国内最高峰、”イシダニスト” の聖地巡礼。

よっちゃんです。

突然ですが。

石段が好きです。・・・って、プロフィールにも書いてたりします。

石段登りにハマッたのは、前年の独り旅で訪れた、石段で有名な「こんぴらさん」こと香川県の金刀比羅宮をお参りしたとき。

それ以来、山形県の ”山寺” 立石寺などを訪れたりと、次第に「石段目当て」に行動するように。

そしていつしか、「日本一長い石段に行ってみたい」と思うようになった。
調べてみると、”その場所” は九州・熊本県にあることが判明。

・・・そんな中で先月参加したのが、根本裕幸さん主催の「福岡リトリートセミナー」。
(リトリートセミナー記事はこちら)
【学び】根本裕幸さん主催「福岡リトリートセミナー」に参加して・その1
【学び】根本裕幸さん主催「福岡リトリートセミナー」に参加して・その2
【学び】根本裕幸さん主催「福岡リトリートセミナー」に参加して・その3

「せっかく九州に行くのだから」。

そのセミナー前日に・・・行くことを決めた。

それが、今回紹介する熊本県下益城郡美里町にある「御坂遊歩道(みさかゆうほどう)日本一石段」である。

よっちゃんの思う「石段」の魅力とは

「石段」の魅力。
・・・それは、同じ ”登る” という動作において、いわゆる山道とはまた違う魅力がある。

いわゆる山道は、常に不規則だ。
その難易度が高まるほど、その一歩一歩にはランダムな”判断”を要することとなる。

しかし石段は、ある意味”規則的”だ。
そしてその一歩一歩は自ずと「リズム運動」となる。

呼気が上がる「からだ」。
ただ無心で力を込める「からだ」。

忘れかけていたその「からだ」という存在の感覚と、リズムと・・・1つになる。

そうやって、山道のようなランダムな判断を要することなく、ただ足を1段1段差し出していると、やがて心とからだは

「無」に近づいていく。

石段は「からだ」と「こころ」の、マインドフルネスだ。

これこそが、石段を登ることの最大の魅力だと思う。

いざ、日本一の石段へ

①JR熊本駅から路面電車に乗り換え「辛島町」で下車し、熊本交通センターへ。
②熊本交通センターから7:55発「熊本バス・甲佐営業所行き」に乗る。
③8:43・甲佐営業所 着。乗り換えのバスを待つ。
▼後ろの建物が熊本バスの甲佐営業所、手前が甲佐バスの停留所。

近くにセブンイレブンがあり、乗り換えまでの時間も充分あるので、飲料・食料などを調達できた。

9:20発・甲佐バスに乗車。
9:49・「石段前」バス停で下車

▼到着するなり、帰りのバスの時刻表を見ると、帰りの「甲佐行き」は12:06発か、その次の16:06発。

多くのイシダニスト(!)は往復で2時間をかけ、12:06のバスに乗って帰るとのこと。
これだとかなりイソイソと登る事になりそうだが、それを逃すと16:06まで随分空いてしまう。

なんとか12:06に間に合うように登ってみよう。

▼バス停から少し歩くと、すぐに到着。横には川も流れ、気持ちいい環境だ。

▼ついに・・・来た。

▼案内板も石。ところどころ休憩所も設けられていて、利便性がよさそう。

▼この遊歩道はもともと、頂上にある「釈迦院」というお寺に向かう遊歩道だということがわかる。
そしてこの石段、どうやら世界中の石も使われているようだ。

▼早速登る。

▼時間内に登れるだろうか、と思いながらイソイソ登ると、早速100段目。
どうやら100段ごとにこのような石段が設けられているようだ。

▼200段目周辺に広がる空間。ここがお寺に続く遊歩道であることを感じさせる空間だ。燈籠の彫刻も見事。

▼早々500段目に到達。

▼700段目辺りでの休憩所。きれいに保守管理されているのがわかる。

▼800段あたりから、麓の気配というか、「人や暮らし、街の気配」が薄れていく。何かの ”ステージ” が変わる印象だ。
木漏れ日が演出する景色が、非常に美しい。

900段目辺りで写真を撮っていると、地元のオジサンに出くわす。「あんたァ、どっから来よったとね?」と声をかけられた。
東京からネットで調べて来た旨を伝えると・・・

ちょっと引かれてしまったw

地元の人は普段、適当な段数まで上ったり下りたりして、運動に利用しているそうな。
自然と足腰が強くなりそうだし、気持ちいい場所だし、羨ましい限り。

▼オジサンの後について行ってみるが、そのうち段々と追い越していった。

▼1,000段目へ到達。シャクナゲを始めとした両サイドの花々が美しく、よく手入れされているのを感じる。
とにかく登っていて気持ちいい。

▼そして、登る毎に ”何かが変わっていく”、その ”ステージの変化” を味わう。



▼1,700段あたり。ちょうど中腹だ。トイレ付きの広々した休憩所がある。

そして、この「ステージの変化」に呼応するかのように、自分にもある「心境の変化」が起きた。

イソイソ進むの、やめよう。

もっともっと、ゆっくり味わって、進もう。

・・・そう思った時、ハッとした。

なんでこう、いつもいつも ”がんばるエンジン” が出てしまうのかな。
人は、”頑張れる自分” に慣れてしまうと、いつしか「味わう」事を忘れてしまうのだろうか。
 
「ゆっくり味わって、楽しんでいいんだよ。」
 

そんなメッセージを ”アタマをカラにした自分” から、受け取った気がした。

そこからはもう12:06のバスには乗らないことにし、ただ無心で「イマココ」の美しさを味わった。

2,000段目辺りでガラリと変わる ”何か” との邂逅

2,000段を目前にし、また ”ステージ感” が変わるのを感じる。
▼石畳の道なども登場し、石段という”人工物”を介して、人と自然、自分と自然が、少しずつ少しずつ・・・交わっていく感覚。



▼2,000段へ。

この辺りで、自分のいる「ステージ」が

ガラリと変容する。

風の音。木々の力強さ。枝のしなる音。
 
新緑の香り。虫の羽音。鳥の声。際立つ花の色。
 
空。太陽。木漏れ日。
 
その中で。
 
ただ無になって、自然と、いのちに包まれ、上昇していく・・・ただそれだけの、生命体になる。
そこには、それ以上何の「意味付け」も必要ない、”いのち同士が鳴動しあう” ・・・ただそれだけの空間にいる。
 
 
とても神聖な気分だ。

▼まさに、天空の回廊だ・・・

▼3,000段目。残るは333段。世界中からの石段が使用されていることもわかる石碑もある。

▼とうとう3,333段目・・・到達した。

「白龍が昇るが如し石段は 三,三三三で日本一」・・・その ”白龍の背” を昇った感慨に、しばしふけった。

日本一石段頂上~釈迦院へ

頂上からさらに1km、釈迦院へ行くことにした。

▼石段を登りきった疲労で「ぽっくり」逝きたくはないものだ・・・

▼石畳の参道を行く。山頂からの景色も美しい。

▼道なりに行くと、ようやく釈迦院へ。正式には「天台宗 金海山 大恩教寺 釈迦院」。

▼あいにく無人であったが、どこか愛嬌のある仁王様がお迎えしてくれる、とても清々しい寺院だった。

▼釈迦院を後にし、頂上の休憩所まで戻って、遅い昼食。とても贅沢な景色を独り占めして食べる、コンビニおにぎりタイムだった。

▼頂上の景色を味わい、再び石段。下りへ。


日の向きも変わり、また異なる表情を見せていることが「肌で」感じられる。

日常で開かれていない「感性のアンテナ」が、開かれているのを感じる。

気づけば、これは・・・明日行われる「福岡リトリート」よりも1日早い ”いのちの洗濯” ではないか。

まさに、リトリート。

この日本一の”石段体験”に存在していたのは、大自然、いのちの力を借りた最高の ”癒やし” だった。

そんな思いで下っていると、また気づきが降りる。

人生にはもともと、上りも下りもない。ただ ”進んでいる” だけなのだ、と。
 
そこに人は 上りだ下りだ、上りが良くて下りが悪い、と「意味付け」をしているだけなのだ。
 
上りも下りも、その本質は、「ただ進んでいる」のだ。
 
そしてただそれを、味わえばいい。
 
 
・・・こうして「下り坂だと思っているもの」をただ進み、味わいながら、そんなことを思った。

そうして過ごす「下り坂」もまた、とても味わい深く、美しかった。

▼次第にまた「人、暮らし、街」といった気配を感じる・・・「意味づけされたステージ」に、戻ってくる。

最高の石段体験が、こうして終了した。

石段を上れば上るほど、自分という存在から「意味付け」が削ぎ落とされ、自然と呼応して生きるだけの、ただの「いのち」に還っていく。
 
自分は本来、ただそれだけの「自然の一部という存在」であったことを、体感する。
 
そしてそんな自分は、頑張り過ぎなくても、焦り過ぎなくても、その小さな一踏一踏がちゃんと自分を前に進めてくれていることを、信頼する。
 
 
・・・そんなプチ体験が出来る、最高の ”リトリートスポット” だった。

また機会があれば、是非行きたいスポットだ。

おしまい。

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