自己探究の果てに起きていた、ここ一月のことについて。

しばらくぶりの、ブログ。

漠然と、書きます。

このところずっと、心理的エッジやらデッドゾーンやら、といったところをグルグルしています。

今までの人生を進めてきた自己定義が”鎧だった”ということに気づき、それがはがれていくと

その鎧によって隠されていた「絶対に見たくなかった自分」がドロドロと漏れ出し、自己嫌悪の塊になっていきます。

そんな自分の人生がすべて、「自分のせい」であるという単純な真実に改めて圧倒され、気持ちがズタズタになります。

自己否定、セルフイメージ、人生脚本が人生にもたらすものの恐ろしさや、

その集大成が「今の自分である」ということに、また打ちひしがれたり。

他人軸も結局は「自分の選択」、という感覚が深まったり・・・

「底にいた自分の酷さ」に触れながら、鎧の中身が何もなかったことに、また絶句します。

これまでの自分の全てに、自責が襲います。

そしてその全体を見ている、自分がいる感じです。
 
 
これまで書いてきたブログも、まるで別人が書いたかのように感じたりもします。

これは自分にとっての「本当のこと」の中身が露見してしまったからかもしれません。

今もなお、そんなプロセスの中にいます。

見ていくしかないな、と思います。

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