さて、どう手放そうか。

よっちゃんです。

前々回の記事で、自身の「足りないビリーフ」の概要と、その思い込みに関する諸概念を書きました。
そして前回の記事では、その「足りないビリーフ」のメリット・デメリットを確認したうえで「じゃあ、この”足りないビリーフ”を手放したいの?」という検討をしました。
【脱・”足りない”ワールド】”足りないビリーフ” を 手放すために・Part1/3
【脱・”足りない”ワールド】”足りないビリーフ” を 手放すために・Part2/3

そして検討の結果、これを手放すことに。

さて、どう手放しますか・・・

1. まずは「証拠集め」の逆をやってみる ~その”思い込み”に対する反証を、自分に突き付けろ!~

自身の「足りないビリーフ」が、まるで先天的なものであるかのように「自身と同化してしまう」。

「自分」と「思い込み」の「同化」。

これが「思い込みが ”思い込みであることに気づけない”」主な原因であり
そのせいで人は「なぜいつも・・・」という思考・行動パターンに陥る。

そんな「思い込み」が「自身と同化」してしまうのは

その思い込みが正しくあり続けるための「証拠集め」をしているから。

人は、その思い込んだルールが「正しくあり続けなければ」、そのルールに従って動く事ができない。
だからその「思い込んだマイルール」を「正しくあり続けさせる」ために、世界に散らばる事象から、それが正しく在るための証拠を集め続ける。

これが、「思い込みの強化」だ。

そして、その思い込みは「証拠集めの強化と、その習慣化」によって、「自身と同化」しているレベル(=無意識レベル)まで、自我に深くインストールされていく。

その結果が「なぜかいつもこうなっちゃう人生」を生み出すのだ。

ある種の「引き寄せ」のようなもの。

極端な例でいうと・・・
大人が公園の土や、落ちているガムを拾って食べないのは「そんなことしたら、ヤバイことになる!」という「思い込み」が「深い無意識レベルまで自身と同化」しているために「なぜかいつも公園の土や落ちているガムを食べない人生を引き寄せている」のだ。

極端過ぎ?でもこういうことだと思うんだ。
 
 
・・・というわけで、話を「足りないビリーフ」に戻すと。

その思い込みを「自分から剥がす」ためにはその「証拠集め」の ”逆” 、つまり「反証探し・根拠崩し」をし。
自身に「その思い込みって、結局 ”本当なの?”」と問うてみることなのだ。

自分にとって一番「パンチのあった反証or根拠崩し」は?

ズバリ、これ。

「足りないと駄目になる!」と自身を急かしている割には、24時間その「”足りない”の解消」に費やしているわけではないよね。

これは「駄目にならない反証の提示」というよりも「思い込み度合いが実は不完全・自己都合的」であるところを攻めている感じ。
 
「足りないとヤバイ!」と思い込んでいるクセに、その解消に「24時間本気で」取り組んでいないのだ。

休みも取るし、ボーッとしていることだって相当ある。

「駄目になる!」、とか言ってるクセに(笑)。
 
実は駄目になってないかもしれない感じが、ここで出てくる。

この「笑えてくる感じ」が自分に入ってくると、「あー、”真実”ではなくて”思い込みなんだなぁ”」という ”腑落ち感” に近づく。

同化していた思い込みを自身から引っ剥がし、距離をとって俯瞰出来るようになる。

2. この「思い込みちゃん」で、人をジャッジしていなかったか? ~自分をチクリと戒める~

さて、こうして自身と「距離をとり、自分と”別モノ”と捉えられる」ようになった「足りないビリーフちゃん」。

これは”自分自身”ではなくて、「使っていたツール」なんだ、と分かる。

これに対して、今度はこんな想像をしてみる。

「これを ”使って” 、他者をジャッジしていなかったか?」

すると「あー、サクッと割り切れたり、緩めたり出来る ”足りない人” を、脳内で ”もっとやれよ!”って責めてたなぁ」といった記憶が呼び起こされる。

脳内とは言え、責めてたということは「あの人をチクリとやっていた」ということだ。

このチクリ感が、自分に対して「あぁ、自分は良くなかったなぁ」という”感覚”を呼び起こし、自分に跳ね返る。

そしてもう一つ。

本当は「”自分から見て足りない感がある人”が、そのまんま楽しそうに生きてるのが、羨ましかった」。

こんな本音に気づけると、もっといい感じ。

なぜかと言うと・・・

その”羨ましい生き方”を

なんで「自分にはさせてこなかったの?」・・・ほら、そうやって何より「自分ジャッジ・自分イジメ」をしてきたよね。

という感覚が、「自分に跳ね返ってくる」から。

チクリとした「何だか良くない感覚」を、何よりずっと「自分に差し向け続けていた」ということが、また1つ

”腑落ち” する。  

深く納得するのだ。

3. ここまでのプロセスを、もう一度「振り返り」。

自分は「足りない事の解消に全てを費やさなくても、生きてこられた。足りないまんまで、生きてこれた。」

「自他に”足りない!”と言い聞かせる ”足りないワールド” にいることで、自他をジャッジし、チクリとイジメ続けていることに気づいた。」
 
 
足りない自分を ”そのままでいいと許す” ことが出来ないのは、息苦しいことなんだ。
 
そして、そうやって ”足りない自分を許すことが出来ない” ままだったのに結局 ”足りないまんまで生きること” を

許されちゃってたね、「世界に」。

そうだったんだ。

その証拠に、今「生きちゃってる。」

足りないまんまで、生きちゃってる。

それって、今までのビリーフ感覚でいってもなお

足りてる、ってこと。

「足りないビリーフ」の持つ究極的目標であり不安である ”見捨てられないこと=生命の維持=ダメにならないこと” はずっと、満たされていた。

「足りないビリーフのモノサシ」をもってしても、結局「足りていた」のだ。

そもそも「足りてる、足りてない」って、何だったんだろう・・・

っていう感覚に慣れば、こっちのものだ。

足りなてない今のまんまで、足りてた。

「足りてた感」を味わえた瞬間も、足りてた感が無かった時もずっと、それを「世界にOK」されていて、生きてきた。

どちらでも、よかった。

そしてこれからも、どちらでも良い。

・・・そんな感覚が腑に落ちた時に

ドッと力が、抜ける。

生き辛い思考を解き放つと、体感覚もまた、解き放たれる。

そして今の感覚が、なんとも言えない嬉しさに満ち溢れる。

これが「思い込みからの解放=ビリーフ解放」というやつだと思う。
 

「足りないまんまで、生きていい。」

これからはこの言葉を胸に、生きていきたい。
 
もはや「足りる、足りない」のモノサシも、ボーダーレスでいい。

だから、この「足りないビリーフの解放度」すら、もはや完全でなくても...足りなくてもいいのだ。
 
だって、そんな今のまんまで生きることが

「世界から許されてきたし、これからも許されるから」。

この「世界から許されてきた」という感覚。
自身の心の師匠である あやちゃん のブログ記事が、とても参考になる。
存在に文句は言わせない。究極の自信の持ち方 | 自分にOKを出して前に進む! 

「ビリーフ感覚からの離別」と「思考習慣からの離脱」は、また別のリズムで行われる?! ~仮説の提示

このビリーフ解放、つまり「ビリーフ”感覚”からの離別」が出来たとしても。

その”思考ツール”を長いこと使ってきたが故の「思考習慣からの離脱」は、ちょっと時間がかかる気がする。

いわゆる「ビリーフの ”振り戻し感”」というヤツだ。

でも、そこにはまた別の取り組み方があると思う。

その「思考スイッチ」がついつい「ONになってしまう」のは

「思い込み状態」が解放出来ていないのではなく、その思考ツールを「使う習慣」が抜けていないだけ・・・だと思うのだ。

思い込み対策、というより「対・習慣化」の話。

それを証拠に、その思考ツールが ”ついついON” になったとしても
ビリーフが解放されたが故の「その思考、イヤ!」という「嫌悪感アラート」が鳴るはず。

そうやってONになった思考習慣を、発動のたびに「嫌悪感アラート」で、OFFにする。

これを繰り返すと、だんだんその「ON→OFF」のインターバルが短くなり、やがて

ONのスイッチは、フェードアウトしていく。

大事なのは、このプロセス中に「やっぱりONになってしまう自分を責めないこと」だと思う。

対策としては、「その思い込みがなくなった ”大丈夫ワールド”」にいる自分を根付かせるため、その感覚を味わうことを「習慣化」して
心地よい「心のホームグラウンド」がブレないようにすること。

それには、1つは「瞑想」などがいい気がする。
ガッツリやらなくても、電車のなかでちょっと目を閉じてボンヤリ想像するだけでも、充分だと思う。
はたまた「足りない今のまんまでも、大丈夫。」って毎日呟きながら歩くとか(笑)。
 
 
「足りない今のまんまでも、大丈夫。」
自分もまた、そう言い聞かせながら、生活していくのだ。
 
足りないビリーフの、解放。
 
それは、単なる「足りるワールド、完璧ワールドへの移行」ではなく
 
「足りないといけないワールド」から「足りないままでいいワールド」に行くことだと思う。
 
そしてその「不完全さを受け入れることこそ完璧にして

大丈夫。

 
なのだと思います。
 
 
 
というわけで3連載、おしまい

・・・と思ったのも、束の間。

「足りないビリーフ」を剥いたところから、それに隣接していたビリーフが出てきちゃった(笑)。

それは
「間違うと、嫌われる・・・だから誰に対しても、誤りがあってはならない。」

今度は「充足か不足か」ではなく「正か誤か」のモノサシの世界。
  
ここでの 自分的に負担感のある ”誤りの世界” というのは。
 
「相手の期待、求める成果、思惑...もしくは相手の気持ちそのもの」を「読み誤ること」。

そして、このビリーフの終着点を感じてみると・・・やはり「”見捨てられ感”だなー」、と思う。
 
「誤り」発・・・「嫌われ」経由・・・「見捨てられ(コア)」着。 

絶望への片道切符。

幸いコアビリーフには手を付け済みなので、終着駅の「リアリティ度」は薄くなったけど・・・
経由駅の「誤ることによる ”嫌われ感の放つ、イヤーな感じ” 」は、どうも残っている感じ。

傾聴の時に起こるちょっとした ”見立て違い” や ”要約・伝え返しのピンボケ・的外れ” を感じた時に起こるイヤーな感情は、このビリーフを呼び出しているのか!!

なんか、あれだな・・・

「ビリーフなんて、いくらでも出てくる」の意味が、わかってきた気がする・・・

これからもビリーフの無限皮むき、取り組みたいと思います。
 
 
 
 
というわけで。
 
3連載、モヤモヤッと・・・おしまい(笑)。
 

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