逃げ切れなかった、「本当のこと」との邂逅。

3月から受講を開始したビリーフリセット®カウンセリング講座(BRC)。
カウンセラーであり、音楽家としてもご活躍の大塚あやこ さん の独自メソッド、ビリーフリセット®を学び、カウンセラー、ないしカウンセリングパーソンを育成する講座だ。

その修了要件にして最大の特典が、講師である あやちゃん直々のカウンセリングを受けられること。
今や予約困難なあやちゃんのセッションのクライアントになれるなんて、非常に骨太の体験なのだ。

それが、今日だった。

主訴にしたかった ”それ” の扉を今、開く

ここ数週間、自分にとって重たい ”それ” を抱えながら、過ごしてきた。

”それ” はBRCの講座の中で気づいてしまったものだったからこそ、あやちゃんの元で向き合いたかったのだ。

前回の講座で ”気づいてしまったもの”

それは、エニアグラム性格診断における現時点での自己のタイプ・「タイプ5(探究者タイプ)」の、家族観に関する ”よくある傾向” について語ったフレーズだった。

タイプ5は ”家族” のことを・・・

「家族 = ”危険” だと、思っている」。

この言葉は、自分にとってあまりにも不意打ちだった。

その言霊は、思考タイプであるタイプ5の持つ「分厚い思考の鎧」の間隙を縫って、心と肚に直撃してしまった。

自分の辞書には無いはずだった、その言葉・・・そのあまりの ”生々しさ” を直感した瞬間、思わず自分で

「あっ、そう思ってる!」

と、言葉にしていた。

そして、その刹那。・・・・自分で吐いたその言葉の持つ、”実感の威力” に

脳震盪を起こしそうな衝撃と目眩、吐き気。

もう、頭なんかを飛び越えて、心と肚で・・・わかってしまった。

「これ」が、本音だ・・・

更に言えば、タイプ5の人は家族のみならず、そこから「 ”人間界”そのもの = 危険なもの」という認識まで伸びやすい・・・という言葉も、とても刺さった。

そして、もう一つの「タイプ5が辿り着きやすい境地」に、追い打ちをかけられてしまった。

それは・・・
タイプ5の人は

”虚無感” を抱えやすい。

この言葉も「たった今開いてしまった”本当”」に向けて、グサグサと刺さった。

そして、絶対に降りてきてほしくなかった気づきが、怒涛のように自分の中に降り注いだ。

自分は・・・

家族=危険だと、思っている。
 
どうにもならない人間界が、虚しい。
悲しい。
寂しい。
 

・・・そんな「本当のこと」が、、本当の傷が、自分に眠っていた・・・ということに、気づいてしまった。
 
 
・・・気づきたく、なかった。

気づきたくない「本当のこと」を ”亡きもの” にするために選んだ「”思考” という名のギプス」

そして、芋づる式に腑に落ちたのは。

・・・なぜ自分が、「思考タイプ」になったのか。
なぜ、自分がエニアグラム・タイプ5を顕著にし、その道を進んだのか・・・ということ。
 
 
・・・「結局、そうするしかなかった」のだ。
 
 
自分の中に眠っていた「本当のこと」・・・
 
「危険である」という、家族観。
虚無に立脚した、人間観。
 
そんな自分・・・なんて、絶対に気づきたくない。
 
無いことにしたい。
 
無いことにしたまま、この人生を逃げ切りたい。
 
そのためには、自分の「心」や「肚」には、絶対にアクセスしてはならない。
 
 
なぜなら、そこには・・・

「本当のこと」が、眠っているから。

となれば、残された手段は、一つしか無い。

それが

思考の鎧。

思考をフル回転させて何層もの分厚い鎧で囲い、「本当のこと」を巧妙に、自分から見えなくする。

よく考えろ。
もっと大変な家庭なんて、いくらでもある。
経済的にも大変な思いはしなかったではないか。
 
我が家は愛情の溢れた家である。
暖かい、安全な家である。
だから、自分の心は安定しているのである。
 

そんな「思考証拠」による「自己説得」を絶やさないようにする。

そしてその間に、なんとかして「この自分を変える」。
もしくは、そう思わせてくる「外側(家族)に渦巻く ”問題” を究明し、解決」したい。

・・・これが、「思考の鎧」をギプスにし、タイプ5の気質が顕著になったルーツだったと感じる。
 
 
でも、気づいてしまった。

結局・・・「本当のこと」から、逃げ切れなかった。
やっぱり「本当のこと」からは、逃げられないのだ。

そして。
その ”本当さん” と出会ってしまった、「本当のことを無い事にしたかった自分」

”彼”にとっては、この ”本当” を持っていた自分が、あまりにも悔しくてたまらなかった。

あんなに頑張ってきた家族なのに。
誰も悪い人なんていないのに。
 
そんな”家族というもの”に対して、本当は「危険」「虚しい」を抱えている。
 
・・・なんて残忍なんだろう。
・・・なんて、冷酷なんだろう。
 

ただただ、悔しかった。

それを「無い事にする」ために、必死で頑張ってきた「無い事さん」にとって、「本当さん」から逃げ切れなかったことが・・・

ただただ無念だった。

エンプティ・チェアによる「無い事さん」と「本当さん」の対話

家族や、ひいては人間界に対し「危険」「虚しい」「悲しい」「寂しい」を感じてきた・・・「本当さん」。
そんな本音を持っていることを無いことにし、そうではない自分に変わるために必死だった・・・「無い事さん」。

この自分の中にあった ”葛藤の二人” を あやちゃんは「エンプティ・チェア」という方法で対話させることにした。

対面で配置した二脚の椅子。
そこに「無い事さん」と「本当さん」をイメージし、そのうち一方・・・まずは「無い事さん」に自分が座った。

そして、無い事さんである自分が ”空の椅子” にいる「本当さん」と対面した。
 
 
 
「無い事さん」である自分は「本当さん」に、こう話した。

「・・・今とうとう対峙してしまった ”あなた” と どう向き合って良いのか、わからない。
でも、これからのために向き合いたい・・・その方法を教えてほしい。」
「今まで ”あなた” を無い事にしようとしてきたことは、自分にとって他に選択肢のない唯一最善の方法だった。
こうするしかなかった。それだけは解ってほしい」

自分なりに「無い事さん」の無念さを伝えたところで、反対側の「本当さん」になるよう促され、座った。

その瞬間・・・「からだ」がスゥーっと楽になり、緩んでいくのを感じた。

そして、わかった。

・・・どれだけ「無い事さん」は、緊張と混乱で強張り続けてきたのか。
 
 
一方で、こうしてようやく「本当さん」の座に腰掛け、”一つになる” 。 
・・・この ”手続き” によって初めて、自分が「本当の自分の感情を感じる」ことに許可を出せたからこそ・・・楽になった
のだ。

・・・そして、そんな「本当さん」となった自分から出てきたのは・・・
「無理もないよね、こんな ”本当” が眠ってたんだもの・・・」という「無い事さん」への気遣いだった。

ここですかさず、あやちゃんからサジェスト。
 
「相手ではなく、”本当さん自身の感情”はどう?」 

この一言から「もう ”本当” を感じてもいい自分」を使って、この「本当さん」の、更に深い層へ潜っていく・・・
 
 
家族や人間に関すること・・・
「虚しかった」。
「悲しかった」。
「寂しかった」。
「安心が、なかった」。

「パニックしていた」。

・・・

恐い。

自分の潜在意識の中で ”強大に” 存在していた、恐怖。

「恐い、って実際に・・・言ってみて」・・・あやちゃんに促される。

「 恐い、と ”口に出すことが恐い自分” 」が出てきて、また恐くなった。

意を決した。

「・・・恐い」

その瞬間、ハッとした。

ずっと潜在意識に抱えてきた「恐い」の、 ”真の姿”。

それは

無垢なる小さな「コワイちゃん」だった。

暗さの中にわずかに光る、仄明かりのような「恐い」。

生まれたての自分とシンクロするような、小さな「恐い」。
・・・これが「恐い」の、真の姿だった。

そして、この「思ったよりずっと小さかった、コワイちゃん」。
「これを感じてもいい」と自分に許可を出し、実際に「コワイ」を感じた今。

こうして初めて、本当に楽になった。

人間にとって最も恐くて、突破できないのは

「自分の中の ”恐い” と ”本当に” 向き合い、感じること」

 
だったのだ。

そして、この小さな「本当さん」は「無い事さん」に、「ほら、私 居ても大丈夫でしょ?」と無邪気に声をかけた。

ここまで緩んだ状態で、再び「無い事さん」へ戻ると・・・今度は戻ってもなお、緩んだままでいられる「無い事さん」に、なっていた。
そして向き合っている「本当さん」の姿は、「無い事さん」から見ても、決して残忍でも冷酷でも、なかった。

・・・こうして、ようやくお互いがお互いにとって「そのままでいてもいい存在」になるところまで、緩んだのだった。

産み落とされた瞬間に持ってしまった、「恐い」から始まるストーリー

無垢なるこどもとして生まれた時点で根源的に持ってしまった

「恐い」。

さらなるイメージワークで家族を見ることによって、それは「避けられないものだった」ことが、腑に落ちてくる。

STARTボタンを押した瞬間から、家族ステージのBeingが「ハードモード」だった

40半ばで倒れ、認知症等で要介護状態になった祖父。
そんな「祖父を献身的に支える一家の主」をやらねばならなかった、祖母。
・・・「という自身の世間体を守りたい」祖母から、”そうある為の全て”を丸投げされてしまった、父と母。
我が家の従業員から婿養子となった、父。
そんな「私の娘と結婚した”元従業員”」という祖母からの抑圧を抱えた、父。
仕事と介護、その他のこと・・・本当の大黒柱であるはずの、父。
そんな両親と夫との関係に挟まれた、実の娘である母。

・・・こんなバックグラウンドの中で、お互いがその肚に「何か得体の知れないもの」を抱えている緊張と、そのピリピリを代償にした均衡。
自分は物心ついたときから、その「何か」を感じ、早くからそれを言語化できるほどに、解るようになってしまっていた。

そして、そんなステージに生まれ落ちた自分は。

・・・STARTボタンを押した瞬間から、家族ステージの ”あり方=Being” が・・・「ハードモード」だったのだ。

自分が生まれ落ちてきた場所。

そこには既に「こころの安心・安全」という ”クッション” が、なかったのだ。

顔から、腹から「得体の知れない地表」に・・・ベシャンと、叩きつけるように、生まれ落ちる。
そして、見渡すと、そこには「得体の知れない自分を抱えた人たち」が、家族として存在していた。

・・・そうか。

自分のこの「無垢なる小さなコワイちゃん」の製造元は

この家族の「得体の知れなさ」だったのか。

こうして、生まれた瞬間に「恐い」が生まれる。

そして、その「恐い」を元にして、この「得体の知れなさを抱えた人たち」を前に、生まれながらにして・・・
 
ある「問い」を立ててしまっていた
のだ。

何なの、これ?!?!?!?!

この家族は一体、何なのか。

・・・この”人間”って。人間界って。

一体、何なのか。

そして、この「問い」を立ててしまったが故の宿命。

それは

この「問い」の解を求めるために、探求し、洞察し、思考し続け・・・突き進む。

この「何なの?!」を何とかするために、思考の鎧、タイプ5のギプスを使うしかなかったのだ。

自分一人で。
それ自体が「安心感がないことからくる葛藤」が原因であるということすら気づけず、答えを出せない自分を責めた。

解決のための”条件”を外部へ探し求め、「他人軸劇場」を繰り返した。

そして・・・解を出せるはずもなかった。
「その人たちが得体の知れないこと」への解なんて、その当人以外には出すことができないのだから。

 
 
そして。
いつまでも解を出せない「虚しさ」。
一人で突き進み続ける「寂しさ」。
すべてがうまくいかない「悲しさ」。

なんとかしようとすればするほど増大する、「パニック」。

これらの「”本当さん” の階層」が、大人になればなるほど「無垢なる小さなコワイちゃん」どんどん大きく包み込んだ。
そしてその塊がまるで一つであるかのように「どうだ、これぞ ”強大なるコワイ” なのだ。だからコチラを見ないようにしろ!無いことにしていないと大変なことになるぞ!」と語りかけ続けてきたのだ。

・・・「無垢なる小さなコワイちゃん」を産んだ瞬間に、「それを見てもいい自分」を選択できれば、こんな錯覚の人生に陥ることは無かったのに。
 
 
しかしながら、この壁を突破した今、その正体は「無垢なる小さなコワイちゃん」だと気づいた。

そして、その「無垢なる小さなコワイちゃん」から 即座に派生してしまっていた「”何なの” 感」。
 
 
「こわい」と、「なんなの」。
 
 
自分の人生を突き動かしてきた根源。
 
自分のなかの、「本当」。
 
それは、たったこれだけ・・・たったこの、2つだったことが

・・・実感、リアリティをもって・・・腑に落ちた。

えぇえぇぇぇぇ・・・・

なにこれ・・・・・
 
 
もうwwwwwwwww
 
 
うわぁ・・・・・・
 
 

あ~あ・・・・・

でもこれが・・・「本当」。
 
 
残念だけど・・・「本当」。 
 
 
しょーもないほどに・・・「本当」。 
 
 
自分の人生を動かしてきたコアは、この「モワワ~ンとした、野暮ったい2つのエネルギー体」だった。

そして、そのエネルギーでもって、「家族=安全」を探し求めてきた。

しかし、それを探し求めている時点で、本当は気づかなければならなかったこと。

それは

それを「探し求めている」時点で、「本当さん」は既に・・・ ”そうではない” のだ、ということ。

そしてもう、認めなければなるまい。

・・・自分の生まれた家族の ”Being” は・・・

残念ながら、ひどいもんだった。

そしてそこには・・・

良いも悪いも、ない。

 
・・・美しさなど皆無の、着地点だった。
 
 

大いなる宇宙、”神の視座” から ”この人間界” を見る

ここまで来たところで、この全体を、もっと大きな視座から・・・眺めてみる。
 
大いなる宇宙、”神の視座” から。
・・・そこから ”宇宙による何らかの意図” をもって産み落とされた「宇宙の子」である”自分”を、見る。
 
この視座は ある意味では、諦め・・・というよりも、”明らめ” というべき視座だ。
 
”こうなっちまった” 自分を俯瞰し、明らめ、受け入れる。
そんな視座から、この”人間界”で生きることになった ”宇宙の意図” へ、思いを馳せる。

すると、直感したものがあった。

自分は「何らかの大いなる意図」をもって、「この家族」という「修行場」に、生まれ落ちた。

そしてそこで、「宇宙の意図」するところの通りに、まんまと・・・ある能力を錬成した。

それが

探求し、洞察し、思考する・・・「深掘りの力」。

この力を磨く人は、そもそものところで、根源的なところで・・・
「何なの?!?!」という問いを立ててしまった人・・・ということのようだ。

そして。
家族界、人間界での安心感を代償に宇宙から引き受けた「この能力=問うチカラ」。
・・・これはおそらく「家族」という ”最初の修行フィールド” だけに作用させる為のものではない・・・のだろう。

結局この ”人間界” には、こういう ”自分の中に得体の知れない何か” を抱えて生きている人が、そこらじゅうに跋扈しているのだ。

「それを抱えたまま生きる人 に対しては、それが大切な人であるほど ただ「心を痛めて見守るしかない」のではないか。
しかし、だからこそ・・・
そういう方たちのために、自分の ”問うチカラ” を作用させて生きる事が、”宇宙の意図から与えられたミッション” ではないか。

それこそが、”慈悲” というものでは、ないだろうか。」

・・・不思議なほどに実感を持って、自分に・・・ ”届いた” 言葉だった。

これからへ向けた「アドバイス」と「メッセージ」

通常カウンセリングは”本人の内側からの気付き”を大切にするため「アドバイス」は無いものの、今回は最後にあやちゃんからアドバイスをもらった。

○この「無垢なる小さなコワイちゃん」は、今後も携えたまま生きることもできるけど。
それを対処して生きることもまた、できる。
 
・・・なぜなら今の自分は「もう大人」、なのだから。
 
 
 
そしてもう一つは、メッセージ。
 

○自分の中にあった「本当」。
「こわい」と「なんなの!!」。
・・・この中にこそ、「才能」「ミッション」がある。
 
この中にこそ、「ここから咲く花」「さらに蒔ける種」がある。
 

・・・とても心強く響く、実感のこもるメッセージだった。
 
 
そう、これこそが・・・ 
・・・”かつて同じプロセスを踏んできた” という あやちゃんからの、メッセージだったのだ。

 
 
とても嬉しかった。
 
 

最後に あやちゃんへ伝えたかったことを、伝える

このセッションの日をもって、ちょうど1年を迎えようとしていた。

・・・心身強制終了によってこれまでの人生と、それを支える価値観がガラガラと崩壊した、絶望の日々。
そこから偶然あやちゃんのブログを見つけ・・・ビリーフリセット®初級講座で、初めて ”大塚彩子さん” と会った。

講座内での、公開デモセッションの終わり。
そして、講座1日目の終了時。

まだ「心が死んでいた自分」に、この人生で初めて、”本物の” ・・・

「大丈夫」、という言葉を、かけてくれた人でした。

心が死んでいたあの時はまだ腑に落ちていなかったけど、あれから1年。

・・・あのときの「大丈夫の種」を、少しずつ育てています。

あやちゃん、いつも本当にありがとうございます。

これからもどうか、よろしくおねがいいたします。

最後に

しみじみと今日のセッションを感じながらの、帰り道。

なんとなく空を見上げた時 ふと、「これ」に、どうしても一言、物申したい気分になった。
 
・・・ 

何なのおおおぉぉぉぉーーーーーーー!!!!!

ふぅ。
 
 
宇宙の意図とやら。大いなるものとやら。

よっちゃんはただ、当たり前の安心に包まれて、内観や自己探究の必要性なんて思いもよらないマインドセットで、ただ楽しく生きたかったのに。
なぜ、こんな ”行” を自分に授けたのだ・・・
 
 

・・・いつか一矢報いてやるからな・・・
 
 
 
おしまい。

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