私に還る道標・・・「”カン”性」というのは、2種類あるのだろうか。

過多な情報や、複雑な人間関係の中で、私たちは度々自分を見失い、他人軸になって周囲に振り回されたり
また情報に踊らされて集合意識のもつ恐れや不安に飲まれたりします。
 
そんなとき、「私に還る」ための道標として、「感性」があるのだと思います。
 
「ただ私は今、ただ何を感じている?」「ただ私は、ただ何をしたいの?」
・・・そう自分に問うことで、私に還るのです。
 
 
一方。
 
僕は「起こることはただ起こり、起こることはすべて起こる」という言葉が好きです。
 
”私という解釈”、”私という感じ方” を外したところに存在し続けている、「ただ起きている真実」は、何なのか。
 
どうしたらそれを、ただ観照できるのだろう。
 
・・・そんなことに、興味をもってしまうのです。
 
これは「感性」というより、「”観”性」とでもいうべきものなのかもしれません。
 
僕は「観性」の方に興味をもってしまいがちなタイプのようです。
「”私という解釈”、”私という感じ方”の外側にある、ただ起きていることに殉ずるには」・・・などと考えてしまいがちです。
 
でもその理由は結局、自分が残念ながら「感性」というものが めっぽう不得意だから、なのだと思います。
  
ですから僕は、しっかり自分を持っている ”感性豊かな人” に、とても憧れるのです。
それは、僕には全くと言っていいほど無いもの、足りないものだと思うのです。
 
 

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