
意識を心理ステージから”身”理ステージにシフトし、カラダとノンバーバルに対話していると
そのカラダから色んな教えを、授かります。
「心地よい」とは、何か。
「心地よい」とは、何なのか。
「心地よい」とは、何だったのか。
・・・「心地よい」を知るための鍵だったのは、「地」の在り方、だったんだなぁ。
言葉としての語源は知らないけれど、
僕にとっての「地」は、もちろん、カラダ。
その「地」であるところのカラダが、なんともニュートラルな、フラットな、凪のような安寧の”場”そのものであることが、ベースなんだ。
そうやって「地」の安寧があって、グラウンディングしているから、
その上に、「心」が、
フワリと、乗っかることができる。
そしてその「心」と「地」の橋渡しをしているのが、両者をただ観照している「意識」なんだ。
こうして、『「心」「地」よい』は、完成するんだ。
・・・今は、そう感じます。
そして「心地よい」と、もっと仲良くなっていけばきっと、
「心地よい」をベースにした”頑張り”と、”頑張り”の顔をした「強張り」の区別を
カラダが覚えてくれて、カラダがそれを教えてくれるようになるんじゃないか。
と なんとなく、そう感じられる、のは。・・・
・・・そういうメッセージを、カラダが今、発してくれているからに他ならないのです。