自己否定も、自己肯定も、頼りにしない

さぁ行け、人生の被検体。

この週末は、迷いに迷った。
 
慣れ親しんだコミュニティーのイベントに出るか。
ほぼ全員と初対面になるイベントに出るか。
 
結局、後者を選ぶ。
そしてそれは図らずも、とある検証実験となった。
 
それは
 
自己否定のもとに他人軸の人生を歩み続け、果てに燃え尽きた"バーンアウター"

その後の学びによって自己否定を止め
"ここにいてもいい人"でいられるようになったのかどうか。
 
その検証実験。
 

自己否定しないから、それを相手に投影しない

 
結論からいうと。
ただただ、自分でいられた と思う。
 
以前の自分はというと。
強い自己否定・抑圧を。
世界に、他者に、投影してきた。
 
どこにいても"こんな自分はここにいてはいけない"と感じ。
周りの人を「自分に対して、そう感じさせている人」に仕立て上げてきた
のだ。
 
勝手に。  
本当は優しかったこの世界に、無礼極まりない独り相撲をしてきたのだ。
 
でも今はもう、違うようだ。
 

自己否定しないから、受取拒否もしない

 
"私はここにいてもいい人"になれる、ということは。
世界が、周りが、自分をここにいさせてくれている...という事実を、きちんと受け取れるということ。
相手の、世界の優しさを、そのまま受け取れる、ということだ。
今までそれが出来ていなかったことは、やはり無礼なことだった。
 
だからもう、止めにする。
 
自己否定に頼ることで「”どうせダメな自分” に安住し、そんな自分の責任を取らなくてすむ」という ”歪んだメリット” を享受するのは、もう止めにする。  
自己否定をしない。ジャッジしない。
アレはもう疲れたし、飽きた。

ジャッジしない自分でいるから、それを周りに投影しない。
周りの人を「自分に対して、そう感じさせている人」にしない。
  
すると。
相手の輝きや強みは、自分の劣等感や無価値感があったとしても、それを刺激するものにはならない。 むしろ、その人の持っている輝きや強みを聞けることは面白く、嬉しいことだ。
そしてそれを嬉しそうに発信している相手を感じると、こちらも嬉しくなるのだ。
 
そうやって相手と同期、共感するような感覚があるときというのは、自己否定だけでなく、自己肯定からも自由になっている気がする。
 

自己否定も、自己肯定も、頼りにしない

 
自己否定している瞬間と自己肯定している瞬間とで、人の価値など変わりはしない。
そんな"価値調整"の世界など、あるのだろうか。
 
そもそも、価値って一体何だ。
 
価値そのものも、"価値調整"などというのも、もはやカミホトケに丸投げだ。
 
だからもう、自己否定を頼りにしない。
そしてもう、自己肯定すらも、頼りにしない。
 
そうやって、自己否定だけでなく、自己肯定すらもどうでもよくなって。
その両方から解き放たれたとき。
 
...本当の"あるがままの自分"が、ただ佇むようになるのかもしれない。
 
 
おしまい。
 
 

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