疲れていた。

どうしてなんだろう。
 
気づいた。
 
せっかくの独り旅なのに、どうも自分の事を
 
律している。律することに、慣れてしまっている。
 
寛いでいない。
 
ホテルをきれいに使おうとしてしまう。
 
洗面所を軽く拭き掃除なんてしてしまう。
 
食事の器を下げようとして、ホテルの人をを逆に慌てさせてしまう。
 
サービスされることに対して、遠慮がちになってしまう。
 
寛いでいない。
 
つねに、自分を見張っている。
 
そして気付くのは。

その分だけ、他者も見張っている自分。

見張っている対象は
 
「自分より寛ぐのが上手な人たち」。
 
食事中でも景色を見たいからと、ちょっと立ち上がったり。
 
ちょっと大きな声でしゃべってたり。
 
頼みたいことを遠慮なくホテルマンに言ったり。
 
ただただ、自分のために動き、のびのび寛いでいるだけ。
 
そして自分はというと。
 
彼らを、ジャッジしている。
 
でも、こうして一人旅を続けていて、わかった。
 
自分も本当は、ああしたいのだ、と。
 
ただ自分の思うように、動いてみる。
 
「自分を見張っている自分」に動かされるのではくて。
 
思うがままに。

と、思っていると、練習の機会は、すぐにやってきて。

ホテルでビュッフェの朝食を取り終え、席に着いた。
 
...と、間もなく。
 
隣には外国人観光客の集団。
 
これがまた、とにかく。
 
香水臭い。
 
せっかくの食事のにおいが、全然わからない。
 
「他の席に移動したい」と、思った。
 
でも以前の自分だったら、
「向こうがきた途端に立ったら、なんだか拒否したように思わせるのではないか、それで不快に思わせるのではないか」
...なんて自分を制止したりしていた。
 
でももう、そういう頭グルグルをもう、やめよう。
 
立ち上がって。
移動して。
座り直した。
 
 
 

「しかし、なにも起こらなかった。」
 
 
”そう思ったから、そう思う通りに、ただ動く”。
 
...こんな単純な自分本位、人間活動の原理が。
 
こんなにもまったくわかっていなかったとは。
 
「こうあるべき」「こうあらねば」という呪縛が
いかに細部までしみこんでいるのか。
 
「もう全部、できるだけ、止めよう」。
 
今思ったことを、そのままキャッチしてみる。
その思いのまま、気楽に行動してみる。
そうしたところで、別になにも起こらない。
ダメになんか、ならない。
 
そうやってマイペースに、気楽に行動できるようになったのは
それからだった。
 
アイキャッチの画像は、そうした「マイペース」が
できるようになってから出会った、松江城址にある松江神社。
素朴ながらシンメトリーな美しさが際立っているのを感じ。
「ずっと見ていたいと思ったから、ずっと見てみる」を存分にやってみた場所。
そんな自分に理由を付けず、ジャッジせず。
そうしたいままに、何分も佇んだ場所。
今思い出しても、不思議な美しさがある場所だった。

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