これまでの自分を、「存分に悲しむこと」。

自分がこの旅で紐解きたかった、「失感情・失体感」の鍵。
 
それがこの「未完了の感情」だった。
 

知らないうちに ”最善” ”納得” というフタをしてきた、心の奥の奥。

これまでの人生が、自分でも知らないうちに「自己抑圧・他者忖度」の人生になっていた。
 
その人生が、心と体が突如悲鳴を上げることで、全ての価値観とともにガラガラと崩れ落ちた。
 
”でもそれで得てきたものもあるし、それはそれで最善を尽くしたんだ。”
 
...それは、6月を皮切りに変容していった自分の心の本音として、自分は心からそう腑に落ちていたし
 
それが自分の「本音の最終地点」だと

思っていた。

でも、違ったんだ。
 
”最善” ”納得” という「モノサシ、理由付け」で止めてしまっては、いけなかった。
 
それを取っ払った向こうにある、善悪や上下、損得も何もない、
 
「ただある自分の感情世界」に触れる。
 
ここが、まだだった。
 
 
そんなものを抜きにして、ただ今までの事を「悲しいと感じている自分」を
味わい切っていなかった。
 
ようやく気付いた。
 
ようやく、心の ”奥の院” に、辿り着くことができた。
 
 
 
そんな、二見興玉神社の帰り道。 
 
沢山、沢山泣いた。なんだかわからないけれど、涙がもう止まらなかった。
 
静かに静かに、沢山、涙をこぼした。
 
 
 
そして、とてもホッとした。
 
 
そんな日に見た日の出は。
 
曇り空からかすかに顔を出すような、でもようやく見えてくるような、日の出だった。
 
 
今の自分にはこれ以上なく、美しい日の出。
 
 
...その後、落ち着いた気持ちで訪れた伊勢の神気は。
 
 
とても優しくて、暖かった。
 
そして、最後は、猿田彦神社。
 
「道開きの神社」にて今後の祈念をし、この旅を締めくくった。

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