LPL修了の翌日に受けたカウンセラー・菊地健介さんの個人セッションで、家族に対して何の修飾も理由もつけない「イヤだ」をはじめとした感情を出すことができた。
そのときの詳細記事はこちら:【BRC個人セッション】~ 生存を懸けた「失感情」~
そして、その未完了の感情に付帯していたビリーフは、自分にとって重大なビリーフ(思い込み・信じ込み)だった。

「“感情・ほしい・イヤだ” を表明すると...生存できない。」

この無意識の信じ込みを意識化できた2日後、電車の乗り換えで駅構内を歩いていた時。
突然降りてきたのが・・・

「ぼくはもう、無事に生き延びた。」

という言葉だった。

その途端、思わず膝が崩れそうになるほど全身が脱力した。
傍から見たら、おそらく透明人間に”膝カックン”された人のようだったに違いない。

そして自分はヨロヨロと駅の椅子まで行き、座り込んだ瞬間・・・
「ハァーーーー・・・」と大きく息を吐いた。

そして気づけば、目から涙がこぼれ落ちていた。
 
 
安堵。

なんとも不思議な安堵が、そこにはあった。

あの時のカラダの脱力は、ただの筋弛緩ではない気がする。
・・・それはまるで、細胞一つひとつを包んでいた「緊張と焦りの膜」が剥がれ落ちたような、そんな感覚だった。

あれから「心身というのは、こんなにリラックスすることができるのか・・・」という事を知った。

生存のための最終手段は「実感の”凍結”」

”小さなぼく” が、自宅兼作業場で仕事に追われる親に構ってほしかったり、ないしは
父にとって良くない「感情・ほしい・イヤだ」を表に出すと最悪の場合、父を激高させてしまう・・・そのたびに「お仕置き」を受けた。

そんな父もまた「恐れエンジン」から、家族という船を無事に運ぼうと必死だったのだと思う。

このセッションまではこの「お仕置き」の記憶は、封印していた記憶だった。

そして、その「封印していた」のは、その「エピソードの存在」ではなく・・・

その時の「実感」のほう。

理性というのは、脳というのは・・・それほどまでに巧妙なのだと思う。
小さな子どもが恐怖で嘔吐するほどの体験を、巧みに「別に大したことじゃないこと」にしてきたのだ。

そうやって封印しなければ”やってられない”ような実感を、見事に凍結してきたのだ。

・・・そのことが、セッションを通じて、直感でわかってしまった。

自分が潜在意識に刻んでしまった、最大の勘違い。それは・・・
“感情・ほしい・イヤだ” を表明すると...
”生存できない”、どころではなくて・・・
 
 
・・・いや、ちゃんとオブラートに包まず書こう。
  
 
・・・それは ”殺される”、という感覚だったのだ。
 
 
念の為もう一度言っておくけど、これはあくまで潜在意識に刻んでしまった「勘違い」の話。

そんな「お仕置き」を度々受けることで 小さなぼくは段々と学習し
「人の言うことを聞く、おりこうさん」の枠内に居る術を、生存のために身につけた。

だからこそ、その後の人生の肝心な場面で「あなたはどうしたいの?」という類の質問に対して
いつも頭を真っ白にし、自分をフリーズさせてきた・・・その理由が、腑に落ちた。

その質問は「答えたら殺される質問」だったのだ・・・潜在意識では
そしてそれは勿論、潜在意識に刻んでしまった勘違い

「自分に帰る」旅路でついに出会った潜在意識の信じ込みが「自分に帰ると、殺される」だった・・・
・・・そのことに、愕然とした。
 
いのちの生存のために、自分の「感情・ほしい・イヤだ」を封印・凍結する。
・・・これまでの他人軸人生の本質は「“自分軸の死”と引き換えに“いのちの生存”を選んだこと」という姿だったのだ。

正直でいてくれた「カラダ」

でも、カラダは正直者だった。
感情、そして自分軸の抑圧を、和太鼓やドラムという形で「理由の立つ場所で開放する逃げ道」を作っていたのかもしれない。

そして、あの2年前のバーンアウトも、そう。
あれは決して「強制終了」などではなく・・・
「 “イヤだ!” “うるさい!” “もう沢山だ!” 」という感情の声を、カラダが代弁した。
そして、「その声をあげても、殺されたりしない」ということを自分に知らしめる「強制蘇生」だったのだと思う。
 
カラダこそが、私が”私に帰る”ための、重要なガイドだったのだ。

セッションでも起きていた、正直者な「体反応」と、そこに追従できない「感情」のチグハグ感は
今回のビリーフが介入し、感情を抑圧していたためだったのだろう。
セッション自主トレの回数が修了規定ギリギリだったのも
無意識に「自分に帰ることで殺されるかもしれない恐怖」が、潜在意識にあったのかもしれない・・・
 

それでも「愛」を見逃さない

”小さなぼく” にとって。
あの半狂乱のように見えた憤怒、そして”ぼくのからだ”を文字通り”封じ込めた”布袋、そしてその状態での物置部屋の暗闇と孤独は
たしかに ”今のぼく” の潜在意識下に、想像以上の「世界への恐怖・緊張・焦燥」と「自己凍結」をもたらしていたかもしれない。

でも、”小さなぼく” は同時に、あのお仕置きだったからこそ 一度も外傷を負うことはなかった。

その「愛」もまた、見逃してはならない。
その「生存の保証」もまた、見逃してはならない。

”小さなぼく” の潜在意識は、ただただ勘違いをしただけなのだ。

自己探究の果てにたどり着いた「たったこれだけのこと」

この「細胞レベル」で緩んだ、”この感じ” の中で。
「“感情・ほしい・イヤだ”」に”100%アクセス”しても安全なのだ、ということを潜在意識レベルで理解した中で。

ふと「ひとりカフェでも・・・」と、なぜか思い立った。

今まではほとんど興味のない過ごし方だった「ひとりカフェ」。

温かいカフェラテを飲んで、「あったかいなぁ、おいしいなぁ」と、ただ感じる。
・・・ただそう感じていることを「そう感じるだけでいいのだ」ということに、ただ安堵する。
 
その帰り。
清々しい空と暖かい日差しに「清々しいなぁ、暖かいなぁ」と、ただ感じる。
・・・ただそう感じていることを「そう感じるだけでいいのだ」ということに、ただ安堵する。

ただそう感じていることを、安心して「そう感じていいのだ」ということに、ただ安堵する。 

・・・自分がこれまでの自己探究で「埋めたかった、けど埋まらなかったピース」は・・・

”この感じ” だったんだ・・・

たった、これだけのだった・・・
でも自分にとっては、とても大きな”何か”。

思わず涙が滲んでしまっていた。

ただそう感じていることを、安心してそう感じていい。
それが ”許されている” という ”たったそれだけの感覚” に、ただ安堵する。
 

たったこれだけの ”この感覚” に対する ”得体の知れない危険と緊張の感覚” が、これまであったことが、今ならわかる。

”湧け湧け” ではない ”ワクワク=湧く湧く” を、改めて想う

ただそう感じていることを、安心して感じていいことが、許されている感覚。 
・・・ようやくたどり着いた、たったこれだけの ”この感覚”。

“感情・ほしい・イヤだ” の種子を改めて、そしてようやくにして地表に蒔いたかのような、不思議な感覚。

でもこの ”他愛もないこの感覚” が ”一滴目” として存在するからこそ、
きっとそれより大きな「ワクワクの川」が描けるのではないだろうか。

懸命にDoingする ”湧け湧け” ではない、持続可能なBeingでの ”ワクワク=湧く湧く” の源泉は
きっと「これ」なのだろう、と改めて思う。

次なる「旅」を見据えて

自己探究によってミッション・ヴィジョンとつながっても、まだ不安定な片輪走行。
そのミッション・ヴィジョンの “差し出し先” である “世界そのもの” が、自分にとって「安心安全な、優しい場所」になっていなければ、「私を生きる」というものが両輪で走行しないのだ、ということを思い知った。

「私に帰る旅」から、「私を生きる旅」を見据えていく。

「約束された道」を、見据えていく。

・・・今回の健介さんのセッションは、その上で重要なセッションだったと改めて感じている。
 

 
僕はもう、無事に生き延びた。

自分より壮絶な人生など、いくらでもあるのは間違いない。
でも、自分のことは自分のモノサシとして、「よく生き延びたね」と自分に言ってあげたい。

 
おしまい。
 
 

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