福岡リトリートセミナー 2days、2日目。

全国でご活躍され、著書も多数出されているカウンセラー・根本裕幸さん主催の「福岡リトリート」に行ってきました。

日常を離れ、自分と向き合う2日間。
人気カウンセラーである根本さんのライフワークでもあり、全国各地の素晴らしいロケーションで開催されるセミナーです。

今回はその2日目をお送りします。
(1日目の記事:【学び】根本裕幸さん主催「福岡リトリートセミナー」に参加して・その1

1日目・2日目の両日で「クリスタルボウルの調べ」に身を委ねてみて


1日目で初めて聴いた、根本さんの奥様・理加さんの奏でる、クリスタルボウルの調べ。
それはどこか仏前で鳴らす ”お鈴(りん)” のような響きのようで、それでいて より深い共振、酩酊感をもたらす。
 
目を閉じてその調べに心身を委ねると。
そこにはマインドフルネス、メディテーションのような状態へ誘われやすくなる。

そんな1日目の演奏で気づいたこと...それは。
「いつも同時に複数の思考をグルグルしていること」だった。

思考から ”完全に離れる” ことはできなかったけれど・・・クリスタルボウルの調べに助けられ、まず複数思考から逃れて「単一の思考イメージ状態」になれたのだ。
これだけでも随分クリアな時間を過ごせるし、とても気分が楽になった。

そして2日目。
1日目よりマインドフルネスが深まったのか、「単一思考状態」からも解き放たれ、ただイマココを感じる状態になれた気がした。

不思議な時間だった。

クリスタルボウルのもたらす療法的な効果は科学的研究・立証も進められているとのこと。

もっと聴いていたくなる、素晴らしい癒やしだった。

1. 女性性・男性性の ”解放” と ”ブロック”

今日もガッツリ、セッションタイム。フォーカスパーソン(クライアント)に選ばれた女性の参加者の公開セッションを見ながら、見ている参加者もまた自身への気付きを得ていくというもの。

女性性・男性性を「解放してしまうことへの怖れ」とは

男性性の場合の、「解放への怖れ」。

男性性の象徴は、「力そのもの」。
それを解放するブロックは「その(自身の)力のあまりの強さに、相手を叩き潰してしまうのではないか」というもの。

一方、女性性の象徴は、「育む、包容」といったもの。
そして、それを解放するブロックとなるのは
「その(自身の)あまりの深さに、相手を包み、飲み込み、吸い尽くしてしまうのでは」・・・というものだ。

それは言うなれば、慈母性・・・もしくは

女神性。

もともと女系社会、女性性リーダーシップ社会だった日本は明治以降、その「女系性・女性性」を抑圧することで生じてきた、ひとつの”歪み”がある。
それ故に現代社会では、そこに気づき、元に戻そうとする力が ”(女性性にまつわる)問題” として発生するという。
 
そしてその問題は、ネガティヴなもののほうが”まだまし”なのだという。

おそろしいのは、ポジティヴな問題の発生の方。
...それは「自分の力=女性性を発揮せねばならない、差し迫った状況に対峙する」という状況だ。

既述の「女性性解放へのブロックを、外さなければならなくなる」ということ。

自分の女性性リーダーシップを発揮したら。人生の主導権を、影響力を握ってしまったら...駄目になる。 

「その(自身の)あまりの深さに、相手を包み、飲み込み、吸い尽くしてしまうのでは」。
女性性への根源的怖れと、社会的ブロックがもたらす、思い込み。

そしてそのことに関する ”個のレベル” でのルーツも結局、(母)親との関係であることがほとんどのようだ。

例えば。
自分の幸せを喜び、祝福してほしい(母)親の側に「私は(自身の女性性をもって)幸せになってはいけない」というシャドウがあると
子供はそのシャドウを引き受けてなんとかしようとする。

(母)親が幸せになるために、コドモの精一杯の力で、奮闘を始める。

愛ゆえに。

それはやがて「みんなが幸せになったら、私も幸せになっても良い」という、罪悪感と隣り合わせの「犠牲マインド」が育つ。

しかしこれは「愛のマインド」で見ると、それだけ「みんなが好きすぎる」のだ。

愛ゆえに。みんなを好き過ぎるが故に。

・・・「自分が幸せになることが、みんなが幸せになること」

”に、気づいていない私” でいたい。

そこに気づいている自分への恥や罪悪感から。
 
その源泉となった「親子の愛ゆえの傷」から。

「みんなが幸せになったら、その後に私も・・・」という ”演出” ”大義名分” が欲しい。

だから、同じような ”愛の深い人たち” に「先に行け(受け取れ)!」と言われても「いやいや、自分が先だなんて・・・」とブロックがかかる。
そこで陥ってしまう失敗が

”みんなおいでよ” を、やってしまうこと。

これによって、「受け取ることを忘れてしまう」。

”愛を先に受け取って欲しい者同士” が、その「愛の歯車」を噛み合わせていながら、互いにせめぎ合う方へ回してばかりいるのだ。

「受け取り力のバームクーヘン」を突き破り「愛の次元上昇」を起こすために

人はそれぞれの「価値観の階層」に収まって、生きている。
それはバームクーヘンのように折り重なっていて、同じ場所にいたとしても、それぞれの見えている階層・世界観が違う状況を、生きている。

いつも自由席にだけ乗る人と、いつもグリーン車に乗る自分に「許可を出して生きている」人が、同じ車両に乗り合わせているのだ。

「愛情の受け取り力」もまた、その「価値観のバームクーヘン」がある。

この「受け取り力のバームクーヘン」を突き破り「愛の次元上昇」を起こすために、一番良いのは

受け取りを、「やってみること」。

でもこれって・・・それが「腑に落ちてないと、できない」。

そうやって ”やっぱりできませんゾーン” に、入ろうとする。

これを突破するには、どうすればいいか。
それは「己を信じること」しかない。

男性性・女性性 それぞれの「自分を信じて前に進む方法」とは

男性性型の「自分を信じて前に進む方法」とは。
それは文字通り、「前へ一歩進み出す」こと。
それは既述の「力そのものを発揮する」、ということだ。

一方、女性性型の「自分を信じて前に進む方法」とは。

それは

”Surrender” の力。

Surrender。

身を委ねる、力。

・・・と、ここで女性参加者がココ一番でザワザワする(笑)。

この ”Surrender=女性性” に抗って、踏ん張って。
・・・その愛の深さゆえに引き受けた傷を無いことにして生きてきた ”自立系武闘派女子” とといわれる方たちには
”ゴリゴリグサグサくる” ワードなのかもしれない。

「自分が幸せになる事を祝福されている」を、受け取るワーク

そんな流れで進んだセッションの最後は
この「自分が幸せになる事を祝福されている」を、「受け取るワーク」。
参加者に「一番祝福してほしい人たち」になってもらい、その ”役を立てる”。
そして「おめでとう」の言葉と、もう一つの言葉をかけてもらう。

それは・・・

「ありがとう」。

「おめでとう」から、更に深い・・・「ただあなたがそこにいて、ただ愛されている」という「愛と祝福の言霊」。

その言葉とともに、一人一人抱きしめ、抱きしめられ...その身を ”Surrender” する。

「大切な人たちから愛されている、祝福されている私」へ、身を委ねる。

「愛の受け取り・次元上昇」へ・・・身投げする。
 
 
そこから今度は「自分が向かいたい私」へ、身を委ねる。

それは勿論、自身の「女神性」だ。

・・・本来持っているけれど、発揮することを怖れている、最大の「本質」。 

これも同じように参加者の協力で”役を立て”て。

「こっちへおいで」と、声をかけてもらう。

そしてそれをまた受け取り、抱きしめ、抱きしめられて、その身を ”Surrender” する。

そうやって、自身の「今まで」を癒やし、受け取り、抱きしめ、「これから」に向かう。
その事を、アタマではなくココロに、肚に、落としていく。

素晴らしいセッションだった。

自分にとっての「祝福して貰いたい人」は誰か?

フォーカスパーソンに対して最後のワークを行う時、参加者それぞれにも「自分にとっては?を感じてみてほしい」という根本さんからの提案があった。

自分にとっては・・・誰だろう・・・

そんなことを思いながら降りた、インスピレーション。

それは

これまでの自分自身、だった。

知らず知らず他人軸人生を歩み、何かが上手くいかないまま、それがわからず。
その果てに・・・心身強制終了を迎え。
それでもなんとかやり直そうという舞台まで戻ってきた「これまでの自分」に。

「よく頑張ったよね。生きてきたよね。・・・おめでとう。」

「ありがとう。」

・・・そんな風に、言われたいんだなぁ、過去の自分に。

しみじみ感じた。

そして「その祝福してほしい過去の自分」に対し、これから進むために、かけてあげたい言葉。
それは

一緒に、行こう。

そんな言葉だった。
 
 
 

2.「魅力の封印」を解き放ち、自身の「ゴールデンシャドウに気づく」

また別の女性参加者がフォーカスパーソンとなり、セッション開始。

その方の主訴は「人と仲良くなってくると距離を取ってしまう」ことと「女性性への憧れ」だった。

生き辛い人=”変態” である

人と仲良くなってくると距離を取ってしまう。それが生き辛い。

セッションが進み、その背後に「普通にしたいのに出来ない」が見えてくると。

「それは、あなたが変態だから」とズバリ指摘する、根本さん(笑)。

根本さんのセッションは、その話術の面白さも抜群だ。

・・・変態である=「普通ではない」。

普通。

「普通」って、結局は「思い込み」なのだけど。
「普通であれ」という同調圧力は、日本は特に強いかもしれない。

そうやって「普通であること」を迫られるが故に「普通でない私は駄目だ」という抑圧が生まれると
これをなんとかしようと「 ”フツー” を計算し、合わせ続ける人生」になる。

生き辛い。

そして「フツーでない自分がバレたら困る、駄目になる」が故に
その「これ以上はその事がバレる距離」まで相手と仲良くなると、途端に距離を取り始める。

それ以上近づくと「フツーでない自分がバレる」から。

でも、この状況こそが・・・生き辛い。

だからもう、自分を受け入れるしかないのだ。

そうやって自分を出したことで離れていく人間関係があるかもしれないけど、それは仕方の無いこと。
それは「私も自分自身を解放したいのに!」という彼女たちの”シャドウの投影” の問題なのだ。

一旦はそうやって辛い瞬間があるけれど、その先には。
同じ ”変態同士” で自分らしさを受容し、発揮しあっている居心地の良い人間関係、コミュニティといったギフトに、たどり着くものなのだ。

だから、大丈夫なのだ。

それは ”憧れですか?” ~自身の ”ゴールデンシャドウ” に、気づく

もう一つの主訴である「女性性への憧れ」。

「憧れ」というもの。

今回は「女性性・女性像」。
根本さんは、”その人にとっての”「憧れの女性性」を、言葉のストロークを打ち込みながら、形にしていく。

”憧れる”というのは、自身の中に ”その要素” が無いものを求めることが出来ない

人間は、自分の中にその要素が無いものを認知することが出来ない。

それを投影し、世界に発現させることが出来ないからだ。

それは「無いことにしている、望ましくないシャドウ」に関するものだけではない。

「無いことにしている、望ましい”魅力”」もまた、然りなのだ。

望ましいシャドウ。
今の直接の”心の学びの師”であり、昨年根本さんとコラボセミナーもされたカウンセラー、大塚あやこ さんの言葉を借りるならば
それは「ゴールデンシャドウ」とも言うべきものだ。

「憧れ」とは・・・
「私に”無いから”憧れる」のだろうか。
それとも「本当は有るのに ”諸般の事情により、それを無いことにしてきたから”」憧れるのか。

答えは明白だ。

「出したらダメだ」~「魅力の封印」の背後にある、過去の”傷”

本当は自身の中にあるのに、無いことにしてきた”ゴールデンシャドウ”が、「憧れ」という形で投影され、表出する。

無いことにしてきた、魅力。
そんな「魅力の封印」も、やはり・・・過去の傷によるもの。

それは例えば「出したらダメだ!」という、親子関係から生じた禁止や、学校でのイジメなどだ。

「もし自分らしさを発揮してしまったら...ダメになる。」
そんな抑圧、思い込みの種が、過去の傷の中に埋まっている。

「憧れの女性像・女性性」を見える化するワーク

憧れの女性像・女性性・・・そのエネルギー感を持つ女性参加者をフォーカスパーソンに選んでもらい、その背後に立ってもらう。

一方、それと向き合う「男性性」を、少ない男性参加者から選出し、向き合いに立ってもらう。

そして中央に立ったフォーカスパーソン=「今の自分」が、その向き合っている「男性」に対して取っているコミュニケーションについて
「見える化」しながら深掘りしていくと、見えてくるのは・・・

「男子止まり」に思える時は「背後にいる女性性たち」をオープンにし、その男子に慕われている自分。

その一方で、相手に「男性」を見出した途端に
その「男性性」に対して「背後にいる女性性たち」を”閉門”し、ぎこちなくなってしまう・・・というコミュニケーションスタイルだった。

「憧れ」であった「女性像・女性性」は、無いどころか「上手く使えている事実」が、あったのだ。

選択的に。

しかしその、「相手に男性を見出した途端に”背後にいる女性性たち” を ”閉門” ししまうのは、なぜか。
 
それは、主に2つの原因があるのだという。

1つは「男性性を受け入れてしまうと、ある真実を見抜いて失望するのが怖い」から。

その ”ある真実” とは・・・

「男はみんな5才児である」ということ(笑)。

これには女性参加者も男性参加者も思わず笑う・・・何とも言えない、苦笑いというか・・・

まさに「見抜いてしまうのが怖い」側と「見抜かれてしまうのが怖い」側、双方の ”図星感” だ(笑)。

そしてもう一つは
「女性性を出したら、同性から嫉妬される」というもの。

わかる気がする。

”ハイヤーマインド” の力を借りて、「憧れ」と ”統合する”

こうした心理ブロックの解決法として、根本さんから提案があったのは
”その「憧れの人たちならどうするか?」を考えてみること”。

自分の中にある「ハイヤーマインド」の”人たち”の、力を借りてみるのだ。

これに関して、根本さんはそこまで説明しなかったけれど。
「憧れの人たちなら?」を考えることで現れるアイデア・要素というのは結局、その「憧れの人たちが生み出したもの」ではなく
「憧れの人たちを想像している”私”」が生み出したものだと思う。

私の中にある、私の憧れの要素が、生み出したものなのだ。

もはやそれは、「私」なのだ。

そうやって、「憧れ=私に既にある要素」を、自身に統合していく。

さらにダメ押しのイメージワークと、鮮やかな「種明かし」

”憧れのあの人たち” が、自身に近づいてくる。自分はこれを待って、抱きしめてもらい、受け入れ・・・統合する。

既に自分の中にあった「憧れ」と、一つになる。

そして1つになった「彼女たち」の力を借り、向き合っているあの「男性性たち」に、その好意を告白してみる。

「それが出来る私、それでOKな私」と、一つになる。

・・・フォーカスパーソンの表情が、キラキラと輝く・・・。

そして最後は、根本さんからのステキな ”種明かし” が。

そのフォーカスパーソンが選んだ ”憧れの人たち” というのがまた・・・
・・・その背丈から雰囲気から、何もかもが・・・フォーカスパーソンに ”そっくり” だったのだ。

見事なまでに。違う雰囲気の参加者の方も多くいるのにもかかわらず。

「憧れ」とは「”既に自分の中にあるもの”である」・・・鮮やかなまでに、腑に落ちる瞬間だった。

そして、向き合っている「男性性の人たち」もまた。
「見抜きたくない真実=男子性」を感じる、どこかヤンチャさを漂わせる人たちだった。

...見抜いてしまっても、好きなものは好き。だからもう、女性性を選択的に開閉しなくてもいいのだ。

・・・そんな ”ステキな種明かしのギフト” に、その場の誰もが驚き、嬉しくなって、暖かい空気に包まれていた。

こちらもまた素晴らしいセッションだった。

参加者全員へ、その場で出された”宿題”を、やってみた

その宿題は、フォーカスパーソンと同様「憧れのあの人に”ハグしてみる”」ワークだ。
そしてその時に、相手に「あなたに憧れています」と伝えること。

その「あこがれの人」は参加者の相手自身でもいいし、誰かを「あこがれの人」に見立ててもいい。

自分が今「憧れている人」って、誰だろう・・・

素直に思い浮かんだのは・・・ 既述した学びの師である ”あやちゃん” (大塚あやこ さん)だった。
 
 
思い浮かんだんだから、それでいい。

自分は結局、あやちゃんの「慈悲のエネルギー」に憧れているのだ。
深い慈悲ゆえに、クライアントの生き辛い自己否定、ビリーフを...たとえ本人の使い慣れたものとしても、撃ち抜く。

そんな深い慈悲のエネルギーが好きで、憧れているのだ。

さて、誰に”あやちゃん”をお願いしようか・・・

同じエネルギー感を覚える方。
・・・と、思わず理加さんにお願いしてしまっていた。

今思えば、理加さんもまた「奏で、癒やす人」。
音楽家であり、カウンセラーであるあやちゃんと共通するエネルギーを、直感したのかもしれない。

「無いことにしてきたもの」の背後にある傷を癒やし、「無いことにしてきたもの」と、一つになる。

それは望ましくない故に「無いことにしておきたい」場合もあれば
実は望ましいものであるけれど「無いことにしておきたい」場合もある。

その背後には「未完了の感情」や、それを作ってしまった”傷のストーリー”の存在がある。
 
そしてさらに、その奥深くには。
「そうすることで守りたかった、願いのようなもの」が、ある。

深い愛ゆえに覆い隠してきた、心の謎。

そんな参加者の方たちの心の源が「愛」であることを、根本さんは知っているからこそ
根本さんもまた「愛」をもって、そこに応えていく。
奥様である理加さんの”癒やしの力”もまた、そこにシナジーを起こす。

素晴らしい2日間の体験だった。

そんなリトリートも、もう終わりに近づいていると思うと、途端に寂しくなった。
 
 
つづく。

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