わかった気になる、という杖で僕を支え続ける時代は、もう終わった。

最近、ちょっと考えていました。
 
このところの、自身のブログの沈黙について。
 
忙しかったのもあるけど、それだけじゃなかったんだなぁ、と。
 
僕の中に、これまでのブログに対する”残り香”が、まだあったのです。
つまりは、「僕はこのブログで”心のこと”や”内観”について書かなければならない」という”べきねば”が、残っていたようで。
 
このブログを始めたのも、これまでのブログの中心も、「心の学び」と それに伴う人とのつながりが基盤となっていました。
だから、読み手としての想定もそういう方だったし、そういう方向けになるよう書いてきたところがありました。
 
でも、このところのブログに書いてきた変遷の通り、僕は今いったん「心理ステージ」を降り
それ以前の「”身”理ステージの課題」に向き合いながら日々を送っています。
 
だから、今の僕は「心のこと」というトピックについて、発信者としてのインスピレーションはほとんどありません。
それをやっていたのは、これまでの僕の人生を支えてきた「作り上げた人格=ペルソナ」が、やっていたことなのです。
 
そしてそのペルソナは、奇しくも「心の学び」そのものによって、破壊のプロセスを歩みました。
 
人生をかけて作り上げてきた、ペルソナ。
・・・それは、「わかった気になる、という杖=知の杖」によって周囲の評価を得つづける、というペルソナです。
 
生存のために。 
 
ペルソナは、恐ろしいです。
作り上げられたペルソナはやがて、自身の存在維持のために、自力で疾走を始めます。
 
宿主の心身に負担がかかろうと、お構いなしに。
・・・ここが、恐ろしいところです。
 
僕のペルソナは、巧みに外からの評価や期待をたぐりよせてきました。
・・・それは、その学びの師直々の評価を集めるほどに、執念といえるほどに巧みなものでした。
何より、そうやって自分自身を騙し続け「もっともっと評価を!でないと・・・」と恐れで焚きつけるところが、恐ろしいです。
 
でも、そのペルソナは、破壊のプロセスをみました。
何より、宿主である僕がそれを維持し続けることに、その分離状態に、疲れてしまったのです。
 

「わかった気になる、という杖で僕を支え続ける時代は、もう終わった。」

・・・今一度、ここで宣言したいと思います。
 
だから、これからの僕は、「どうにかして”心のこと”をブログに書こう」と無理しなくていい。
・・・それはむしろ、心の学びを通じて出会った人たちの素晴らしい発信に託し、僕は再び「受け手」に戻ればよいのです。
 
心理ステージ以前の段階である「”身”理ステージの課題」へと一旦”退行”した今の僕にとって、
「心理ステージ」の課題と学びと実践は、とてもとても高度で難しいものだと改めて素直に思います。
だから、今の僕は相変わらずの”信念体系”や”未完了の感情”によって同じ人生パターンを繰り返しているのかもしれないけれど
そういった「心理ステージの課題」は、ひとまず放置したままにしています。
 
今は、それでいいのだと思います。「”身”理→心理」の順番を、大切にします。
 
 
わかった気になる、という杖で僕を支え続ける時代は、もう終わり。
・・・今一度、再確認です。

そして、そんな僕のこれからの課題は、もしかしたら「頼る」「頼む」「甘える」、そしてそれらに「感謝する」・・・といったことなのかな、と思っています。
 

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