「感情の旅」「身体の旅」

11月に12期が修了となった、LPL(ラヴィング プレゼンス リーダーシップ)養成講座
カウンセラー&セラピストのほか、作家として著書も出されている岡部明美さん(あけみちゃん)のライフワークともいうべき長期講座だ。
カウンセラーやセラピストを志す人は勿論のこと、「やり方=Doing」だけではどうにもならない人生の分岐点に立ち 自己探求したい人や、カウンセリングマインドを持った”カウンセリングパーソン” を養成する講座。
そしてこの講座は、経営者にファンの多い芳村思風先生の”新しきリーダー論”である「感性論哲学」の潮流も多く取り込んだものでもあり、経営者の方にも人気の講座だ。
岡部明美 プロフィール
岡部明美公式ブログ:POWER OF BEING

そのLPL講座修了とともに、その修了生向けにより深いセラピーのワーク・メソッドを教わることのできる「マスターコース」が開講。

その第1ステージは、「ジャーニーワーク」

・・・とは言っても、本家とは少し異なり、LPL式にアレンジされたもの。
ジャーニーもまた、他の多くの欧米発による心理療法と同じく、西欧文化独特の精神性や言語感覚でできているので、
それをあけみちゃんは、日本人の精神文化と言語感覚をベースにして”LPL式”のジャーニーワークを作ったのだそう!

そんな「LPL式ジャーニーワーク」・・・いざ受講!である。

世界的マインドボディセラピー「ジャーニーワーク」とは

ブランドン・ベイズが自らの体験から編み出した「ジャーニー」は、革新的マインドボディセラピーの手法で
オランダやカナダを始めとした公共機関でも導入されているワーク。
ブランドン・ベイズ 著:ジャーニー ―癒しへの旅―(単行本)(Amazonリンク)

ジャーニーワークには「感情の旅」「身体の旅」という、2つのワークがある。

まず「感情の旅」ではLPL講座内でも学んだ「感情には層がある」ことをワークを通して体感・体験するもの。
感情の層を下りていきながら、すべての感情を味わい尽くし、抑圧されていた感情をも超えてゆく、不思議な体験。

・・・それを深く体験した人というのは、その「感情の層」の果てに「自我を超えた、大いなる源のようなもの」にたどり着くのだという。

そして、そのことによって “自分とは感情でもなければ、思考でも身体でもない” ことを感得するのだ、という。

また、その源へのアクセスと、源からのメッセージは、その人に大きな変容・浄化をもたらすのだそうだ。
 
 
もう一つのワークである「身体の旅」では、自分の体内をまさに旅しながら「からだの叡智」からのメッセージを受け取るワークだ。

「感情の旅」も「身体の旅」も、自分の本質が何であるかを理解し、“大いなる源”からのメッセージを受け取る。

ちなみに、今回の講座内では「身体の旅」の講義の方で、クライアント体験をすることができた。

「ヒプノセラピー」とは似て非なる世界観

深い意識領域を扱うセラピーとしては、代表的なものとしてヒプノセラピーなどがある。
自分はあまり詳しくないのだけれど、ヒプノセラピーというのは「思考やイメージ」の領域も扱いながら
「自我領域の納得感」を主軸に行われるセラピーであるようだ。

対して ジャーニーメソッドは、強い体感覚や感情といった「感性の領域」に留まり、
且つ「自我を、個を超えた ”源” へたどり着く」という世界を目的観にもつメソッドである、ということのようだ。

おそらくセラピーのプロセス中においては、いずれの方向性も起こりうる状況が常にあり
また、結果としてどうなるかは完全にコントロールできないのだと思われる。
とはいえ、それをガイドするセラピスト側がどちらの目的観をもってクライアントに接するか、というのは一つ重要な部分になるのかもしれない。

「感情の旅」のワーク

クライアントの様子を、見守ってみて

講師の あけみちゃんによるレクチャー等のあとは、グループに分かれて 1つ目のワークである「感情の旅」。
今回自分は いわゆるオブザーバーとして、ガイド者と、そのクライアント(パートナー者)を見守った。

まずは通常のカウンセリングのように傾聴から始めていき
そこから強い「体感覚ないし感情」が出たところで、それらをトリガーにして
目を閉じ深い意識状態に入り、「感情の旅」へとガイドしていく。

ジャーニーワークは「常に ”感性タイム” に留まる」

一般的なカウンセリングやセラピーにおいてクライアントは、主訴を話す、質問を理解する、などといった「理性タイム」と
その時の感情・感覚を感じる「感性タイム」を往来するもの。

対して、ジャーニーワークはそのプロセスとして「常に ”感性タイム” に留まること」がコツのようだ。

だから、このワーク中はクライアントが「アタマの方を使って話をしていないか」、という事を
感覚レベルで感知・察知し、そちらへ行ってしまわないようにガイドする必要があるのだ。

クライアントの話すことがイメージや記憶主体だったり、説明的だったりするときは「アタマ」で話をしているので
そこをうまく「感覚・感情」に戻るように、ガイドをする。

そして・・・そんな様子を見守っているだけでも、不思議なもので。

その人が「アタマで喋っているかどうか」、というのが・・・

内容ではなく、「周波数レベル・感覚レベル」でわかるようになってくる

・・・なんて事を言うと「アヤシイ?!」などと思う人も、いるかもしれないけど
そういったことは、実は日常においてもよくあること。

たとえば、女性が「ねぇ・・・今のソレ、本気で心から言ってないよね」って言う時の、アレだ(笑)。

要は「勘が研ぎ澄まされている状態」なのだろう。

クライアントを見守っていて感じたもの

そんなクライアントの「ジャーニー体験」を見守っていると、感情には様々な層があることが、感じられた。

そんななかで自分は、この「感情の旅」に、こんな世界観を感じ取っていた。

1.エゴの層

エゴの層はまさに、これまでの自分史における「感情の堆積層」。

感情というのは本来、起きた瞬間に過ぎ去っていくものであるけど、
人間はそれを「(感情)記憶」として潜在意識に堆積させる事ができるのだろう。

それは自分にとって陽的なものもあれば。
・・・できれば見たくない陰的な性質の感情記憶も ”蔵識” させる。

それは、いわば「未完了の感情」ともいうべきものだ。

未完了の感情には、その背景となった”心の傷”が、体感覚も伴って張り付いているし
それを二度と味わわないようにするために立てた誓い、つまり「ビリーフ」も紐付いている。
そしてそのビリーフの裏には「本当はどうしたかったのか、何がイヤだったのか」という「ニーズ」も紐づけされている。

こうして紐付けされた1ユニットが、一つの感情の「層」を構成している。
・・・そんな風に感じた。

そして、その1ユニット1ユニットが、「自分史の進行」につれて堆積し、今の自分がある。

そのため、ジャーニーワークはその”ココロの自分史の堆積層”を「遡るように見ていく」ことになるのではないか、と感じた。

2.ミステリアスな層

そんなエゴの層を旅していると、クライアントはどうやら
必ずといっていいほど「暗く、謎めいていて、絶望的な恐怖・戦慄を覚える」層に、ブチ当たるようだ。

そんな時のクライアントは身体を強張らせ「これ以上進めない!」「もう嫌だ、引き返したい!」といった「ヤバイ何か」と直面するようだ。

その層に直面したクライアントの様子から感じたこと。それは・・・

「この”層”というのは、もしかしたら・・・
”死”の、層。」

そしてそれは、より正確にいうと

自我の死。

人が「生」と共に「自我」を授かることで逃れられない、二元性の種とでもいうべきもの。

人間は自分のことを、「肉体」と「マインド」、そして「性格」と同一化して生きている。
そこに疑念の余地がないほどに、自分を同一化させているのだ。

だからそれを「失う!」という恐怖が、「”自我の”死の層との直面状態」にはあるようだ。
・・・そしてそれは、体験者によると「ブラックホールのように感じる」から「ものすごく怖い」のだそう。

でも そこを超えていくことで、「自我は本当の自分ではない」という「悟り」が訪れるのだという。

3.大いなる源

そんな「自我の死の層」を超えていくと・・・
そこには、「大いなる源」という ”最深部” に、たどり着くようだ。

それをどのように名付けるかは、ひとそれぞれ。
「全体」「安らぎ」「神」「光」「純粋意識」「存在」・・・

・・・それもまた、その感得した人からの「真実の言葉」として、発せられるものなのだ。
そうやって「自己の(本当の)本質」に気づくと・・・
それまでエゴの層にへばりついていた古い感情と、そこにセットでついているビリーフも自然に剥がれていくケースも多いようだ。

もしかしたら顕在意識も潜在意識も、ダイレクトかつパワフルに ”大掃除” してしまうような、そんな境地なのだろうか!・・・凄い。

一層一層「剥がす」プロセスか、「そのままに、見に行く」プロセスか

一般的な(といっていいかわからないけれど)心理カウンセリングやセラピーのプロセスは、「今現実に起こっているストーリー」を基にして
その原因となっている「感情の層」の一つ一つを、玉ねぎの皮むきの如く順繰りに「剥がしていく」プロセスであるように感じる。

これに対しジャーニーは、その堆積層を、”剥がす” のではなく、
その堆積層のままに進んでいって中心部へと突入し・・・
個を超えた「全体性」、はたまた「純粋意識」とでも呼ぶべき ”大いなる源” まで
直接たどり着こう、というようなパワフルかつダイレクトなメソッドなのかもしれない、と感じた。

その分だけガイド側の在り方やクライアントの感性へのコミット度、
そして共同作業で深く進むための難易度は高いのかもしれないけれど
うまくこのワークが「ハマった」時の浄化と変容は、非常にパワフルなものになるのではないだろうか。

実際この講座中においても、そんな「最深部」まで行けた人もいて。
とても感動的なことが起こっているのが、傍から見てもわかるほどだった。

「感情の層」を戻りながら、許し、和解する

「感情の層」を進むプロセスによって ”どこまで” 行くかはわからないけれど
その「進む」プロセスのあとは、そこから「戻る」プロセスがある。
そして、その各層において起きていた事だったり、それを取り巻く状況との”許し”や”和解”を行うプロセスが行われていた。

ジャーニーのワーク、そしてそれに伴うプロセスは非言語的な部分も多いけれど、
クライアントの ”感性” を基に実況されるものから、その世界観を想像以上に感じ取る事ができた。
 
 
人というのはもともと、人であるが故の「個」を超えた「純粋意識」であり・・・
「全体性」であり「宇宙」であり、それをも超えた「不空」であり・・・
 
存在、だった。
 
そんな「存在界」から。
その全体性に属したまま、人として、個として分岐するため
その架け橋として「魂」を使い、それを「個の身体」に宿して・・・
 
「生」を受け・・・「人間界」に、降り立った。
 
その「生」は同時に、「死」を産み出した。
 
その二元性を種に、個から「エゴ」が、産まれた。
 
エゴは、エゴ自身を守るために、純粋意識を封印し、自己意識を封印することを企てた。
 
そして「エゴ=自己である」、という「エゴとの同一化」を編み出した。
 
「エゴとの同一化」によって、人は「エゴの死=自己の死である」というマインドとも、同一化した。
 
そうやってエゴは、その人を「エゴの意識」によって生かさんと、「感情の層」を堆積させていった。
 
 
 
・・・これが、「感情の旅」のワークを見守っていたことで感じた、
「深層部から上層部へと層が堆積していく世界観」だった。

常日頃の ”意思決定” も、この「感情の層」の指揮下にあるのだろうか?

そんな「感情の旅」のワークを見守っていると、こんなことに思いを馳せていた。
 
 
「常日頃の ”意思決定” も、この「感情の層」の指揮下にあるのだろうか?」 

・・・外界からやってくる言葉や態度、有様などの情報といった「ストローク」に対する意思決定は
結局のところ、この「感情の層」を使って ”演算” し、意思決定という名の ”値を返して” 行われているのではないだろうか?
 
 
例えば・・・ある状況では、あまり深入りしないところまでにして、人間関係を楽しんでいたりする。
その楽しみ方は実は、その奥にある「諦めの層」が、そのストロークを跳返していたりする。

「ここまでならば、都合がいい。」
「そこからは、見ないようにしたい。」

・・・そんな無意識の自動反応は、実はこの「感情の層」が作用しているのではないだろうか。
 
 
で、あるならば。 
・・・「感情の層」を旅して、その最深部である「大いなる源」を見抜いた人というのは
もしかしたら、その「大いなる源」をもって、外界からのストロークに対する意思決定ができるようになるのかもしれない。

そして、そんな高次の意思決定というのは、きっと・・・

エゴに惑わされない、深い所から出てくるヴィジョンに根ざした意思決定のエネルギーと
そこからもたらされる深い味わいの人生を、もたらすのかもしれない。
 
 
「感情の旅」・・・初めて触れてみるだけでも、とても神秘的で、深淵なワーク。
もともと開発者の「体感・体験」からダイレクトに生み出された、”人間神秘のコア” に突入するようなワークなのだと思う。

それゆえに、このワークは「学習」というレベルではなく「体感・体験」というレベルでないと
「わかった!」とは言えないものであるように思った。

 
う~ん・・・凄い。
人間って、不思議で面白い。
 

その2へつづく。

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