これぞ、関東屈指の聖地。

茨城県日立市鎮座・御岩神社。

神社が好きな方なら知らない人はいないであろう神社。

霊山”かびれの高峰”こと御岩山を背後にいただく、関東屈指の聖地。

総祭神は なんと188柱。また神仏を共に祀るという古来の ”神仏習合” が色濃く残る神社だ。

JR日立駅からバスで御岩神社前へ

JR常磐線特急を利用し、08:34 に「JR日立駅」に下車。
眼下に日立の海を臨む、気持ちのいい駅だ。

08:40、駅前のバス停から日立電鉄バス・「60」東河内方面に乗車。
20~30分程度で「御岩神社前」に到着した。

▼バス停前の風景。ここからはすぐに現地。

▼鳥居右脇にあるトイレ付きの駐車場の奥・・・既に雰囲気が素晴らしい。

▼鳥居の前へ。いよいよ来た。

▼鳥居をくぐると、すぐ左に祓戸神社(はらえどじんじゃ)で参拝。神社脇には参拝者に杖を貸し出している。境内や御岩山を登る際の助けになるのだろう。

▼御由緒。水戸藩の祈願所として崇敬が篤かったことがわかる。当時は21もの神社寺院が集まる寺町だったようだ。

▼参道。ピシッと身が引き締まる思いだ。

▼参道途中、左には愛宕神社。奥の祠といい、霊場としての雰囲気は抜群だ。

▼境内図。御岩山を含めた広大さが見て取れる。

▼進む。

▼三本杉。有無を言わさぬ力強さに圧倒される。まさに御神木、である。

▼三本杉の前には川が流れている。この場所はこうした川が脈々と流れていて、そのせせらぎに耳を傾けているだけでも気持ちがいい。

▼楼門へ。仁王が構えているが、ここは神社。神仏習合の意気を感じる。

▼楼門の天井絵。日と月が、梁を挟んで向き合いに描かれている。

▼楼門をくぐると、早速「南無阿弥陀仏」の石碑。しかも、特徴的な字体である祐天名号だ。

▼進む。周囲を杉と、川の流れが包む。清浄な空気とその美しさに、息を呑む。とっても気持ちがいい。

▼緩やかな勾配に豊かな木々と水の自然をたたえ、奥へ奥へと進む境内・・・以前訪れた”道了尊”こと大雄山最乗寺(南足柄市)をふと思い出した。

▼江戸時代の絵図。当時は沢山の仏堂があったようだ。見てみたかったなぁ。

▼神社だけど、お不動さん。

▼境内を進むと、神仏混淆の 斎神社。堂内右側には、説法印を結ぶ阿弥陀如来が開帳されており、そのお姿を拝むことができた。左側の大日如来は、常時公開はしていない。

その仏前には”おりん”が。神社に、おりん・・・
せっかくなので、打たせていただいた・・・なんとも新鮮。

▼周囲にも石仏。まさに神仏混淆。

▼この回向殿には、龍の天井画があって、それも見事だった。

▼いよいよ御岩神社へ。

▼堂々たる佇まい。屋根の姿かたちと、その力強さが独特。

▼御岩神社の狛犬。

▼その右手には、姥神さまと、さらに奥には稲荷大明神。恵比寿大黒の姿も見られる。

▼稲荷大明神の右脇にも、青麻神社。

▼御祭神一覧。188柱ということもあって、圧巻だ。

▼御岩神社から振り返った景色。

▼御岩神社の左手奥にも、八大龍王とお不動さん。

神仏混淆の杜・・・すばらしい。

奥宮・賀毗禮神宮へ

次はいよいよ奥宮・賀毗禮(かびれ)神宮へ。

まずは表参道ルートで行ってみた

▼賀毗禮神宮、さらに御岩山へ行く参道は2種類。まずは左側の「表参道」を通ってみる。登拝のルールも守っていこう。

▼最初はなだらかな道。途中からだんだんと木の根が露出した自然道っぽくなっていく。

そして周囲は、自然音だけが聴こえる、神聖な空間になっていく・・・

と、思ったところで

人間の、声。

まったく大きな声でもないのに。
近くからでも、ないのに。

・・・とにかく「人の声」が・・・違和感をもって響く。際立つ。

要は・・・

「うるさい」のだ。

これには驚いた・・・

普段はなんとも思わない「人の声」がこの聖域で、突如として・・・雑音と化す。

ノイズと化す。

それだけ普段の「人里」というやつは、不浄にまみれているのだろうか。

そう言えば、この常陸国の風土記においても、人里近くに降り立った神々は「人里は不浄で相応しくないから」という願いを聞き入れ、このかびれの高峰に移り、鎮座したのだという。

そんなことを考えていると、この自分もまたこの霊山に足を踏み入れている事自体、この場を汚しているのだろうか・・・などと複雑な気持ちになった。

▼登る。段々と勾配はきつくなり、根の露出が多くなる。その根は非常に滑りやすく、注意が必要だ。周りに掴まれるよう、軍手など持参すべきだった。


▼ようやくにして、何かが見えてくる。石段の向こうが、奥宮のようだ。

着いた、奥宮・賀毗禮神宮。さすがの存在感・・・

と思ったらまた

ニンゲンのノイズ。

どんどん人が、登ってくる。人里では気にならないような会話がなぜ、こんなにもウルサく感じるのだろう・・・

「あー疲れた疲れた」
「血圧あがっちゃうよ、まったく」
「ここまで登ったこっちがお賽銭ほしいぐらいだ」
「どっちの道が楽なんだろうね」
「ねーもう帰ろうよー」

本当にニンゲンは普段、しょーもないことばかり口に出す生き物だ・・・

そして。
そんなことをいちいちジャッジしている自分の「思念」もまた、ウルサイ のだ。

この調子だと、静かな気持ちでいられないような気がしたので、一旦ここを後にし、御岩山頂上へ向かうことにした。

▼賀毗禮神宮は表参道と裏参道の合流地点にほど近い。そしてこの合流地点から、御岩山頂上への道も伸びている。

▼頂上への道も、なかなかにハードだ。

▼着いた・・・いい景色。晴れてよかった。

しかしこの背後は、登山者たちのおしゃべり満載。霊山の頂上で味わう世俗感・・・

もう・・・

宇宙からも見えた「光の柱」の発信源?!

▼山頂脇にある、謎の祠と、石柱。目の前で、手を合わせた。


かつて、アポロ14号の宇宙飛行士 エドガー・ミッチェル が宇宙から地球を眺めた時、地球上で1か所だけものすごく光っていた場所。
彼はその緯度や経度を計測し、来日して御岩神社を訪ねてきたそう。
また、日本人初の女性宇宙飛行士・向井千秋さんも、日本から立つ光の柱を宇宙から目撃、場所を調べると日立の山中だったそうな。
その発信地とされているのが、御岩山山頂にあるこの石柱だ。

そしてこの「触らないで」という案内板のすぐ脇で「ほぉら、触って。パワーもらって帰ろうね」と子どもに言ってる、親子連れ・・・あ~あ、もう・・・

って思ってる自分も、「静粛にお参りしたい」という ”エゴ” が凄いのだ、結局・・・ 
 
 

▼帰りのルートも親切に案内板。

これに従って進んでいると、ちょうどこの案内板の設置といった保守管理をしているボランティアの方に遭遇した。声をかけ、話しているうちに、こんなやりとりをした。

「このへんに ”謎の赤い石” がある、と聴いたのですが」
「あぁ・・・あそこは行かないほうがいいですよ」

「最近その地を訪れたお坊さんが ”この地はあまりにも人の欲で淀んでいる。近づいても悪いものを持って変えるだけだ” と言っていて。私はそういうの全く ”感じない”方ですけど、たしかにあそこの雰囲気は今、良くない感じが漂っている。だから私たちも、それ以来案内していないんです」

あぁ・・・さっきの石柱の前での出来事といい、わかる気がした。

ニンゲンの思考や会話のノイズ、欲にまみれた不浄さ・・・この登拝はそれを学びに来るためのものだったのだろうか。

そしてそれは、自分にも当てはまるものなのだ・・・

せめて自分は自分で、静粛に参拝していこう・・・

暑かったけど、持参していた白の上着をあえて羽織った。

粛々と下山し、再び分岐点へ。その近くの賀毗禮神宮へ再び、降り立った。

相変わらずワチャワチャ、ガヤガヤと、ニンゲン共が跋扈している。

自分もその一人だけれど、今度はせめて心静かに、この奥宮と向き合ってみる。
 
 
ただ佇んで、向き合い、神さまと・・・無言の会話。
静かに柏手を打ったと思えば、苔むした磐座をベタベタ触り、鳥居を塞いでバンバン自撮りをし、サクサクと人が行き交うなかで、無言で佇む、一人のオッサン。

むしろそっちが異様だったのかもしれないが、構わない。

そうやって心静かにしているうちに・・・スゥーっと人がいなくなり、不思議なくらいの静寂に包まれた。
 
 
階段を上がり、参拝した。
 
 
そして、参拝を済ませ・・・

▼ようやく、なんとなく・・・「撮らせて頂いても、いいかな」。

もう一度 礼をして、静かに去った。

帰りは裏参道ルートで

賀毗禮神宮を後にし、今度は裏参道を下る。

そして、こちらのほうがおそらく、楽な道かもしれない。

▼表参道のような「険しさ」を感じることなく通る事ができる。ただ、このような石がゴロゴロしているところもあるので注意。石の上に足を置くとゴロンと石ごと足を取られて危険。できるだけ土のところを踏んでいく。

▼やはり気持ちのいい自然道だ。

▼なにかの”お姿”のあったものだろうか。思わず手を合わせた。

裏参道に鎮座する「薩都神社」

薩都神社。

裏参道の横に鎮座し、突如としてその姿を現す。

▼杉の巨木に包まれた やや小さなお社は、とても不思議な空気感を出していた。

難易度が低いのは上りも下りも裏参道?

表参道を上り、裏参道を下ってみると。
全体的に裏参道のほうが行き来しやすいと感じた。

表参道は勾配もきつく、木の根が滑りやすかった。

裏参道はゴロゴロした石に足を取られないようにさえすれば、何かに掴まって登るというような事態にはならなそうだ。

御岩山から再び御岩神社へ戻る

▼裏参道から御岩神社に戻ってくると、砂利石にまみれて・・・

▼愛らしい いのち・・・

おそらく登拝前では気づけなかったかもしれない敏感な感覚が、開いているような気がした。

もともと世界は、大も小も、上も下もない ”いのちの一員” 同士、ただ生きている・・・ただそれだけだったのだ。

・・・今回この霊山を登ることで、日々のノイズを洗い流し。

”静かな自分” に立ち返って・・・

もう一度この世界に戻る、という体験をしたのかもしれない。

そんな ”静かな自分” に立ち返ると・・・

思えば、この御岩神社や賀毗禮神宮に来た人は皆・・・手を合わせているその間は、”静かなる人たち” だった。

”静かなる人” になって、自分の時間を”祈り”に捧げていたのだ。

そしてその畏敬の念を現すために、こうしたお社を建てるのもまた、ニンゲン。

そこへ集まって、祈りを捧げるのもまた、ニンゲン。

ニンゲンのノイジーさ。
そして併せ持つ、清らかさ。

この「清濁併せ持つ」ということの、”ニンゲン味” 。

ここにニンゲンらしさがあるのだろう。

・・・もう一度御岩神社で感謝の参拝をし、この地を後にした。

▼参拝の帰り道。しみじみと「いのち」を浴びながら、歩く。

ずっと来たいと思っていた、御岩神社。

素晴らしい参拝・登拝体験でした。

なんとなく「みだりに来てはいけないな」という厳かな感覚になりつつも、
またいつか「呼ばれてみたい」、素晴らしい霊場でした。

おしまい。

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