アリかも。

よっちゃんです。
 
最近思ってるのが、そういうことです。
 
要は。
 
親の「自分への愛情」は、もうそれこそ、世界一...いや、
 
宇宙一 だった。
 
でも、それ故の「教育のスキル」が、たまたま
 
クッッッッッッソポンコツだった。
 
きっと、それだけのことなのだ。
 
 
だから。
 
 
24時間365日どんな時も子供を心配し、健やかな成長を願った。  
でもそれゆえの教育の在り方が、ただの
 
「審査」と「否定」と「禁止」と「強制」になっちゃった。
 
きっと、それだけのことなのだ。
 
そして結局。
 
その「違うでしょ!」「ダメ!」「こうしなさい!」のうち、子供を生き辛くするヤツは、一言でいえば。
 
これなのだ。
 ↓
 ↓

バブバブ、うわあぁぁぁん!!!

...あぁまただ、全然説明になってないや。
 
...要は
 
「私をわかってよ!」「私はここにいるんだぞ!」  
だぁね。
 
これが満たされないまま、自分の親は
 
親になってしまった。
 
...こうして。
 
子供を生き辛くする「違うでしょ!」「ダメ!」「こうしなさい!」には。
 
未完了な ”オコチャマ” が、顔を出してくるだけなのだ。
 
自分の親はきっと、未完了な ”オコチャマ” を抱えたまま、”親” になってくれた。
 
だけなのだ。
 

だからこそ。
自分の親は ”オコチャマ” としてポンコツな子育てをしたけれど
 
その ”親” としての愛情は、宇宙一だった。
 

でも、そんな「オコチャマペアレント」が産み出すは

「アダルトチルドレン」。
 
...親からの愛ゆえの「ポンコツ教育」、親の ”バブバブ” を受け止めるため
「自己否定」と「罪悪感」と「親忖度」に身を捧げる方が

親からの「宇宙一の愛情」を受け取る事よりも重要になってしまったことによる、産物。
 
子供が子供として受け取るべき ”ギフト” の判断が、ポンコツになってしまった。
 
それゆえに「他者忖度」などという ”オトナ”臭い方のたしなみを
”コドモ” を消化しないまま、先にやってしまった。
 
ただそれだけの、ことなのだ。
 
 
アダルトチルドレンが、親になる。
 
その ”オコチャマペアレント” の子供は、親の抱える ”オコチャマ” を支えるべく
自らの ”オコチャマ” の充足を犠牲にした結果
 
アダルトチルドレンになる。
 
そうやってその子供が今度は、未完了な ”オコチャマ” を抱えたまま、親になる。
 
その子供は...以下、繰り返し。
 
 
そして、この違和感に気づくのは、まず子供の方。
 
なぜなら、親の方は ”産んであげた / 産んでもらった” という関係性における
”産んであげた優位感” が 目くらまし となってしまい
自らの誤りや違和感に気づきにくいから。
 
そして、気づいた子供がすべきは、親の「忖度」ではなく

お尻ペンペン。

...あぁ、また説明になってないや。
 
つまりは、親のポンコツな ”バブバブ” を、”忖度=ヨシヨシ” しないで
 
ちゃんと、自分の違和感を信じて
 

モメる。こまめに、モメる。

 
これですわ。
 
これが、「お尻ペンペン」。
 
これをやらないと親は、自分の「ポンコツ教育」が
子供を生き辛くしているなんて、夢にも思わないのだ。
 
それを長い事モメずに、さんざん溜め込んでから、一気に全弾一斉射出するのは
両者にとって酷なイベントになるぞよ。
(経験者は語る...)
 
でも「いまさらモメモメしたくない!したくないけど、ヨシヨシしてきた怒りは、溜め込んでる...」って場合は。
 
せめてイメージワークでもやってみてはどーかなー。

そそ、大切なあの人の「お尻ペンペン・イメージワーク」。

親に限らず。
 
大切な人だったからこそ、そのポンコツ教育に違和感を覚えつつ忖度してきたけど
そうやって忖度してきた怒りが、溜まっているのなら。
 
イメージする。
 
片膝立てて座っている自分の、その立てている方の膝元に。
 
その大切な人の体をうつぶせにして、乗せてみる。
 
そしてそのお尻を、ペロリン!っとむき出しに。
 
そして。
 
そのお尻を
 

ペンペン!

「...ダメでしょ!僕(私)のこと、そんなポンコツな育て方したら、ダメでしょ!
 お陰で僕(私)、こんなになっちゃったじゃないのっ!
 コラッ!大人なんだから!バブバブいわないの!ペンペン!」
 
...一見ばかばかしいようだけど、ちょっとはスッキリして落ち着く気がするんだけどなー。
「あの人もまた ”内なる子供” を抱えたまま大人になったから
いろいろ至らないところもあったんだなー」って思えたりするかもしれないし。
...あぁ、コッソリその人の子供時代の呼ばれ方なぞ聞き出して、それで呼んでみる、ってのもいいかも。
 
さて。
 
そんなこんなで、もし少しでもスッキリしたのなら。
 
本当は奥底で願っている ”最終解” に向け

やり直してみよう、愛情の因数分解。

 
自分は、親の忖度なんかしなくたって、宇宙一親に愛されている。
 
その宇宙一愛してくれている親の教えを拒絶しても 
大切な親そのものを否定することにはならない。
 
そうやって親の事を分かってあげることができなくても
親は自分で、自分を大切にすることができる。
 
だから、自分も。
 
親に分かって貰えなくたって、その自分の感じ方、価値観を大切にしてもいい。
 
そんな自分の感じ方を大切にしたとしても、
大切な親そのものを否定することにはならない。
 
そして。
 
親に分かってもらえなくたって、親は自分の事を宇宙一愛してくれている。
 
そして
 
親に分かってもらえなくたってその親に宇宙一愛されている自分の事を
 
 
こんどは自分自身が 宇宙一大切にしてあげても いいんだ。
 
 
 
それでもう、いいんだなぁ...きっと。
 
おしまい。

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