現在受講しているBRC講座(ビリーフリセット・カウンセリング講座)。

その修了課程の一環でもある、認定カウンセラーによる個人セッションを受けてきました。

今回セッションしてくださった認定カウンセラーは、菊地健介さん。
健介さんはビリーフリセット・カウンセラーであると同時に
講座主催のあやちゃんの師匠でもある岡部明美さんの LPL認定セラピスト(ライフコンサルタント) でもあります。

菊地健介さんのブログ:心の設計書
カウンセリングの依頼は こちら

そして、そんなプロの方によるカウンセリングセッションは、思わぬ深まりと、"ヤバイやつ"の発見に繋がるセッションになったのでした。

最初の主訴は

最初の主訴はというと。

「人生を、"楽しむ"という周波数に 上げたい」というのと、
「"場の監視者"をやめたい」
というもの。

今回より前の自主トレでも、この辺を主訴に探求していたので、もう少し深めたいと思ったのだ。

LPLや他の講座を受けていても、みんなのように「楽しむ」ということが出来ず、いつも「粛々・厳粛な面もち」で「学ぶ」という周波数になってしまう。
あらゆることがワークであり、修行のようになるのだ。

健介さんはまず、「よっちゃんにとっての"楽しい"とは?」を、あらためて探求してくれた。

自分にとっての"楽しい"は・・・
前回の記事にも書いた、「フロー・ゾーン・ノーマインド」になること。

過去においては和太鼓やドラムを「叩く」こと、など。
その躍動感、ダイナミズムと一つになること。
 
 
次は、過去の家族の様子。

祖母は「裏のボス」。
要介護になった祖父のことを、父母に丸投げ。
そして、少しでも効率的に、楽に介護出来るように父母が工夫しようが何しようが
父母のやることなすこと何もかもが「イヤだ!」と言い散らす、「イヤイヤ期の子ども」みたいな存在。

父は、そんな祖母との板挟みにある、婿養子。
家族の経済・介護を支える中枢。
「私は悪くない」が前提、そして「おまえはダメだ」というジャッジマン。
そして、そのために「自分が正しくないとイヤだ!」をまき散らして周囲をねじ伏せる、一家のボスマネージャー。

母はそれを忍耐と沈黙で支える「言わない、我慢の人」。

そして自分が「この家族のなかで生きる前提」として同化したのが・・・

「母の在り方」、つまり「ボスマネのサポート役」だった。

「ふーん...もしかしてボスマネのサポート役って、仕事でもやってた?」と健介さん。

「はい、まさに(笑)。」

生きるためにインストールした"前提"というのは、舞台を変えてもやり続ける。まさに心理の黄金律だ。

そんなことを傾聴してもらいながら、今度は「家族の椅子」を布置し、エンプティチェアのようなワークへ。

家族の関係性を、インスピレーションからその距離・方向によって表現する。
自分は、その「家族の椅子」を、ギュウギュウに詰めより合う 車座の形 に布置した。

まず、自分の席に座ってみる。

とにかく、プレッシャーが凄い。

健介さんが代役となり、他の家族の「イヤ!」「正しくないとイヤ!おまえはダメだ!」という家族の光景を、見せて貰うと・・・

自分もそういう家族を監視し、何らかのジャッジをしている。

「家族のこと・・・敢えて心狭く、批判的にその人物を表現するとどんなひと?」

「心狭く、感情的」になりきれない自分

心狭く、ジャッジした・・・つもりだった。
でも、それらの言葉は、どこか遠回しで、比喩表現のようで、理屈っぽくなる。
しかも、ついには「でも可愛がって貰ったし・・・」などと言う始末。

ここでとうとう、健介さんのサジェスチョン。
「他のセッションだと大抵、クライアントに"心狭く言ってみて"と言うと "イヤ!" とか "キライ!" みたいな、"単純な感情の言葉" がでてくるんだけど...」
「よっちゃんは、体反応はよく出るんだけど、それと "感情" がつながっていないような、なんかチグハグなような・・・」

「声かけの言葉」が、体をすり抜けていく

今度はリラックスの意識状態になり「言いたいことを言っていいんだよ」という声掛け実験。いわゆる「プローブ」と呼ばれる技法だ。

もし自分の潜在意識に「言いたいことを言ってはいけない」という禁止令があると、この声掛けに対してザワつく反応が出る、というわけだ。
逆にその禁止令が潜在意識に存在しない場合には、「受け止めたけどザワつかない」という反応になる。

しかし、今回は・・・
「そのいずれか」でもなく、体を「すり抜けて」しまったのだ。
こんな反応は、今までで初めてだった。

自分に、なにが起きているのか・・・
それは、こうした実験や健介さんの解説、質問を重ねるうちに、見えてきた。

何層もの「理性フィルター」によって「濾過された感情」と、その大元である「ドロドロの原液感情」

自分はいつもそうやって、「理由・根拠・条件」という「感情の濾過フィルター」を通した感情だけを「出していいもの」にしている。

それをさらに、「修飾語・比喩表現」などで遠回しにオブラートする。

そして。
「その大元である”感情の原液”を、出してはいけない。」と、思い込んでいるのだ。
 
 
さて。
感情には、いいも悪いも、無い。 
そして・・・

感情に、理由なんてない。

理由なんて、無い。

改めて、そうであるならば。
その「感情にくっついているルール、タブー、修飾のすべてを取っ払った、”本当の意味での感情”」は、何だ。

感情の原液は、何だ。

出ろ。

出ろよ、コノヤロー!

ようやく出てきた、”ドロドロ原液”

ようやくにして。

 

イヤだ。

 
肚からの、声。

イヤだ。
 
イヤ。
 
単純に、イヤ。
 
とにかく、イヤ。
 
ただただ、イヤ。
 

・・・あぁ・・・この感覚だったのか・・・
 
 
これが、薄めない、濾過しない、ただの感情。
 
 
「イヤ!」と言っているだけの ばあちゃんが、イヤ。

わがまま放題の じいちゃんが、イヤ。

「俺の正しさ爆弾」をボンボン落とせばいいと思っている父親が、イヤ。

何も言わずに我慢している母親が、イヤ。

この全体の有様が、もうイヤ。

イヤだ! 

見たくない!

・・・
 

うるさい!!

ギャーピーギャーピーうるさいんだよ!
 
ガキかお前ら!
 
何か言え!
 
何なんだこれは!
 
もうウンザリだ!もう沢山だ!
 

「その ”うるさい!” を 身体で表現すると、どんな感じ?」と健介さん。
自分はすかさず、握りしめた両拳で膝の上を、バシン! と・・・
 
力強く、叩いた
 

「叩くこと・・・それって、よっちゃんにとって ”楽しい”につながる ”パワーを出すこと” なのかもしれないね。どうかな?」

見事に、つながった・・・

和太鼓が、ドラムが、楽しいと感じる。
・・・それはまさに、「出しちゃいけない感情、パワー」を「出していい理由が立つ」もの。

そのフラストレーションを代替的に出させてくれる、”救いのツール” でもあったのだ。

「イヤだ!うるさい!・・・この感じを、覚えといてね。その下にある、”感情の層” を、見に行くからね・・・」

健介さんのガイドで、その”怒りの下”にある”感情の層”を、見に行く。
 
 
・・・悲しい。ただただ、悲しい。
 
 
更に下の層へ・・・
 
 
ほっとした。
「怒り」も「悲しみ」も ”感じることに許可を出す” ことができて、ほっとした。
 

ホッとする場所が、欲しかった。

・・・

ようやくにして「何の修飾も、比喩も、婉曲もしない、そのまんまの感情の原液」が、出てきた。

肚のあたりが、あったかくなってきた。 

「父の席」もまた、「恐れエンジン」

そんな「封印してきた、家族への感情」を感じながら、今度は「父の席」へ座る。

仕事、育児、介護、実の親に物言わぬパートナー・・・

その全てを引き受ける婿養子って・・・

ナーバスで・・・

おそらく、楽しくない。 

そんな中で誰かが「イヤだ!」とでも言おうものなら・・・
「うるさい!俺の言うことを聞け!」となるのも、無理はない。

そして、もしそうやって「この家族という船」をボスマネジメントしなければ・・・
自分にも、所属先が無くなって、生きていけなくなるかもしれない。 

父もまた、そんな「恐れエンジン」で動いていたということを、実感した。

自分のやっていた、監視という名の「コントロール」

そして再び、自分の席へ戻る。

・・・とにかく、そういう光景の一つ一つを、見たくない。
だから、波風が立たないようにしたい。

みなさん、どうか穏やかで、いてくださいね。

波風がたちますから、私の前では感情を、出さないでくださいね。

・・・そういう ”監視” と言う名の「無言のコントロール」を、していたのだ。

自分の中にある「感情の抑圧」を、見事に投影している・・・これもまた「心理の黄金律」だ。

でも今はもう、感情を見に行ってもいい自分が、いる。
そして、その投影として、「他人が感情を出しても監視しない自分」が、芽生え始める・・・

そんなことにホッとして、はじめて・・・

チョットだけ「あ、楽しいな・・・」が見えてくる。

「未完了の感情」と「ビリーフ」

「イヤだ!」を見るのが、イヤ。

見たくない。 

その奥に潜んでいたのは、こんなビリーフだった。

「イヤだ!を見ると・・・自分の居場所が、大変なことになる。」 
 
 
だから、人に対して「穏やかで居てくださいね」と、無言のコントロールを、しようとする。
だから、自分自身も感情とか”ほしい・イヤだ”を、出さないようにしてしまう。

この状態を一言でいうと・・・

「ナーバス」。 
感情とか ”ほしい・イヤだ” を、”出すのは危険だ、と”思い込んでいる”状態だ。
 
 
「そうやって、感情とか ”ほしい・イヤだ” を、”出すのは危険だ”、と思ってたら・・・

楽しくなれないよね。」

あぁ、そうか、そういうことか・・・

「楽しいから”楽しい”」のではなく、「ナーバスにならなくていい」から「”楽しく” なる」

楽しい、というのは。
 
「楽しいから”楽しい”」のではなく。
 
「ナーバスにならなくていい」から「”楽しく” なる」のだ。
 
そして。
「ナーバスにならなくていい」、というのは・・・

”感情”とか ”ほしい・イヤだ” を、”出しても安全である” という状態になることなのだ。

それらの結果として・・・
”楽しい” が、自然に・・・湧いてくるのだ。
 
 
”楽しい” の周波数に至る仕組みを、見た気がした。
 
 

最後にガツンときた、”ヤバイやつ”

イヤだ!を見ると・・・自分の居場所が、大変なことになる。

「この”大変なこと”って、もしかして・・・」

「・・・生存できない、だったりする?」
 

ガッツーーーーン!!!
 
ヤバイ。
 
ハンマーで頭、殴打された感じ。
 
・・・ある記憶が、蘇ってしまった。

それは、小さい時に、自分が ”ほしい・イヤだ” を表に出してばかりいると起こる、
とある「お仕置き」の記憶だ。
(内容はここでは伏せます。チョット引いちゃう人もいると思うので) 

あの時の父の憤怒相や、「お仕置き」に伴う恐怖と戦慄は、まさに・・・

子どもにとっては、”生存を危ぶむ” レベルの、恐怖だった。
怖すぎて嘔吐することもあったし・・・

 
そうか・・・

「 ”ほしい・イヤだ” を表に出すと、生存できない」というビリーフがあったら・・・

感情殺すしかないね(笑)。

「なんで自分の事を話してくれないの?」と親に言われても、罠だと思うよね・・・
だって生存がかかってるんだもん(笑)。
・・・あぁ、これはあくまで潜在意識による思い込みの話ね。

「あなたは何をしたいの?」と親に言われても、罠だと思うよね・・・
だって生存がかかってるんだもん(笑)。
・・・あぁ、これはあくまで潜在意識による思い込みの話ね。 
 
 
「”私に還る”ことを表明すると、生存できない・・・」
 
 
な~るほどなぁ・・・
失感情に、まさか「生存」を懸けていたとは・・・

そんなわけないのにwww 

思い込み・信じ込みって、ヤバイなぁ・・・

セッションを終えて

セッション後の雑談中でも、感情ワードがメリメリ出てくるようになった。
そんななかで・・・

「その ”うるせーばか!” こそ、よっちゃんの ”自分軸” だよね~」と、健介さん。

なんだか、嬉しいなぁ。

自分はこれまでの学びで、「感情を感じる」ことについては大分マシになってたつもりだったけど。
「家族に対するドロドロ原液」だけは ヤンワリしたレベルに留まり、深い所を封印していたようだ。

より深く「許可出し」が出来て、ホッとした。
 
  
「ただ・とにかく・単純に」
・・・頭文字に”T”が付く、ルールもタブーも取っ払った「T感情」こそ、深い生の感情なのだ。
 

最後に

自分は別に、過去の恨み節を語りたいわけではない。

そもそも、誰も恨んじゃいない。

とにかく、「自分についての、ワケが分かりたい」だけなのだ。

我が家はただただ、みんなそれぞれの事情で精一杯に「ハードモード」を生きた、”超凄い人たち” なのだ。
誰ひとりとして 悪い人なんて、いないのだ。
 
  
人間である以上 ついて回る「心の仕組み」を、理解する。
自分の「感情の抑圧」を見抜いて、光を当てる。
その投影として起きている人間関係を見抜いて、よりよい「在り方」へと、向かう。
 
どんな感情であっても、良いも悪いもない。
 
そして、どんな感情にも、理由なんてなくていい。
 
 
だからこそ、感情を「理性のフィルター」で濾過する必要はないし、
感情を「理性のオブラート」で包む必要はないのだ。
 
・・・そして、そんな「心理的安全性」を確保して初めて・・・

「楽しい」、が、”結果として” 立ち現れるのだ。
 
  
「さまざまな感情」ないし「ほしい・イヤだ」を、調節しないでそのまま表明してもいい、という「心理的安全性」を、確保できているかどうか。

・・・それこそが、自分に「楽しい」を取り戻す「第一歩」である、と思う。
 
 
ビリーフリセット・カウンセラーである健介さんの、個人セッション。
その都度”起きていること”を説明、解説しながら進んでくれて、しかもそれらが誘導・ジャッジにならず
「おぉ~!」「なるほど~!」と ”共同探究” して下さる上、どっぷり ”感性タイム” も行き来してくれる。
安心安全のBeingで、心地よい時間だった。 
理知と感性、経験と直感が織りなすプロのセッションに、大切な気づきを 沢山頂きました。
健介さん、ありがとうございました。

最後に今一度、耳寄りな情報を・・・

「”感情” や ”ほしい・イヤだ” を表明しても、命を取られたりしないらしいよ。」 

アホでしょコレwwww
 
 
はぁ~あ・・・笑笑
 
人間って、面倒くせぇなwww 
 
 
 
おしまい。

 
○菊地健介さんのブログ:心の設計書
○カウンセリングの依頼は こちら

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