
第2チャクラの、学び。
LPL(ラヴィング プレゼンス リーダーシップ)養成講座。
カウンセラー&セラピストのほか、作家として著書も出されている岡部明美さん(あけみちゃん)のライフワークともいうべき長期講座だ。
カウンセラーやセラピストを志す人は勿論のこと、「やり方=Doing」だけではどうにもならない人生の分岐点に立ち 自己探求したい人や、カウンセリングマインドを持った”カウンセリングパーソン” として社員や自分と向き合いたい経営者なども集う、人気の講座だ。
岡部明美 プロフィール
岡部明美公式ブログ:POWER OF BEING
今回の学びは、人間に存在するエネルギーセンターである7つのチャクラのうち、第2チャクラ。
その成長のテーマはズバリ、人間関係。
それは組織だったり、恋人や夫婦、男女関係や、セクシャリティといった分野における成長テーマだ。
そしてその源流となる年齢エリアは、いわゆる小中学校時代。
ちょうど自我が育ち始め、親や家族以外の「他人」というものを意識し始め、
その「他人との接し方」を形成していく上での”原風景”が、この第2チャクラの成長テーマのなかにある。
第1チャクラの”傷”が”投影された世界”としての、第2チャクラ
前回の講義は、第1チャクラの学びだった。
それは、親子関係や、生まれそのもの、といった「自己の存在」や「原初の環境・関係」の中で形成される
原初的な未完了の感情や傷、そしてそれを自己納得させるための思い込みといった「初期設定レベルの(否定的)自己定義」の謎に迫り。
時にはそれをクリーニングし、クリアリングする・・・そんな学びだった。
人が「より望ましい自分をもって今を生きたい」と願う時、そこまでの深い過去をもう一度紐解く必要があるのは、なぜか。
・・・それは、「今こうなっている目の前の世界」を表出させている原因が、突き詰めると ”そこ” に存在するからだ。
人は、何かの「心の傷」を負ったりするとき。二度と味わいたくない何かに直面した時。
何かを決める。
何かを、誓う。
「○○とは、△△なのだ。」
「〇〇したら、△△する。」
「自分は、〇〇できなかった。」
「〇〇は、△△であるべきだ。」
「私は、どうせ△△だ。」
そうやって、生存のために「学習」してしまう。
そして、その後の人生を、こうした「前提・定義・世界観」が正しい事を証明するための人生を、送り続ける。
なぜなら、その前提が正しくないと、これまでの納得感の積み重ねが「不安定」になってしまうから。
そしてその「前提・定義・世界観」は、たとえそれが自己否定・自己攻撃となっているものであっても
「それが正しくあること」を目指し続ける。
これを心理学では「投影」という。
自分の持っている「前提・定義・世界観」を世界に投影して現実を認知し「ほら、やっぱりね」という確認・納得をしながら
人生をすすめるのだ。
「人生こんなもんだ」という世界観が「正しくなる」ために、人はなんとしても ”こんなもん映写機” に投影されるものだけを取り入れ、
「こんなもん」ではなくなってしまうチャンスは全て、自分の「人生劇場」から排除(投影しないように)して、生きていく。
だから、人が「親・家族」といった「原初の社会・組織=第1チャクラの成長舞台」から
それ以外の「他者や集団」といった第2チャクラの成長舞台へ旅立つ時、その持っている ”世界を投影するための映写機” は・・・
・・・ズバリ、「第1チャクラ製」である、ということになる。
だからこそ。
組織の人間関係、パートナーシップの人間関係に起きている問題を見ようとする時、必要なのは。
1つは、この「投影の仕組み」を知ること。
そして、自分にとっての不具合を起こしている「第1チャクラ製の映写機」の構造を、再チェックする必要があるのだ。
愛あるパートナーほど、こちらの「投影」が正しくなるよう ”助演” してくれる?
上記の投影システムの中で起こる、人間関係。
これに関するワークやセッション、シェアを体感していくうちに、ある感覚を得た。
それは・・・
相手に対して愛あるパートナーほど、相手が「投影したがっている現象」を
見事に ”助演” してくれているのではないか?ということ。
パートナーに関心があるからこそ、その「投影パズル」のピースの形に、合わせてくれる。
相手への愛があるからこそ、そのピースの波長にピタリと噛み合うよう、共振してくれる。
相手にイライラしてほしい投影システムには相手がちゃんとイライラしてくれるし
ちゃんと傷つけるような事を、言ってくれる・・・そんな気がするのだ。
そういう意味では、そのストレスフルなやり取りは、常に思惑通りに ”調和している” とも言える。
そしてその在りようは、別の視点で見れば・・・
「あなたは、本当はどうしたいの?」という課題を、いつも突きつけてくれるのだ。
そしてこの「本当はどうしたいのか」という、課題・・・
それは、理性の生み出す投影システムの範疇を超えたところに、いつも答えがあるような気がしてならない。
それは勿論・・・感性だ。
「好き」「イヤだ」「ほしい」・・・そんな理屈を超えた感性に、答えがあるのだと思う。
そしてもう一つ思うのは・・・
パートナーが投影を見事に助演してくれるということは、その人も同じ ”投影の種” を持っている、ということではないだろうか。
そんな風に考えれば、そのパートナーはきっと、深いところでの波長が合う者同士による”約束された出会い”だったのかもしれない。
だから、そんな二人のどちらかが自己探求し、心の在り方が変わっていくときもまた
パートナーはきっとその”新たな波長”に合わせて”助演”してくれるのだと思う。
カウンセラーロールで実感した ”新たなBeing”
各グループ(班)ごとに別れて行われた公開セッションタイム。
自分はカウンセラーロールを行うことに。
まず傾聴をしてみて、「やはりそうか・・・」と感じる自分の変化があった。
傾聴時における自分の ”感じ” の変化
以前の自分の傾聴スタイルというのは・・・
・クライアントの感情や状況を、「自分の”傷”に共振させる」ようにして ”同感的に” 聴く
・”同感的に聴いている自分” によって相手を誘導しないよう、注意する
・”同感” と ”同感注意” の両方を回転させることで ”共感的に” 聴く。
・・・このように、「あなたはそうなんですね」という”共感的な聴き方”をするために、
随分ややこしい工程を踏んでいる感覚があった。
同感、というのはあくまでこちらが”同感できているだろう”、という一方的な推測の域を出ない。
それゆえに、その”同感していると思っていること” が的外れになっている場合の傾聴は、
カウンセラー側の価値観へ誘導するかのような聴き方になってしまう。
これに対し、今の感覚というのは・・・
ただ単に、「あなたはそうなんですね」という風に聴けている感じが出るようになった。
これはおそらく、望ましい変化なのだと思う。
そしてその変化の理由は、自主トレなどで「心のクリアリング・クリーニング」をしたからだと思う。
特に、自分のような「他人軸人生」を歩んできた人間にとって、大きくクリアリングされたのは・・・
自他の境界線=バウンダリ、なのではないか。
だから、必要以上に「相手の境界」に侵入せず、相手の感情に同化せず、背負わなくなったのだと思う。
しかし一方で、この新たなエンジン・・・
自分自身、”この感じ” に、まだ慣れていなかったりする。
とにかく自分の中で、傾聴中の違和感バリバリなのだ。
そしてこの”違和感”を覚えているのは、感性の方ではなく、理性。・・・自我の方なのだと思う。
ちなみに、セッションを見ていてくれた皆さんからすると「そういう違和感は感じなかった」という。
自分だけが、変な感じがしているんだなぁ。
・・・これからは、”この感じ” で話を聴くことに、慣れたい。
でも勿論、人間だから、感情を同化して”同感”することも、あっていい。
一緒に涙を流すことだって、あっていい。
・・・だんだん慣れていきたい。
そして、もう一つ。
セッション中に、グループリーダーである認定セラピストの方にセッションのヘルプ、つまり”介入”をして頂く場面があった。
そしてその介入によって見事、プロセスに深みが出たのだった。
セッションに介入していただいた、その様子。
それによってプロセスに深みが出た、その様子。
・・・それを、そうあるがまま「ただ、受け止めていた自分」に気づいた瞬間
「あれっ・・・??」
前と、違う。
以前の自分だったら、ここで絶対に ”あの自動反応” が起きたはず、なのだ。
「こうして介入してもらった自分は・・・”足りない”のだ。ダメなのだ。」
「期待はずれだと思われたんじゃないか!?ダメなやつだと思われたんじゃないか?!」
「ヤバイ!見捨てられる!!!うわぁーーーー!!!」
・・・って、いつもの「ビリーフ発動」が、来ないぞ・・・どうしたというのだ・・・・?
・・・そうか。
これが・・・「心のクリーニング・クリアリング」の効果、というやつなのだ。
要は自己肯定感が、知らず知らずのうちに・・・少しでも、上がったのだ。
というより・・・自己肯定感が「戻ってきた」、というべきか。
自己肯定感は ”上がりも下がりもしない” ・・・「思い出すもの」
これまでと、”今の、この感じ” を、比較してみると。
自己肯定感、というのは・・・「上がる」とか「上げる」ではなく。
「思い出すもの」、だと感じる。
ずーっと、自分の中にいてくれているもの。
・・・ただ、それを「思い出す」ことが、困難になってしまうのだ。
そして、その「思い出すこと」を困難にしてしまうものこそ。
自己否定・自己攻撃の種になる「前提・定義・世界観」・・・つまりは、ビリーフ。
そして、そのビリーフを ”決める” に至らしめた「心の傷・未完了の感情」。
そんな「心のトゲの層」が幾重にも折り重なり、ずっとあるはずの自己肯定感を、奥へ奥へと・・・しまい込む。
そんな”自己肯定感なんてモノ”が自分にあったことを・・・思い出せなくさせてしまう。
だからこそ「心のクリーニング・クリアリング」を行ってその”層”を一枚一枚剥がしていき
自己肯定感が・・・「思い出されていく」、のだと感じた。
「自己肯定感」が、ずーっと、自分の中にいてくれている。
・・・これは一見、とても信じがたいような感覚に思えるけれど。
人はみな、「自分が今こうして存在している」という時点で、その”存在レベルでの自己肯定”を
自分の ”内なる何か” から、享受していると感じる。
そしてそれは少なくとも、死を迎えるまで一瞬たりとも途切れることはない。
それどころか、”肉体の死”を迎えてもなお、エネルギー体としての自己肯定感は永久に存在しつづけるのかもしれない。
・・・話は少し逸れてしまったけれど、こうして自分のBeingが変わったことを実感する、カウンセラー体験だった。
一方でやはり、今の自分の ”Beingエンジン” に慣れていない感じも、まだある。
とても不思議な、感覚だ。
メソッドを”使いこなす”とは
今回のカウンセラー体験は「エンプティ・チェア」というメソッドを練習してみる、という目的があった。
その練習をしてみて思うこと。
それは、「メソッドを使いこなす」というのは、自分の中からそれを”使っている”という感覚を”無自覚化する”ことなのだ、と感じた。
現に、経験豊かな方のセッションを見ていると、セッション中のメソッドは、プロセスの中で呼吸するかのように溶け込んでいて
いわゆる「使っています」という感覚を覚えることがない。
メソッドというのはきっと、経験を重ねながら、自身の内に”溶け込ませる”ことが大切なのだろう、と感じた。
思わず飛び出した名言(迷言?)・・・「リビング・プレゼンス」という言葉に対して ”降りてきたもの”
「ラビング・プレゼンス」。
本講座名の中にも標榜されているこの言葉は、カウンセリングマインドの原点ともいうべき「心の在り方」を表す。
それは、言うなれば・・・「まず自分の方から、心地よくなること」。
相手の存在そのもののエネルギーの美しさを、心地よく受け取って
その受け取った自分が、相手に対して心地よくなってしまうこと。
まず自分の方から始める、”存在レベル”のコミュニケーションだ。
そしてこのマインドセットで人と関わると、自然と人間関係が良くなってくる。
無論、本講座において最も大切なものであるといっても良い、イデオロギーである。
・・・そんななか、講師のあけみちゃん直々による今回の公開セッションは、夫婦のパートナーシップに関する主訴をもとに展開した。
セッションは深まり、着地・総括へ向かいながら ”場” が緩んでいくところで
そのクライアントのコメントから”一文字違い”の名言(迷言?)が飛び出した。
「”リ”ビング・プレゼンス」・・・?!
それは単なる言い間違いか、それとも ”潜在意識” からの声なのか(笑)。
着地に向け緩み始めた場の空気が更にドッと緩み、和やかな笑みが弾けた。
それはまるで、「心のあり方の理想郷」から「夫婦が話し合うリビングルームの光景」に
舞台が急転換したかのようなギャップ感があって、思わず和んでしまった。
しかし、その瞬間だった。
・・・この「リビング・プレゼンス」という言葉が、自分にとっては思わぬ”深みのある言葉”となって
自らの内に ”降りてきて” しまったのだ。
・・・それは、その人が刻んできた「人生の歴史」が醸し出す、存在のエネルギー。
傷もビリーフも、怒りも悲しみも、喜びも楽しみも、自己否定も自己肯定も・・・その全てを内包する、イマココの”その人”。
Living Presence 。
・・・それは、何があろうともその人が ”大いなる何か” から
一瞬たりとも途切れることなく祝福されつづけてきたことを表す、「いのちの光」そのもの。
Living Presence 。
・・・それは、その人が「心から生きたがっている方向」を示す、願いの羅針盤。
・・・1つとして、同じものが存在しないもの。
だからこそ。
組織やパートナーシップ、その他の人間関係をよりよいものにするためには
この「相手のリビング・プレゼンス」を、受信することが大切になってくる。
そして、その「受信器」こそが
ラビング・プレゼンス。
「ラビング・プレゼンス」をもって、まず自分から相手の「リビング・プレゼンス」を受信し、受容する。
その人間関係が、愛をもって・・・
循環を、始める。
・・・きっとそんなことが、起こると思うのだ。
自分にとっての「人間関係の成長課題」は
今回のテキストによる、人間関係に関するビリーフ等のチェックと考察をやってみて
これまでの自分が「人間関係」というものに対して追求していたものが、浮き彫りになった。
それは
「いかに無難に振る舞うか」。
・・・そしてそれは、もっと突き詰めれば・・・
「いかに ”関わらない” か」、というものだった。
そしてその背後にあったビリーフは「自分軸で人と関わることは、相手にとって”迷惑”になる」という感覚だったことがわかった。
今思えば。
これまでの自己探求によって行き着いた、”原初の感情”としてインストールされていたものが
まさかまさかの「人間界は訳がわからない、恐ろしい・・・何なの、これはーーーー!!!」だった自分にとっては、無理もない事なのかもしれない。
でも今の自分には ”新たなBeing” と共に、少しずつ、そうでない感覚が息づき始めている。
そんな中で、これからの自分に必要なものは「コレではないか」、と思っている事がある。
それは
周りにちゃんと「わからないよー!」「助けてー!」と言うこと。
それが、あの「訳の分からなかった、恐かった人間界」と、「そんな自分」を・・・
「まるごと受容する」ための、キーワードなのではないか、と思っている。
人間関係の学び。
・・・それは恐らく、変化する人生のプロセスの中で、一生学び続けるものなのだと思う。
そんな大切な学びを終え、早くもLPL講座は折返しに向かい始めている。
・・・早いものだ。
心の学び、自分に還る旅は続く。