
「それぞれの旅」という名の、「ひとつの旅」。
LPL(ラヴィング プレゼンス リーダーシップ)養成講座。
カウンセラー&セラピストのほか、作家として著書も出されている岡部明美さん(あけみちゃん)のライフワークともいうべき長期講座だ。
カウンセラーやセラピストを志す人は勿論のこと、「やり方=Doing」だけではどうにもならない人生の分岐点に立ち 自己探求したい人や、カウンセリングマインドを持った”カウンセリングパーソン” として社員や自分と向き合いたい経営者なども集う、人気の講座だ。
岡部明美 プロフィール
岡部明美公式ブログ:POWER OF BEING
今回の学びは、人間に存在するエネルギーセンターである7つのチャクラのうち、第5チャクラ。
その成長のテーマは・・・「自分を生きる」。
自我=エゴ による自我実現を超えた、魂レベルでの深い自己実現。
そのための自己表現や自己発信。
自分という存在を矢面に立たせること。
・・・そのような成長テーマの学びだ。
学びのフェーズは「それぞれの旅」へ
今回の第6講。
その学びの内容は・・・
・・・ということを、これまでのように書くことは、もうできなくなってしまった。
もはや「講座に学び、他の誰かに学ぶ」というフェーズは、もう終わってしまった・・・そんなふうに感じた。
「自分に学び、自分に教わる」・・・そんなフェーズに、変容してしまったのだ。
そして・・・
これまでの学びと、それに伴う心のクリーニング・クリアリングは
その先にあった「それぞれのミッション・ヴィジョンへの旅」のための準備であったのだ。
その ”準備” というのは・・・
エゴを基にした未完了の感情やビリーフといった ”霧” を晴らし
それによって、自分の深いところにある本音や願い・・・つまり「”魂” のシルエット」を、
見えるようにしておくことだったのだと思う。
自我の解体、魂の産声
勿論第5チャクラの成長テーマにも、それに呼応したビリーフが存在する。
それは、言うなれば。
・・・自己表現や発信、そうやって矢面に立つことへの恐れ。
そしてまた、その基盤となる自己信頼への恐れ・・・といったものだ。
・・・これらのビリーフを、一つの禁止令として表すならば
私は、”私”を生きてはいけない。
だと思う。
だからこそ、人はエゴによって「他者との比較」を生み出し。
それを乗り越えるための「私ではない何者か」になろうとしてしまう。
もともとの存在である「いまここの私」を見失って、自分に様々なスペックや役割のハリボテを盛り続ける闘いに、挑んでしまうのだ。
そしてこの闘いは永遠に、その安寧が訪れることは・・・無い。
だからこそ、自分は・・・燃え尽きたのだ。
しかし、その燃え尽きは、むしろ「魂の産声」だった。
「”他の何者か” になろうとするのは、もう止めなさい。自分に、自分の魂に・・・還りなさい。」
・・・そんな、魂の力強さに、エゴが ”屈した” 瞬間だったのだ。
そしてあのときに起きていたのは、実はこの第5チャクラにまとわりつく、エゴが製造してきたビリーフの ”強制解体” だったのだと思う。
「私は、”私”を生きてはいけない」という思い込みの、強制解体・・・それが、自分に起きた”バーンアウト”の、正体だったのだ。
「感性」から湧き上がる ”ビジョン” とは
今回の学びの中心は、「感性」から湧き上がるビジョンを導き出していくコーチングワーク。
理性によるビジョンといえば、事業計画書などに代表される数値目標などがある。
それに対し、このLPLでのビジョンコーチングは「感性から湧き上がるもの」を導いていく。
そのコーチングは、もはや技法云々ではない。
「魂の旅人と、そのガイド」という”存在レベルでのコミュニケーション” が大切になる。
”ワンダーチャイルド” と ”大人の自分” による「共同作業」
この感性ビジョンを導くコーチングワークは、言うなれば・・・
”ワンダーチャイルド” と ”大人の自分” による「共同作業」だ。
実は「あのときの小さな自分」が持ち続けていた、この世界に対する ”深いところでの願い”。
それは言うなれば、理性偏重になってしまった大人の自分が「妄想・絵空事」として自分の内にしまいこんでしまったもの。
そして、それでも実は諦めずに、握りしめてきたもの。
・・・それを、「今の大人の自分」が 今再び、すくい上げていく・・・そんなワークだと感じた。
だからこそ。
・・・このビジョンコーチングをやるためにこそ、その ”魂の願い” を握るキーマンであるところの
”傷ついたインナーチャイルド”を癒やし、その子を「伸びやかなワンダーチャイルド」に帰してあげておく必要があったのだ。
そして、そんなクリーニング・クリアリングを経てこそ、気づくことがある。
それは・・・
”欠落”の中にこそ・・・その”嘆き”の中にこそ、その人のミッションがあり、ヴィジョンがある、ということ。
得られない故の欠落。
得られない事の嘆き。
・・・それは、そのことへの「諦め・手放し」によって、別の選択肢へ向かうことも、できたはずなのだ。
でもそれができずに、握りしめ続けてきたもの。
場面を変え、舞台を変えて、現れ続けても諦めきれなかった「欠落と嘆き」。
そこに秘められた、子供の頃から携えてきた「深いところの願い=魂の願い」は、何か。
・・・その中にこそ、その人のミッションがあり、ヴィジョンが眠っている。
そしてその諦めきれなかった「欠落」が、「嘆き」が、深ければ深いほど・・・
まるでシーソーのように、眠っていたミッション・ヴィジョンは、成熟した姿をもって浮かび上がり、目覚めるもののようだ。
一方でこの、諦めきれなかった「願い」。
・・・それがもし、「魂レベル」ではなく「エゴのレベル」のものであるならば。
そこから導かれるヴィジョンもまた「欠落の投影」であるが故の「エゴの施し」になってしまう危険もあったりする。
「あなたのため」という衣をまとった、「私の癒やしのための施し」になってしまうかもしれないのだ。
だからこそ、「成熟したミッション・ヴィジョン」を導くために
自分の「欠落・嘆き」と、深く向き合って、探究していくことが大切だ。
それは時に見たくないし、痛いものではあるけれど・・・
エゴを経由し、エゴを超え、魂の深さまで潜ってこそ
それと呼応するように、自分のミッション・ヴィジョンもまた「エゴの施し」を超え、自我実現を超えた「自己実現」へと、昇華していく。
真実の涙
そんなビジョンコーチングをしていると。
その ”旅人” が、自らの深い「魂のリソース」に ”還る瞬間” に立ち会えることがある。
そんなとき、その ”旅人” は・・・涙を流す。
それは「悲しい涙」とも「嬉し涙」とも異なる・・・
「真実の涙」だ。
人は、自分の「魂の真実」に触れたときにもまた、涙を流すものなのだ。
そしてその涙は、とても崇高で美しいものだと思う。
”それぞれ” の本質は ”全体性” へ還る
人それぞれが持つ、豊かなリソース。
人それぞれが持つ、深いミッション・ビジョン。
自己探究を通じて、これらを自己承認し、受容し、信頼していく。
そして、それらを使って、それらを道標にして。
・・・それぞれが独自のルートで、”人生” を登っていく。
このエネルギー感もまた、人それぞれだ。
尾根を登るのが得意な人もいれば、谷を行く人もいる。
スポットライトを浴びる人も、裏方・職人も必要。
それらのつなぎ役も必要。
その全体を励まし、サポートする人もいる。
空の如く、軽やかに。
虹の如く、華やかに。
大地の如く、どっしりと。
大樹のごとく、しっかりと。
それぞれが自らのエネルギーをフローに乗せ、頂を目指していく。
そして、気づくのだ。
”それぞれ” だと思っていたものの本質が、実は・・・
”大いなる一つの全体性” に根ざしているのだ、ということを。
全体性の頂を目指し、それぞれが、その全体性とつながる。
「一なるもの」と、つながっている。
それを人は「幸せ」とか「平和」といった風に言語化するのかもしれないけれど。
「大いなる全体性」が内包しているものは、それすらも「部分である」という風に返答するのかもしれない。
自我を超え、魂に屈し・・・全てとつながる。
「それぞれに還る旅」の本質は「全体性に還る旅」であるようだ。
そんな仲間との旅も、いよいよ最終講へ向かって、進んでいく・・・
おしまい。