禅と修験の、2days。

前回記事の「瞑想、始めよう 入門ワークショップ」に参加したその足で、今度は一路 湯河原へ。

「湯河原リトリート ご縁の杜」という温泉宿を訪れました。
ちなみに代表の深澤里奈子さんは、現在自分が通っているLPL講座の先輩でもあります。

「ミッションへの目覚め」とともに”変容”した温泉宿・「ご縁の杜」

そして、こちらの「ご縁の杜」・・・
以前は、いわゆる”通常の温泉宿”であったのだそう。
しかし代表である深澤さんの「ミッション(使命)への目覚め」とともに
積極的にセミナーや研修などの各種イベントを招致するように。
・・・それは、宿泊施設だけにとどまらない「人と自然がともに呼吸する、学びの”場”」へと「変容」していった。

その「変容」はまた、食事にも独自性をもたらす。
・・・「湯河原=海の幸」というセオリーを離れ、いわゆる完全菜食である「ヴィーガン料理」を提供するように。

・・・こうした変容は、代表の「ミッションへの目覚め」に呼応するかのように
新たな人たちとの”ご縁”が紡がれていくなかで、今の形を成していったようだ。

そんな「ご縁の杜」での、今回のイベントが 今回の ”山伏!星野先達の講演会&「じねん」上映会” 。
7月に参加した羽黒修験の体験行でお世話になった、星野文紘先達が出演するドキュメンタリー映画の上映会だ。

この上映会は星野先達も講演を行うため、あの体験行以来の再会を果たしました・・・嬉しかった。
 
 
・・・といったところで、そのイベントを明日に控えつつ、まずは夕食。

「ヴィーガン料理」は ”いのちの味”

「ヴィーガン」というのは卵や乳製品を含む、動物性食品をいっさい口にしない、いわゆる「完全菜食」をいうのだそう。
”野菜の声を聴いて料理する”というシェフの料理は、見ても食べても瑞々しい、「いのちの味」だった。


・・・じっくり食べ物の「いのち」を感じながら、その「いのち」に感謝しながら食べ物を口にしたのは、いつ以来だろうか。
そしてその「いのち」は、本当に自分の「生命力」となって循環しているのを感じた。

何より、とても美味しかった!

こうして、明日一緒にイベントに参加する方と一緒に食事をしながら、こんな話をした。
「普段だって、食べ物を”感謝して食べる”ことはできる。そしてその態度は
たとえ添加物などが入っていたとしても、まずは”カラダにイイ食べ方”につながるはず。」
 

同じ食べるなら、感謝して・気持ちよくいただく。 
・・・まずはそこからだなぁ、としみじみ感じた。

その夜は気持ちよく温泉に浸かり、床についた。

「日の出」への祈りと、カラダが自然と思い出す「祈りの記憶」

翌朝は、日の出前に起床。
深澤さんの案内で、星野先達とともに日の出ツアーに参加した。

近くの岬へ移動し、日の出を待つ。
そして、星野先達がいらっしゃるということは、もちろん・・・

羽黒の修験でこの心身に何度も浴びた あの法螺貝の音が、海へ轟く。

・・・カラダが思い出す、拝詞と般若心経が、この肚から飛び出していった。

星の先達と共に、再びこうして「祈る」ことができて、とても嬉しかった。

▼そして先達の、禊。

・・・雨の予報だったこの岬も、祈りの最中だけはその雨が止んでいた。
 
 
▼「綾に綾に 奇しく尊と天照の 神の御前を拝み奉る」

 
 

「いのち」は「還る場所」を知っている

祈りの後、先達は再び海へ。
その持っている法螺貝を海に浸し、法螺貝の中に海水を何度もくぐらせた。

そして再び、その法螺貝を吹く。

・・・まるでその「いのち」を吹き返したかのような、瑞々しい響き。
ただでさえ素晴らしい先達の法螺貝の音が、ますますその生命力を甦らせたかのような音色に、誰もが驚いた。

・・・その法螺貝が「還る場所」を知っていたかのようだった。
 
 

映画「じねん」上映会へ

映画「じねん」

出羽三山の聖地・濁沢(にごりさわ)の女神である「瀬織津姫(せおりつひめ)」。
・・・その女神を400年間大切に守ってきた宿坊「大聖坊」の13代目である星野先達と、芸術家 MICO MAI さん との、偶然の出会い。
そして二人の「感じる知性」が、呼応していく。
・・・それはやがて、MICOによる ”火”と”水”の 一対の瀬織津姫様のお姿、という作品を生み出し
出羽三山神社には「火の瀬織津姫様」を、大聖坊には「水の瀬織津姫様」を奉納する・・・そんなドキュメンタリー映画だ。

道なき道を切り分け、濁沢の滝・”瀬織津姫” と出会い、行に身を委ねる、芸術家。
・・・そのインスピレーションが、作品へと昇華していく。

非常にノンバーバルな「間」の多い、「感じる映画」だった。

そんななかでの 芸術家・MICO さんの言葉が、あまりにも印象的だった。

「今の世の中は、”感じる” ということが 余りにも ”特別なこと” になりすぎている」。

・・・たしかに、それだけ「感じる」ことを封じて切り開いてきたのが、現代社会の一つの側面かもしれないと思った。

星野先達の講演会!

上映会に引き続き、星野先達の講演会。
・・・とはいえ、星野先達は事前に話すことを決めない。
その”場”を感じ取り、そこから出てきたものを話す、まさに「感じる知性」の人だ。

封じられた女神「瀬織津姫」への注目は 現代社会の様相とシンクロする


出羽三山の宿坊・大聖坊が代々守り続けてきた女神・瀬織津姫。

その女神は、書物においてその名前のみ登場するという、謎多き女神だ。
そしてその瀬織津姫が、なぜか今 注目されているのだそう。

・・・そんな先達の話を聴いていると、やがてそれが現代社会の様相とシンクロすることが見えてくる。

「封じられた女神」、瀬織津姫
この女神はまさに、現代社会の「封じられた女性性」と、シンクロしている。
だからこそ、その女神への注目もまた「社会の女性性を取り戻す」というテーマとシンクロする動きのように感じる。
 
 
結局これまでの「女性の社会進出」というのは、女性を男社会に組み込み「男性性の発揮」を強いるものだった。
・・・その「男社会としての本質」は、何ら変容しなかったのだ。

だから、働く女性の口元には うっすらヒゲが生えるほどに 「オジサン化」したのだ。

理性偏重のもとでの競争・強制・虚栄で”強為”してきた「男性性社会」も今や、行き詰まりを迎えている。

だからこそ。
感性主導のもとでの共創・共生・共栄へ向けた「しなやかさ・やわらかさ・あたたかさ」などの「女性性の取り戻し」が、社会には必要だ

・・・といった「堅苦しい言い回し」を、星野先達は しない。
「これまでの社会は”女性の社会進出”といいながら、結局女性にオトコをやらせてただけ。
これからのオトコはもっとオバサン化すればいい。女性は女性らしいままで。
そうして男はもう女性のサポートをやっていればいい・・・そうすればこれからの社会は、もっと良くなるよ。」

先達の言葉はとっても素朴で、わかりやすい。

もともと「野生が強い」のは、女性の方だ

星野先達のもとに限らず、最近において修行(体験)をする人たちは、なぜか女性が多いのだそう。
そしてまた、”山へ還り、生まれ変わる” ことで ”生き生きと里へ戻っていく” のもまた、女性なのだそうだ。

オトコって、なんだかんだもう疲れてるのかな(笑)。

もともと「野生が強い」のは、女性の方。
そしてそれは、女性のある”からだの仕組み”が、自然とシンクロしていることも一因ではないか、ということ。

いわゆる「月の物」と呼ばれるものだ。
山岳修験においても山は女体の象徴であり、また出羽三山ではまさに「月の山の神」を祀る。
・・・そんな山伏の、まさに「感性からの言葉」だなぁと思った。

「感じるままに生きること」は「ワガママ」なのか?

お話会のあとは、質問タイム。
そこで、こんな質問が飛び出した。

「(先達の著書タイトルでもある)”感じるままに生きなさい” をやると
いわゆる”ワガママに(身勝手に)生きる” ことにはならないだろうか?
両者の違いはなんだろうか?」

・・・これに対して先達のインスピレーションから飛び出した言葉は、直感的で、かつ明快だった。

「考える知性」のほうが、よっぽど自己都合でワガママじゃないの?

「考える知性」と「感じる知性」。
いわゆる、理性と感性だ。

感性はいつだって、自分の領域にとどまる。いわゆる「私の”あるがまま”」。
だから、人から「あなたの”感じ方は違う”」という指摘が存在しない。

対して。
理性は時として、自分の領域を出て、相手や世界をエゴでコントロールする。
いわゆる「ワガママ」、ってヤツだ。
だから、お互いの領域に対して「あなたの”考え方は違う”」という言い方が存在する。

理性のほうが、よっぽどワガママなのだ。
 
 
だからこそ、この社会のために、世界のために。

封じてきた女性性、感性に、還ろう。

「考える」から「感還る」へ、シフトしよう。 

・・・そんな風に感じた、お話会だった。

山伏秘技・”魂振り(たまふり)”ワークショップ!

お話会のあとは、山伏秘技・”魂振り(たまふり)”ワークショップ開催!

魂振り、というのは・・・
からだの成分の殆どを占める”水分”・・・この母なる”水”を”振る”ことによる、先達流の”魂の活性術”。

▼魂振りの様子。

これは、いわゆるマッサージとは異なり、手も”押さえる”のではなく、軽く当てる感じ。
そして、動きも ”さする” のではなく、施術する側と相手の ”水分” を、「無意識的に共振」させるような刺激を施す感じだ。

だから、その施術は遠巻きから見ると、ジッと静止しているかのように見える。

しかしこれ・・・やってもらうと、不思議なくらい「大きな揺さぶり」を感じるのだ。

▼頭の魂振りの様子。これも非常に静かだ。そして、最後は、足の魂振り。

足の魂振りだけは、あの”草津の湯もみ”のごとく、ダイナミックに振る。

いざ、魂振りの実践

実演を見たあとは、参加者同士でペアワーク。

まずは施術側。
相手からフィードバックを受けながら、実践すると・・・

まず気がついたのは、いかに無意識に相手のからだを「押さえてしまう」か、ということ。
「やらなきゃ」という無意識的条件付が、からだを緊張させるのだ。

力を抜いて、ふんわりと。

そして、からだのエネルギーの無意識的振動だけを、相手に伝える。

見た目はまるで、静止状態。
・・・なのに、うまく言っている時は、「大きく、気持ちよく揺れる感じ」なのだそうだ。

今度は交代して、やってもらう側へ。

・・・なるほど、たしかに・・・
相手は「動かしていない」のに、お互いの共振だけで「大きく揺さぶられている」不思議な感覚が届いてくる。

とても気持ちいい。
そして、これは施術される側が「いかに相手に”委ねる”か」も、キーになってくるのを感じた。

次は、「頭」の魂振りをやってもらうのだが、これがまた・・・

「委ねる」のがなかなか、難しい。
自分の首にどうしても、「委ねることへの緊張」が走っていることを、自覚する。

逆に、「足」の魂振りでは、容易に相手に委ねることができる。

・・・人はどうも、「頭」に近い場所ほど、人に委ねることへの緊張が走るのかもしれない。
そして、その「委ねることへのブロック」をしているのは、おそらく「理性」の方なのだ、と思った。

先達直々にやっていただいた”頭の魂振り体験”

最後は先達直々に、頭の魂振りを施していただくチャンスがあった。

時間いっぱいまで、大行列(笑)。

そしていよいよ、自分の番。

・・・やっぱり首が緊張していたけれど、そんな自分さえも、あの言葉に”乗せてみた”。

・・・「うけたもう。」

いまここの自分を受け入れると、フッと力を抜くことができた。すると・・・

先達の魂振りは、不思議だ。
頭の表側ではなく、内側だけが、ゆりかごのように揺れる感じだった。

そして、先達に頭の魂振りをやっていただいた方々の「ビフォーアフター」が、これまた凄い。

誰もが明らかに、表情が輝き、よみがえる!
・・・一人ひとり起き上がるごとに、歓声が沸いた。

先達の「在り方」Being の素晴らしさが、ひしひしと伝わる体験だった。

そして、こんな気付きが降りる。
この「魂振り」というのは・・・

・・・Doing で施すマッサージではなく、Being で施すマッサージだ・・・ 

「考える知性」と「感じる知性」が”統合する道”を、想う

「考える知性」と、それに伴う「男性性」を強為してきた現代社会。

その行き詰まりから、「感じる知性」とそれに伴う「女性性」の取り戻しに”気づき始めた”現代社会。

現在はちょうど、その過渡期のようだ。

もし「感じる知性」と、それに伴う「女性性」の取り戻しがなされたとき・・・

今度は、両者の統合への道が、あるのだと思う。

それはもしかしたら・・・
これまでの「考える知性」が「感じる”ための”知性」も兼ね。
これからの「感じる知性」が「考える”ための”知性」も、兼ねてゆく・・・

そんな在り方ではないかな、と ふと思った。
 
 
 
 
新たな出会いと、再会。
そのなかで触れた、「禅」と「修験」の2days。

面白い旅、面白い体験でした。
 
 

▼イベント後は、自然とハグ会、撮影会に(笑)。誰もが先達のBeingに魅了されたのだ。
先達もいろんなポーズ取って応じる。
威厳ある山伏は、茶目っ気たっぷりな ”じねんのじぃじ” でもあったとさ。

 
おしまい。
 
 
 
<リンク>
●湯河原リトリート ご縁の杜(Blogページ)
●ドキュメンタリー映画「じねん」(facebookページ)

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