「恐れ」を手放す方法は、たった1つしか無さそう。

それは、

「ただ、手放す」

という方法です。
 
ただ、手放す。
 
・・・この「ただ、」のところに別の何かをくっつけてしまうと、それがたちまち「恐れそのもの」を連れ込んできます。
 
 
それならば。
 
・・・”恐れを手放す” わけだから、そもそもそれを「恐れずに手放」せばいい、と思うわけですが、そうすると その「恐れずに」というのが既に「恐れてしまうことへの恐れ」を連れ込んでしまっています。
 
なので、「ただ手放す」、しかないのです。
 
そして私たちが恐れを「ただ手放す」準備ができている瞬間というのは、私たちが「自己の完全なる観照者」となっているときです。
 
しかしここで「恐れ」というものはこの瞬間に、ある”最終攻撃”を仕掛けてきます。
 

「恐れ」が仕掛けてくる”最終攻撃”とは

それは「恐れの手放し方って、こんなに簡単でいいのか?」という感覚です。
 
「恐れ」のもたらす”余りの脅威”と、その手放し方の”余りの簡単さ”とのギャップに、思わずおののいてしまうのです。
「恐れ」は、その最終攻撃として、この間隙を突こうとしてきます。
 

恐れの最終攻撃に飲まれない”コツ”は

ここに飲まれることなく恐れを手放していくコツのようなものがあるとするならば、それは「面倒臭がりになってしまうこと」だと思います。
なぜなら、「面倒臭がり」な人にとって、「恐れの手放し方は簡単である」という事実ほど都合のよいものは無いからです。
 
そもそも私たちというのは、「ちゃんと面倒臭がりにならない」ことでかえって「面倒くさい問題」を呼び込んでいる場面が多い気がするのですが、いかがでしょうか?
 

恐れを安定的に手放すために

こうして恐れを手放すと、また次の瞬間には恐れに飲み込まれるので、これを繰り返していくことになります。
そして、この”手放しの連続”を支えてくれるのはきっと、「安全で、安定した体感覚の内にいること」なのだと思います。
 

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