周囲冷却」に襲われていた。

毎朝、嘔吐反射を繰り返しながら・・・
アタマの表面や首、肩を襲う「謎の冷え」を、クシ付きドライヤーでゴシゴシと入念に温めては、出社。
・・・これを毎日、繰り返していた。

こんな自分は弱い、根性がない、と言い聞かせながら。

そんな体感覚と記憶に、とどまっていると・・・

突然だった。

自分の意識の中に、その「システムのシルエット」が、浮かび上がった。

・・・アタマ=理性をフル回転させた「脳内ヒートアップ」。
そして、そこからの ”熱しすぎによる機能停止” を防止するための、「冷却システム」。

その「加熱・冷却システム」を、自分が「装着している・・・」。

そして、そのシルエットは、あの古臭い潜水服のヘルメットに似ていて。
頭・肩・首にガッシリ固定されていた。

これはいったい、なんだろう・・・

師匠のあやちゃんに、探究の手伝いをしてもらいたい。

・・・そう直感した。

”見立て” の急展開

そんな話をセッションで傾聴してもらったときの、最初の ”見立て” は、というと。

もっと「頭を使いたい、加熱させたい」という”自我” と 「それを冷やして止める」という”自我”の、対立構造だ。

「自我vs自我」という、構造。
・・・というのが、自己のなかに「分離・対立・葛藤」がある場合の、まずは原則的なアプローチ。

そこに「真我=魂の本音」が絡んでくることは、どちらかというと稀なケースのようだ。

自分の気質は思考タイプでもあるので「もっと思考を加熱したい!」と「なのに頭を冷やさせられる・・・」の葛藤・対立が起きている。
・・・それが、最初の”見立て”だった。

しかし自分はまだ、あやちゃんに「何か」を伝えきれていない気がする・・・

再び ”あの体感覚” に、とどまってみる。

「・・・加熱も冷却も、”両方やらされている”感じなんです。」

あやちゃんはこの”何気ない一言”を・・・見逃さなかった。 
 
 
「ということは、”される・られる”と感じているのは・・・”魂(深いところの本音)” だね。」

”加熱&冷却の複合システム”という「自我」 VS 「魂の本音」。
見立ての、急展開。

双方を ”空の椅子” に配置し、交互に座りながらの ”対話” が、始まった。

「自我」=「がんばるシステムマシン」

まずは「加熱&冷却システム」である「自我」の席。

”自分”を感じてみる。

向かいにいる「自分の魂・肉体」に対しては、なにも感じていない。

「任務遂行、ただそれだけ。」

その正体は・・・

「がんばる」、というシステム。

それは、なんとも無機的で不気味な、「がんばる」というミッションを遂行し続けるためだけの、システムマシンだった。

「魂・肉体」は、「がんばるシステムマシン」の ”宿主” に成り下がっていた

「がんばるシステムマシン」の、任務遂行。

終わりなき「がんばるワールド」の、遂行。

そのために、魂・肉体は・・・

任務遂行のための、

単なる宿主。

そのマシンは自分の「頭=理性」に取り付き、フル回転のために「ヒートアップ」させる。
一方でこの宿主が「オーバーヒート=故障」しないよう、同時に「冷却」させるのだ。

そして、自分の「魂・肉体」は、このシステムの宿主となって・・・
ただただ、このシステムマシンに「生命力という動力を送り続けるためのムクロ」に、成り下がっていたのだ。

加熱と冷却による「魂の飼い殺し」。

生命力を直接発揮するのではないから、何かいつも「そこそこ感・足りない感」を残し続ける。

「がんばるシステム」を、経由するから、何をやっても「私がやった、という実感」に、乏しい。
・・・それをいつも”成していた”のは、自分ではなく”がんばるさん”だからだ。

「自我=がんばるシステムマシン」の背後にいた「黒幕」の ”正体”

今度は「魂」の席に座り、「がんばるさん」と向き合った。

不気味。ひたすら、不気味。
意思を感じない、ただのシステムマシン。

そして・・・
「がんばるさんの後ろに、何かいる。」

黒い雲の、かたまり。

「あぁ、これが”がんばるさん”を、操り、送り込んだ ”主” だ。」

あやちゃんは早速、その ”黒幕” の椅子を、がんばるさんの後ろに置いた。

そして、とうとう自ら、その ”黒幕” の席へ、移動してみるのだった。

黒幕の、正体

黒幕の、席へ。

すると、この「がんばるシステム」を送り込んだ ”私” は
もはや「色々な人」のところへ、無差別にこの「がんばるシステム」を送り込んでいることに気づく。

「自分=黒幕という存在が、バレたくない。だから、その目眩ましとして。」
「がんばるシステムを人々に送り込む・・・魂の”目”を、塞ぐために。」

そうか、この「黒幕」というのは・・・

集合無意識。

がんばる。気合。根性。自分に勝つ。耐える。こうあるべき、こうあらねば。

集団に、組織に、地域に、社会に・・・蔓延する、無意識的な一般常識・慣習などの集合体。

・・・これだった。

自分という存在がバレないよう、高性能な「がんばるさん」という ”目眩まし” を人々に送り込み
その人たちの生命力を、ソコソコのところで飼い殺しにするスキームが、そこにあった。

自分という存在が、バレないように。

「・・・なぜ、バレたくないのだろう?」

そう疑問を呈したところで、あやちゃんのガイドが入った。

「自分で ”私は無力だ” ”私は無価値だ”って、言ってみて。」
「”恐い”って、言ってみて。」
 

・・・言ってみる。

「私は無力だ。私は無価値だ。」
「恐い。」

・・・なるほど、”自分=集合無意識” は、自分を そう思っている。

・・・そうか。だからなのか。

自分だけが自分を「無価値・無力・恐い」だなんて、孤独だし、恐ろしすぎる。

だからこそ、人々に「がんばるさん」を送り込み
「私と一緒に ”私は無価値・無力・恐いキャンペーン”を、やりましょうよ~」ということを、やっているのだ。

無力な私だから、もっと「がんばる」。
無価値な私だから、もっと「がんばる」。
恐いから、もっと「がんばる」。

「集合無意識」発、「がんばるシステム」経由で吸い取られ続ける、人々の魂の力・・・

「恐怖エンジン」の、ねずみ講。

 
 

・・・私という「首領の存在」が、バレたら、困る。

「”がんばる”に頼らなくてもいい、本来の生命力」に みんなが目覚めてしまったら、困る。

・・・そう思っている。

集合無意識の「弱腰な本音」とは

しかし一方で、集合無意識は、こうも思っていた。

「もう私という存在、このキャンペーンの仕組みが、バレ始めている。
そして目の前の人が、そもそもそうじゃないか。」

「がんばるさん」の後ろで弱腰な「集合無意識さん」は、その向こうでこちらを向いている「魂さん」に対して、そう思っていた。

「そして今や、この ”がんばるシステム” から ”脱却”して
自らの生命力を”直接”使うようになる人が、増え始めてしまった。」
「このキャンペーンは、もう ”斜陽産業” になってしまった。」
「私はもう、肩身が狭くなってしまった。」

もうバレているのなら、と、前で”盾”となっている「がんばるさん」をどかし、直接「魂」と対峙した。

「あぁ、もうだめだ。自分の役目は、終わってる。もうバレてる。」

自我の正体である ”古い集合無意識” は、どんどんしぼんでいった。

力を取り戻すことになる「魂」と、”新たな上司”

再び自らの「魂」の椅子に座る。

その「がんばるさんの盾」をどかし、露わになった「古い集合無意識」と、対峙した。

「これ(古い集合無意識)はもう、いらない・・・いてもいなくても、無視する。」
「でも がんばるさんは、なかなかに高性能だった。これは場合によっては使ってもいいけど、使わなくても良い。」

「魂」と「自我=集合無意識」のパワーバランスは、もはや逆転していた。

その時だった。
「私(=魂)の後ろに、何か居る。」
「光のような、温かいものを感じる。」

「後ろを向いて確かめてみて」と、あやちゃん。

 
魂の私は、ゆっくりと後ろを振り向いた。

新たな ”上司” の姿

 
 
(ドキドキ・・・・)

光の存在:「どもー」

さらっと椅子の後ろに居る。

第一印象は

「ゆっるwww」

どう見ても、ゆるい。

力が抜けている。
そして・・・

チャラい。
 
 
チャラいなーーー(笑) 
 
 
そして、わかった。

「これからの人生の ”上司” は、この人です。」

気づいたら、自分でそう言っていた。

まじかwwwwww 

「この人は、どんな人?」と、あやちゃん。

そうか、これは・・・
「歓びの人。歓びエンジンです。」 

今度はその「新たな上司=歓びエンジン」のところに立ち、新たな上司に”なって”みた。

すると、新たな上司である”私”は、ちょっと引き気味に”新たな上司”を見ている「魂さん」に、こう言った。

「だぁいじょぶだって!だぁいじょぶ!」

チャラい・・・
 
 
そして、「古い集合無意識」にも、労いの声をかけた。

「この人の上半期の担当おつかれ!これからは俺が、この人をイジるから!」
 

いじるって何wwww 

チャラいなぁ・・・・(笑)
 
 

「集合無意識と、それによる世界観」という名の”上司交代劇”

このエンプティ・チェア技法によるセッションで起きたのは・・・

「集合無意識と、それによる世界観」という名の”上司交代劇” 、そのものだった。

もはや”斜陽産業である”ことを自認しつつある、古い集合無意識。
「私は無力だ・無価値だ。世界は恐ろしく、他人は疑わしい」という”世界観”と、そのキャンペーン。
それを味わわないようにするための「気合、根性、忍耐、べきねば・・・に、生命力を奪われ続ける、終わりなき ”がんばりズム”」。

これが、恐怖エンジンの、仕組み。

”いのちの歓び” を「直に」発揮させるのではなく、その生命力を「がんばりズム」の宿主として隷属させ
そこそこのところで飼い殺しにする、仕組み。

・・・その世界観が、これまでの”人生の上司”だった。

そして、これからの上司は、「歓びエンジン」に交代していくようだ。

そして、その”新たな上司”は・・・・
 
 
チャラい。 

なんとも面白い、セッションだった。

「がんばるシステムマシン」に、「からだ」が気づくまで

「がんばるシステムマシン」に”気づいた”のは、
頭でもなく心でもなく・・・

「からだ」だった。

それもそうなのだ。

この「がんばるマシン」がはじめに取り憑いたのは、頭=理性。
乗っ取られた理性はその自意識を見失い「あくなき頑張りの人生」をやっていることに、気づかなかった。

そして、とうとう心身強制終了という「がんばるマシンにとっての”想定外”」が起きると
今度は「理性」を休ませて・・・

「心」を、乗っ取った。

「心のあり方」を一気に取り戻さんとして ”頑張る” 、「心の求道者」の、完成。
・・・それが、心身強制終了後からこれまでにおける、ひとつの側面だった。
(確かにそういうとこあるね~、と あやちゃんにも言われる(笑)。) 

そんななかで、最後まで「がんばるマシン」に生命力を送り続けたのが・・・

「からだ」、だったのだ。

だからこそ、その疲れた「体感覚」にとどまり、そこに「声を与えた」ことで、この「がんばるマシン」の存在に、気づけたのだ。

セッションの、帰り道。

セッションの着地に伴う、ゆるーい余韻に浸りながらの、帰り道。

少し冷静になると、「今まで起きていたことの本質」が腑に落ちてきて、恐ろしくなった。

集合無意識というクラウドサーバー。
それは「恐怖エンジンによるがんばりズム」というプロバイダーを人々に供給し
その持ち主に、絶えずその世界観を配信し続けている。

「がんばれ」「耐えろ」「気合だ、根性だ」「私とは。他人とは。男とは。女とは。」「世界とは。」

・・・こういうもんだ、そういうもんだ。

そこから「そうならないようにどうするべき、こうあらねば」というビリーフワールドに、翻弄され続ける。

ビリーフというのは、もはや、「ビリーフ」などと言っていられないものだ。

人々が、自身の「本当の生命力」を知らぬまま生き続けるかもしれない、という
「世界にとっての機会損失」が、世界中で ずーっと起きているかもしれないのだから。

それはもはや・・・

意識のドラッグ。

そう思うと、なんとも恐ろしい気持ちになった。

Part-time Buddha、再び?!

翌朝のこと。

セッションを受けた、翌朝。

起き抜けに、また「声」。
・・・お腹のあたりから、甲高いこどものような声がした。

「ぼくも 集合無意識と、戦いたい。」

ハラにグッと、力がこもった。

・・・なんとも不思議な体験、再び、・・・だった。
 
 
 

昨年の夏、はじめてあやちゃんと出会ったその日に、講座内でのデモセッション。
・・・それは、後のコアビリーフ解放につながる「コアビリーフ(自己否定の中核)」の発見となった。

そして、前回の個人セッション。
・・・それは、コアビリーフを生んだ、さらに深い「生まれた瞬間に起きた、原初の感情」を見に行くセッションだった。

そして、今回。
・・・それは「親問題」とは別次元で立ちはだかる「集合無意識」との対峙、だった。

あやちゃんとのセッションはなぜかいつも、何らかの「重要拠点」にアクセスするものになっている。
なんとも不思議だなぁ・・・

おしまい。
 
 
 

おすすめの記事