神様からの、おみやげなのか。

年始巡礼から帰ったあと、突然ステート(心身の調子)が急降下した。
 
ただ。
自分がこうなる時の法則性は、なんとなくわかってきた。
 

過去粘着。

この秋の ”過去へのお怒りモード” も、過去粘着。
 
そして。
 
今回の「年末年始を、生まれて初めて、一人で過ごす」も、結局は。
 
過去粘着だった。
 

今回の過去粘着の ”本体” とは

結局は、ずっと。
 
「寂しかった」
 
これだ。
 
特に、家族に対するもの。
 
父親の「正しさ」。
母親の「心配」。 
これを突破し、充足し続ける。
 
...という条件下でしか、自分は受け入れられない...という思い。
そんなの無しに「ありのままでいても受け入れられている」という安心感が、なかったこと。

 
これだ。
 
 
年末年始に家族から離れて過ごしたのも、そうだ。
 
上に書いた ”寂しさ” を直視するよりは
「家族団欒の象徴のような ”お正月” を、一人で過ごす寂しさ」のほうが、楽だと思ったからだ。
 
逆に言えば、それだけ、意識続けていた。
ひしひしと感じていた、ということだ。
 
”家族” というものに対し、寂しさを抱えてきた、ということに。
 

さて、どうしますか。

もう、疲れた。
疲れたからこそ、ステートが悪くなった。
特に最近はカーチャンの ”心配砲” という名の
”自分の想定する通りであってほしい” という心理操作に、もうイライラしていた。
 
でももう、いちいちイライラするの、疲れちゃった。
 
だからもう、言ってしまおう。
 
「ここ最近、カーチャンに心配されるたびにイライラしてたわけだけど。
”これからもずっと、カーチャンをイライラさせないために、
この心配を解除する戦いをやらなきゃならんのか” ...って思ってた訳だけど。
それがなぜなのか、自分でもわかってきた。
”そうし続けないと、親に受け入れられないのか” っていう、子供時代の寂しさが続いてたんだ。
 
ただそれだけ。
 
それでもその心配が無視できなかったのは、親のことが好きだからだね。
 
・・・ただ、それだけ。」

 
 
・・・って、言葉でカーチャンに伝えた、その瞬間

もう、どーーーーーーーでもよくなっちゃった。

寂しかった感情、突然飽きちゃった。
 
過去粘着なんて、意味なーーーーーいじゃーーーーん!
イマココの自分に、なぁんの関係もなぁーーーーーーいじゃぁーーーーーーーん!!!

 
・・・まぁ、このプロセス、初めてじゃないから、こうなるかなぁと思ってたけど。

「過去粘着に疲れて、飽きる」の法則。

そそ。
手放したい過去があるのなら。
 
蓋をしないで、まずは徹底粘着。
 
そして、味わい切る。飽きるまで。
 
ときにはいっその事、その相手に言っちゃう。
 
それで、もう飽きて。
 
飽きたら、終わり。
 
...嘘みたいに、どーーーーーでもよくなる。
 
あんなに長いこと、グルグルしてきたのに。
 
一瞬。
 
 
・・・だから今回。
「その気持ち、トーチャンにも伝えたら?」って言われたけど
「あ、いいや。カーチャンから伝えてもらってもいいけど」って言ってしまったわけで(笑)。
それに、伝えたところで「そんなだからお前はゴニョゴニョ」ってなるだけだし。
 
とりあえずこの法則、アダルトチルドレンにとっては、生きづらさ解消の鉄板プロセスな気がするなぁ。
 

あとがき。

この記事、書くのにいい加減時間がかかった。
 
というのも。
 
もう、実感と記憶を持って書くのが容易でないくらい、どうでもよくなってしまったので。
 
あ、ちなみにですが。
今もカーチャンの ”心配砲” は相変わらずなわけですが。
 
自分の対応が変わったかな。イライラしなくなった。
 
今は
①:心配してくれていること自体 → 有り難いことです
②:心配の内容 → テキトーに対応する
 
の分離方式になったのだ。
 
 
...そうやって、過去粘着を終えたところにできた、心のスペース。
 
ここにまた、イマココの栄養を、入れていこう。
 
 
おしまい。
 
...だと思ってると、いつかまたこういうビリーフが出てくるのが、もうね...めんどくせ(笑)。
 

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