もはや「平成」すら終わろうとしている、今。

よっちゃんです。
 
 
「ライフシフト」とか「人生100年時代」などと言われる一方で。
世の中の進むスピードは、どんどん行き急ぐかの如く増していて。
 
なのに。
世の中を見るためのフィルターとして、未だに。
 
未だに心の中に巣食うように存在しちゃってるのが、いわゆる

「昭和」の価値観。

ちょっと偏見っぽいフレーズだけど、わかりやすいし、ピンときやすいので。
 
みんながそうなのだから」。
「それが普通だから」。
「それが常識だから」。
 
「みんな」から、外れないように。
「普通」から、ズレないように。
「常識」から、はみ出ないように。
 
大変だけど。
我慢して。
根性で。
頑張り続けて。
 
・・・「そういうものだ」と思考停止しては、「美徳」ということにして。
 
進んできた。
 
でも、そうする必要が、あった。
なぜなら

そこに「生存そのもの」が懸かっていたから。

特に戦後からの復興や、経済成長のためには、「みんな」の力を集約し、一本化し
乗り越えていく必要があったんだと、思う。
そのためには「普通」「常識」という集約的価値観が、必要だった。
 
そして、生存のための一つのゴールが

物的充足。

特に、衣食住に関するものは、必須。
 
ここに辿り着くことが、一つのゴール、安心感だった。
 
しかし、そこから ”飽くなき安心感” を求めた結果が

「変化の加速」と「物的飽和」。

物的充足による「生存」については、かなり前提的、飽和的に保証されるようになった。
(まだまだ大変な国や地域はあるけれど、その話は本題から反れるので。)  
一方で、世の中の変化が加速することで。
 
「生き方」の先にある「活き方」を。
 
...これまでの「みんな」「普通」「常識」といったものが、保証してくれなくなってしまった。  
...そうした変化の荒波に飲まれないように。
いよいよ手を付けなければならなくなったものが

”心” の ”在り方”。

価値観の多様化と、変化の加速。  
それを迎え撃つは、「心の在り方」に手を付けてこなかった「昭和の価値観」。  
さて、どうなるか。
  
特に組織などにおいてだと。
 
大体は「よし、変化だ!スピードだ!」の旗印を掲げ。
 
「在り方」を整えないまま

「やり方」にまみれる。

そして、その増殖した「やり方」に振り回されながらも、無視できず。むしろ守ろうとして。
 
キャパオーバーを起こし。
バーンアウトを起こし。
 
最悪の場合、命を落とす...
 

...というリスクを抱えやすいのが

 
今の30代~40代ではないだろうか。

30代~40代の抱える、価値観の ”ジレンマ”

今の30~40代は、上記のような「昭和の価値観」を
多かれ少なかれ持つ親のもとで、育っている。
 
「生存を懸けた物的充足」に、ひたすら取り組んできた、親の背中。
その親の背中への「感謝」。  
一方で、その「親の背中」を免罪符にして陥ってきた、親子のコミュニケーション不足。
その事実がもたらしている「未完了な子供ゴコロの寂しさ」。  
そんな「子供心が終わっていない大人」の状態で。
”昭和の価値観を守ってあげたい” と頑張って向き合っている、世の中の舞台が
  
「価値観の多様化」と「心の時代」へと、進んでしまっている。
 
まさに、価値観の過渡期。ジレンマ。
 

...さぁ、これからの時代を、どのように生きようか。

情報化社会による「価値観の多様化」。
 
これはさらに、SNSなどによる「個の発信」と、それによる新たな「共感の渦」により加速した。
 
「情報革命」
 
これによって、今までの「みんな」「普通」「常識」といった「昭和の価値観」は解体が進み、
もはやその存在は「マユツバ」となりつつある。
 
「みんな」って、誰だ。
「普通」って、何だ。
「常識」って、いつのだ。
 
個の気づきが加速し。「自分のモノサシ」に還る、新たな世代。
 
例えば。
新たな世代による「足るを知る」という、気づき。
 
これを「消費しない若者」と揶揄する、旧世代のこだわり。
 
 
「みんな」「普通」「常識」がマユツバとなり、それに惑わされない「心の在り方」に取り組む世代。  
「みんな」「普通」「常識」に取り組み、それを惑わす「心の在り方」などマユツバの世代。  
噛み合うわけがないのだ。
 
では、これからの時代はどちらを使って生きる時代なのか。

もう ”前だけを見て自分を生き切ること” に、許可を出してもいい

これからの時代は、もう「心の在り方」「自分のモノサシ」で生きるしか、無くなりつつある。
 
これは結局、組織にいてもブチ当たる課題、なのではないか。
 
もう ”前だけを見て自分を生き切る”。  
...そうすると、できなくなってしまうのが
 
親の守ってきた「昭和の価値観」を守り抜くこと。
 
...でも、もはやその、”旧世代のビリーフ” を守り抜くことが
自らの生き辛さを生んでいるのなら。

 
...もう守らなくていい。  
 
 
大丈夫。
 
それを守らないことが、これまで自分を守ってきてくれた
「親の頑張り」を否定することには、決してならないから。
 
それに。
 
それを守ることで、これからの自分の人生を辛いものにしていいわけが、無いのだ。
 
だから、もう。
 
「昭和の価値観」。「親の頑張り」に、心から感謝したのなら。
 
もう、前だけ見て進む。
 
静かに、世代交代の、新たな世代の、一員になる。
 
それでいいのだと、よっちゃんは思います。
 
よっちゃんもまだまだ少しずつだけど、そうやって前に進みたいと思います。
 
 
おしまい。

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