LPL(ラヴィング プレゼンス リーダーシップ)養成講座、第5講
今回の成長のテーマは「ハートを開く」。そしてそのエネルギーセンターは、第4チャクラが該当する。
当記事は第5講・その3。

(これまでの記事: その1その2

「愛の眼差し」を、投影する

「愛の眼差し」を向けるということ

ハートチャクラ、ハートのエネルギーを開き、相手を観るということ。

人間として自我を携えたまま、そんな自分を俯瞰しつつ、その自我を超えたところにある「ハートの眼差し=愛の眼差し」を、開く。
清濁併せ持ったまま、自分の「神性」「仏性」と、つながる。

そんな時、人は、互いの「眼差し」だけで相手のエネルギーを感じ、敬意を示し、繋がることができることを、感得する。

「あなたの内なる神性、仏性に、ご挨拶申し上げます。」

そうして相手の眼差しと向き合い、その人のエネルギーを「感じ」、神性・仏性を「観じて」みる。

軽やかな ”飛躍の人”。
手を差し伸べる ”母性の人”。
どっしりと支える ”父性の人”。

それはノンバーバルでも十分伝わってくる。

そして。
本講座のファシリテーターの あけみちゃんと、眼差しを向け合った。

その眼差しは・・・果てしなく、深遠。
深遠なる、「”許し” の人」・・・そんな風に、感じた。

どれだけ。
・・・どれだけ、許すことと闘い、許すことと向き合い、許すことを明らしめて、許すことを許し続けてきた人なのだろう。

深遠なる、「慈悲」。

そして・・・本講座中も、そして日々の受講生同士の自主トレも、それ以外の日常も。
この「慈悲のまなざし」によって「安全・安心」が広がっているのだ、ということに気づく。

そんなあけみちゃんの「祈りのまなざし」に、思わず自分も「祈り」を返した。
 
 
あけみちゃんが好きだという、広隆寺の弥勒菩薩。

そして・・・

「あけみちゃんこそが、あの弥勒さんだ」。

・・・そう感じた。

「愛の眼差し」で観た相手の「輝き」「憧れ」もまた、その ”投影を取り戻す”

ハートを開いて、相手に見出す「輝き」や「憧れ」は、どんなものだろう。

思うままに、挙げて、時には相手に伝えてみる。

そして・・・その相手に伝えた相手の「輝き」や「憧れ」を「輝き、憧れる要素として定義している」のは、一体誰なのだろう?

それは、あなた自身だ。
そしてそれは・・・あなたのなかにその「輝き」や「憧れ」を持っているからこそ、その投影が起きる。

その投影と、その投影の「取り戻し」は、表裏一体。
だからこそ、あなたはその「輝き」や「憧れ」が自分の中に在ることを、受け入れてもいいのだ。

自我による同情や憐憫を超えた「慈悲のまなざし」

自我を一歩超えたところでハートを開き、愛の眼差しを向けたとき。

あの「イラつく人たち」「許せない人たち」は、どう見えるだろう。

あの人は、ただ”ああである”だけなのだ。
あの人は、”何かわけがあって” 、あのようであるのだ。
あの人は、”それだけの何かがあって” 、あのようであるのだ。

・・・それは、自我をもってしての「同情・憐憫」ではなく。
はたまた、自我をもってしての「いい人・悪い人」というジャッジも超えてみて。

眼差しを、向けてみる。

・・・それはまさに、「相手のあるがままを、あるがままとして見つめる」ということ。

勿論人間である以上、自分の色眼鏡から逃れることはできないけれど
その「自分の色眼鏡」を自分の領域のままにとどめたまま、眼差しを向ける。

それが人間としての「慈悲の灯明」、なのではないだろうか。

”大人” をやってしまっていた、子ども

”人生のエレメント” と、その ”エネルギーフロー” を、検証する

講座中に、あるワークのクライアント(フォーカスパーソン)となった。

自分の人生を取り巻く ”魂の目的” や ”愛”、”お金” といった「人生のエレメント」を、擬人化して布置し、その距離、方向の関係性から
その「エネルギーフロー」を観ていく実験だ。

擬人化による布置によって、各エレメントとなった仲間から、その「生の実感」が届く。
それはまさに、ありがたい「智慧の結集」だ。

自分の人生の各エレメントは、なんとも微妙な関係性の布置。
どこかに「互いが見えていない・気づいていない、微妙な距離・軸」が生じていた。

全体的に距離が近いのに、どこか窮屈。だから、その全体のエネルギーフローは、どこか散漫で、風通しが悪い。

そして印象的だったのは・・・「魂の目的」が、まだ微妙に「”親”軸」であったこと。

そして、そこから見えてきたビリーフ(思い込み・信じ込み)は・・・
「もっと親に報いてからでないと先に進んではいけない」、だった。

それは「今」というより、「過去に起きたまま、過去に置いてこれないでいる問題」だ。
 
 
・・・得体の知れない緊張が走っていた、あの時の家族。
自分はあのなかで「自分がいま、子どもであること」が、不本意だった。

大人として関与し、この家族が少しでも安寧であるように、役立ちたかったのだ。

でもそんなのは叶うはずがない。
子どもは「子ども」、だから。

そして、このマインドこそが・・・アダルトチルドレン(AC)。
・・・それをこの ”実験” を通して、改めて思い知った。

そして、もう一つ気づいた。
この ”悔いの念” こそが、ずっと続いていた「やってもやっても ”足りないエンジン” 」の原風景である、と。

ここまでわかったところで、自分自身をその「エレメント」の中に布置した。

全体の距離を拡げ、「風通し」と「見通し」を、改善した。

そしてもう一つ、やるべきこと。
それは、「アダルトチルドレンとしてのお役目」を、「親軸の”名残”」を・・・きちんとお返しすること。

いままで精一杯やってきたことを自ら認め、それを「お返しする」ことをこの”実験の場”において宣言し、「お返し」する。

すると、自分の「魂の目的」は、自分にこう言った。

「そんなあなたを・・・誇りに思う。」
・・・それは意外な、そして、自分で受け取ったことのない、力強い言葉。

今までの ”心の学び” を通して、自分を労い、自分に優しくしてきたつもりだったけど・・・
まだ、こんな ”言霊” があったなんて・・・

その「魂」の力強さに、思わず腰が引けてしまったところを、その”魂さん”は、自分を抱きしめた。
「あなたの魂の目的は、人類を目覚めさせること。小さい頃から家族を支えてきたのは、世界を支えられることを証明するため。」

・・・暖かな「何か」が、自分に宿った気がした。
そして「魂の目的」は、ネクストステージへと、その軸をシフトする。

その”熱”に共鳴した「愛」が、ガッチリとそれらを囲み、調和していく。

そして「お金」を引き寄せた「愛」は、こう言った。

「お金は愛の、息子である」
 
なんて素敵な、”名言” だろうか!!

確かに「お金」というのは、愛を持って自分の価値を提供したときに生まれる「愛の息子」と言っていいものだ・・・

そんな自分を取り囲む、新たなエネルギーフローの ”場” に、「愛の息子」が降り注ぐイメージをしてみると。
・・・そこには、共に「愛」もまた同時に対流を起こし、360度、全土に放射していくイメージが広がった。

これが自分の向かうエネルギー、ネクストステージなのだろうか・・・

・・・そんな余韻を残し、この ”実験” は幕を閉じた。
協力頂いた皆さんには感謝するばかりだ。

愛のもつれ、愛のゆくえ

今回はまた、上記のような”概念”ではなく”家族” そのものを(代役を立てて)布置し、そのなかで
起きていた「未完了の感情」などを掘り起こしていくライヴセッションも行われた。

それはまさに、クライアントにとって「愛のゆくえ」と「愛のもつれ」を見に行く ”心の旅” 。

・・・そんなライヴセッションは自分にとって、偶然にも自分の先程のセッションに共通する
「アダルトチルドレン」というテーマを見出すものとなった。

ACに起きていたこと、そしてACを取り巻く家族に起きていたこと。

ACが生まれる背景として言われるのが、いわゆる「機能不全家族」というものだけれど、
その正体はおそらく、「愛の機能不全」なのだ、と感じた。

そしてそれは「機能の不全」なのであって 「愛そのものが存在しなかった」のとは、違うものを感じた。

その親の、その家族の「愛の無さ」”に見えていた” もの。それは、もしかしたら・・・
その親が、家族が・・・そのまた親や家族から「”愛の無さ”という”毒”を引き受けた」がゆえのものだった、かもしれないのだ。

誰かのために「愛の無さ」という ”毒”を飲み、その誰かから「愛のない人」を引き継ぐことが
その ”愛のない人” にとっての「愛」だったかもしれないのだ。
 
 
その人の「愛の無さ」も、何らかの愛だったのかもしれない。
 
 
・・・もしそうだとしたら、人の愛というのは非常に複雑にもつれ、行方をくらませているものだ。

そして「大いなる意図」というのは、そんな家族のところに・・・ACを送り込む。
それはもしかしたら、その人が「その愛に気づき、愛の種となれる人」だからなのかもしれない。

実際、このライヴセッションのクライアントは、その家族のなかで「愛の塊」だった。

しかしながら・・・

その「大人をやってしまう子ども」は「自分が大人ではなく、子どもである」という事実への判断力を失う・・・なぜなら、子どもだから。
その「自分が、愛のかたまりのような人である」ことを見失うほどに、夢中でその家族のなかで奮闘してしまう・・・なぜなら、子どもだから。

だからこそ今、大人になった自分が、もう一度「あの時」へと、”心の旅” をして。

・・・あの時の自分と、繋がり直す。

あの時の「自分の愛」と、そして「自分の周りの愛」と、繋がり直す。

そうして、これまで以上にハートを開いていくことは、やがて「魂の目的」=ミッションへと、つながっていくのだろう。
 
 
 
ハートチャクラの、学び。
それは、自我を超える第1歩と、そこから広がる愛と魂の学び。
・・・そして、導かれる「慈悲の灯明」の学びだった。

そんなLPL講座も、とうとう終盤・・・早いなぁ。

講座翌日の朝に起きた ”不思議な体験”

Part-time Buddha からのメッセージ?!

そんな2日間を過ごした、講座翌日の、朝。

目を覚ました瞬間、横になったまま、こんな「内なる声」が、聴こえてきた。

「これまでの自分を・・・誇っても、いい。」
・・・その声を聴いた瞬間、自分の片側の目から涙がこぼれ落ちた。

なんだろう、これ・・・
 
 
そしてもうひとつの ”声” が聴こえる・・・

「自分の ”気づき” のスピードに、自分自身が追いつけていなくて、なんだか体がクタクタだ。」
その声とともに、今度はもう片方の目から涙がこぼれる。
 
 
あくびの涙とは、明らかに違う感じで。
そして、何かの「感情が動いた」感じがして。

・・・講座1日目で聴いた、Part-time Buddha からのメッセージだったのだろうか。

とても不思議な体験だった。
 
 
 
 
おしまい。
 
 

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