人生を年々積み重ねいきますと。

 
振り返りたくもない「最悪」が、どうしても増えていきます。
 
思い出すだけで顔から火が出るような、大失敗。
思い返すだけで全身寒気がするような、自己嫌悪。などなど。
 
振り返りたくもない、ということは。
 
その「振り返りたくもない方向・場所」を意識しまくりなわけで。
 
結局振り返りまくりなのだ。
 
そうやって、忘却できない理由は
 

何とかしたいから。

過ぎ去ったことなのに、何とかしたい。
 
なんか変?
 
いや、変じゃないかも。
 
だって

何とかできますから。

人生が進むと、増えていくのは「最悪な記憶」だけではなくて。
 
それを「捉えなおす」経験や、知恵なのだ。
 
これも一つの「成長」といえるものだと思います。

それによって、これまでの「最悪」を、毎日チョコチョコと、
時には知らず知らずのうちに「最善だった!」に上書きしながら
 
みんな生きてる、のではないかな。
 

リフレーミング。眼鏡のかけかえの日々。

でも、ドデカイ「最悪」は、そのリフレーミングに時間がかかることが多いので。
 
これだけは「捉えなおすなんて無理なんじゃないか」と
その「最悪」を「最悪」として、反芻しまくってしまう。
 
反芻すると、どうなるかというと。
 
「最悪強化」になってしまいます。
 
なので、ドデカイやつほど大事なのは
 
放置保留だったりします。
 
 
 
放置、保留しても大丈夫。
 
だって

忘れるの、ずーっと無理だったでしょ?

だって、それくらいドデカイんだもん。
 
だから、放置・保留しておいてもいい。忘れません。
 
むしろ、忘れちゃったら儲けもん、だぁね。
 
でも無理なので、放置・保留。
 
そうして、そうやってまた、放置していると、気づくことがある。
 
...「最悪な記憶」を放っておいても

生きてるじゃん。

生きちゃってる。超苦しいかもしれないけど。
 
こうして生きてちゃってる。
 
で、また気付く。

「最悪」そのものからも「学び」がある。

そっかぁ。放置しても、いいんだ。それでも、生きちゃうんだ。
 
あらら。おやまぁ。
 
...これもまた「最悪ちゃん」そのものに対する捉え直し。リフレーミングではないかな。
「最悪ちゃん」の ”内容” に関するリフレーミングは、未完了だけどね。
 
時間の力を借りて、「最悪ちゃん」を放置、保留する。
一時保管庫に、入れておく。
 
その間に、自身の成長を待ってみる。
 
そうすると、やがて「最悪ちゃん」たちは、そう頻繁に悪さをしなくなる。
 
それどころか

「最善」への転身を、手ぐすね引いて待つようになります。

やつらも本当は、そうなりたがっている。
 
その日を待ってくれているのだ。
 
そしてそのチャンスは、意外なところで来たりする。
 
 
全ては最善か、その予備軍。
 
全ては、最善。
 
そう思って、生きてみてもいいんでないかな。
 
 
ぼへへ~。

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