
「福岡リトリートセミナー」、2days。
全国でご活躍され、著書も多数出されているカウンセラー・根本裕幸さん主催の「福岡リトリートセミナー」に行ってきました。
日常を離れ、自分と向き合う2日間。
人気カウンセラーである根本さんのライフワークでもあり、全国各地の素晴らしいロケーションで開催されるセミナーです。
素晴らしい体験と学びの場でした。
根本さんご夫妻が作る、愛と癒しの ”場の力”
このセミナーは、根本さん(裕幸さん)による公開カウンセリングセッションと、奥様の理加さんが奏でるクリスタルボウルの調べを聴きながらの瞑想(マインドフルネス)を主軸に進んでいく。お二人のシナジーが作る ”場” は、愛と癒しの力に溢れていた。
根本さんに感じた「男性性」と「静かに湧き上がる愛と情熱の炎」
根本さんの扱うトピックは、「やりたいことで生きる=ライフワーク」に関することの他、夫婦や恋人関係といった「パートナーシップの悩み」について扱うこともあってか、特に女性に人気のカウンセラーさん。
今回の参加者も、ほとんどが女性の方。
特に、ブログの中で度々登場する「自立系武闘派女子」と呼ばれる方々...に人気のようだ。
この「自立系~」というのは、いうなれば「パートナー(男性)を叩きのめしてしまうほどに、自分の足で強く逞しく生き進む女性」といったところ。いわゆる「草食系男子」と真逆の世界だ。
そんな「女性の共感」を得ているということは、根本さんは女性性の強い方なのだろうか...と思いきや、真逆で。
とても男性性を強く感じるオーラだった・・・というのが、個人的印象でした。
(むしろ、それゆえに「自立系武闘派女子」の「強い男性性」から共感を得てしまうのだろうか?!)
そして、そんな根本さんのカウンセリングセッションも、とても迫力のあるものだった。
根本さんのカウンセリングは「愛ゆえの、緩急自在のジェットコースター」
愛ゆえに・・・時に「ガンガン突き放す」
参加者の中からクライアントの立候補者が選ばれ、その方を「フォーカスパーソン」として、参加者もまた各々の気づきをシェアしていく、公開カウンセリングセッション。
根本さんはクライアントの主訴に対して、訥々と、相槌や伝え返しを行っていくのだけど。
その1手1手によってクライアントの方を「突き放していく」・・・
愛ゆえに。
その「突き放し」によって崩されるのは、それまで慣れ親しんできた「思い込み・自己否定・他人軸」といったもの。
生き辛いものなら、どんなに慣れ親しんだ道具も「即没収」なのだ。
そして、それによって出来た「心のスペース」に、クライアントは すかさずそこに、「あるもの」を入れなければならなくなる。
それは
自分の本音。自分軸・・・といったもの。
無かったことにしてきた・・・そして、できれば無いことにしておきたかった「したい」「ほしい」「嫌だ」を
その「スペース」に、注がざるを得なくなるのだ。
その流れの速さは、まるで「最初から詰んでいる将棋」のよう。まるで魔法を見ているかのようだった。
愛ゆえに・・・時に「わかりやすく説明・提案する」
愛ゆえに「突き放す」ことができるのは、きっと「その方が悩んでいる問題の本質」にアクセスするのが早いからだと思う。
だからこそ、時には「わかりやすく説明・提案」することで相手に迫ることができるのだと思った。
そんな緩急自在の「ジェットコースター・セッション」はきっと
20年にも及ぶ経験と、その場の直感の双方がもたらすものなんだろうなぁ・・・すごい迫力。
静かなる、凄み。
そのスピード感ゆえにクライアントの方にかかる負荷も大きいけど、その分「気づきたかったもの」や「自分軸エンジン」が ”再稼働” し、悩みを乗り越えていくスピードも、とても早い。
本当に「魔法」のよう。
1日目にして「自分とシンクロした学び」を得る
セミナー最初のセッションでクライアントとなった方は、自分とシンクロする点が多く、驚いてしまった。
それは・・・父との関係から「私は見捨てられる」というコアビリーフがインストールされた人生。
そして、それゆえの「他者(父)の期待に答え続ける人生」を卒業し、乗り越えたい。
そして「自分のミッション・ヴィジョン」をもって生きたい・・・という願いのためのセッションだった。
”他人軸”を”乗り越えてしまう”ことの恐怖
「他人軸人生」を生きてきた人が、それを乗り越え「自分軸で、意のままに生きること」ができてしまう・・・
そう”乗り越えたい”と思っているはずなのに、実はそこには、ある心理的ブロックが存在する。
それは
「他人軸人生のメリットを手放さなければならない恐怖」だ。
そしてその「他人軸人生」のメリット、とは・・・
「矢面に立たず、人からの評価に護ってもらえる」といったもの。
そして果てには「”周りの期待に応え続けた為に こうなってしまった人生” を、周りのせいにできる」といったもの。
いわゆる「”本来の利得=自分軸人生” を享受しないで済む」ための「二次利得」だ。
こういった世界観の多くは、親との関係において作られるものだけど。
それは、人が「パートナーシップ」という関係に進んでもなお、その中で再現される恐れがある。
「親子関係」で製造した”他人軸状態”は「パートナーとの関係」でも”再上映”される恐れがある
親の期待に応え続けることで「自分軸で生きられないことを親のせいにしている人生」を歩み。
そこから出る恐怖=”二次利得を手放す恐怖” をもったままでいると。
・・・パートナーシップにおいても、他人軸ゆえの問題が ”再上映” される。
自分軸で”わがまま通す”ことを「パートナーに理解・受容」されてしまったら、”困る”
他人軸人生を歩んでいる状態は一見、人に気を使っているようで・・・
「こう見られなければいけない”自分”」に、いつもフォーカスしている。
そのことで欠落しているもの・・・それは。
相手に「愛され、許されていること」
に気づき、受け取る力。
いわゆる「愛情の受け取り拒否状態」なのだ。
・・・相手に愛され、許されていることに気づいてしまったら。
そんな「素晴らしい私」に気づいてしまったら。
そんな私は、わがままに自分を生きることができるようになってしまう。自分の人生の責任を、人のせいにできなくなってしまうのだ。
そうなってはまずいから、愛情の受け取り拒否を、しなければならない。
・・・でも、そんな人生を歩んでいると、どこかで「行き詰まり」に気づくもの。
だから、そうやって受取拒否し続ける人生を、もう止めるために。
「他人軸人生」ゆえの「命の逆回転」を、手放し、乗り越えていく。
自分は、幸せになってもいい。
そんな私は「親の期待に応えられなくてごめんなさい」と言っても 自分を見捨てない「親の愛情」に、もう・・・・・・もう気づいて、受け取ってもいい。
そんな私だから「自分のわがままな生き方に巻き込むけれど・・・ごめん」と言う自分を理解してくれる
「パートナーの愛情」に気づき、受け取ってもいい。
そんな「”周りの期待に応えなくてもいい自分” で幸せになった自分」を見て幸せになってくれる人達のその愛情を、受け取ってもいい。
そんな「愛されてる私」だから、もう安心して、感謝して「自分軸人生」を歩んでもいい。
・・・そうやって、一枚一枚「自己否定の皮むき」が、行われていく。
「自分軸人生・自分のミッションを歩むことで自分も周りも幸せにする」という ”宣言のワーク”
そんなセッションの最後は、「そんなこれからの自分の在り方」を言葉にして表明する、宣言のワーク。
他の参加者は聴衆となり、その「言挙げ」のエネルギーが ”響いた” 時に、拍手する。
クライアントの方は、自身の納得のいくまで何度も”宣言”をした。
その宣言は、繰り返すうちに、セリフではない「自身の言霊」となって響いた。
それは力強くもあり、且つ力みのない「あるがまま」の言霊のような感じがした。
拍手喝采、だった。
魂の宣言と、勇気のセッションだった。
パートナーもおそらくは「我慢の人」
他人軸人生ゆえに、相手に「ごめん、自分のワガママに付き合ってくれ」を言えないでいる、その相手もまた。
「その宣言、ちゃんと言ってほしいのに!」を ”我慢している人” だったりする。
そしてさらには「自分のワガママにも付き合ってほしいのに!」を、我慢していたりする。
でもそれって結局は。
・・・良き「似たもの同士」なのだ。
だから、そんな我慢に気づいた方から、その宣言をすればいいのだ。
そして、お互いに「言えて、癒える」。
そんなプロセスが、待っている。
”宣言”を目の当たりにした時の自分の”シャドウ”を、チェックする
公開セッションの目的は、それをシェアしている参加者においても「気づきのストローク」を自己チェックすること。
今回のセッションにおける根本さんからの提案の一つが「他の人の ”やりたいこと宣言” を目の当たりにした時における自分の抑圧=シャドウのチェック」だった。
自分の中に「私はやりたいことなど出来ない人間だ」「やりたいことをやって生きてはいけない」といった観念(シャドウ)があると、それに反する宣言をしている人に対して攻撃的、ないし嫉妬の感応が自身に現れる。
逆に、そういったシャドウが外れてしまえば、やりたいことをやって生きようとする人に共感し、応援するようになる。
「許せないアイツ」を生み出すのは「アイツそのもの」ではなく「許せない自分の観念」を「アイツに投影」しているのだ。
だから自分自身を見つめることに、意義がある。
そして、そのとらえ方の「どちらが良くて、どちらが悪い」というジャッジも、必要ない。
ただ自分の「今」の捉え方を、見つめてみる・・・それがリトリートセミナーの良さでもあると思う。
自己否定や抑圧が ”ある自分はダメなのだ” ではなく。
むしろ ”そこに気づいた自分” を、ほめていいのだ。
「無理を通せば、道理が引っ込む」~自分軸人生を歩むために~
「無理を通せば、道理が引っ込む」。
根本さんが大切にしている、「自分軸な心のあり方」のメッセージ。
「無理を通す」というのは、言うなれば「”やりたいこと” に許可を出す」こと。
「許可なんて出せない、無理!」という ”思い込み” を、突破すること。
その許可が出せないことを人のせいにしている状態を、突破すること。
自分軸になること。
すると引っ込むのは・・・「道理」。
アタマが、理性が生み出した「観念、自己否定、ビリーフ」。
これが「引っ込む」ということ。・・・それはつまり
「手放す」ということ。
固定化された観念が、どんな事象をもってしても上映し続ける「同質のストーリー」を、手放すこと。
その大切さを今一度確認した1日目が、終了した。
・・・つづく。