
ジャッジ盛り盛りだった時のこと。
よっちゃんです。
「あの人、もっとこうすればいいのに」とか
「なんで自分はちゃんとできないんだろう」とか。
自分にも他人にも厳しくなってしまう「ジャッジ」。
頭ぐるぐる。ぐ~るぐる。
「...これってもう疲れる!辞めたい!」と思っていた時。
「じゃあどんな時にそれをやってしまうんだろう?」
「特に他人に対して、どんな時にジャッジしてしまうんだろう?」
「その傾向が分かれば、対策もわかるはず」
そう思って、一つ二つ、その光景をイメージしてみた。
そして、一瞬で気づく。
あぁ、なんだ。
要は「自分よりフリーダムな人」!
それだけかい!!!・・・って、自分にツッコミ。
そこに一元化されるのね。
とうわけで
一瞬にして分析終了(笑)。
あとは、実践だ~。
と思っていたら、路上でドデカイ声で歌を歌いながら自転車を漕ぐオッサン登場。
あの人は「ジャッジすべき人」ではなく「自分よりフリーダムだなけのひと。」
そう思って眺めてみることにした。
「いいなぁ、自由で。ほかの人は迷惑がってるか知らんけど、とりあえずうらやましい」
・・・おぉ!これがジャッジを外した時の、よっちゃんの本音かぁ。
ナンカオモロイ。
そして目の前の現象が、現象として以上には気にならない。
楽だな、こっちの方が。
楽。
そうして、手放したジャッジとトレードオフの気づきが、コイツだ。
自分もそれ、やっちゃっていい人。
許可が出る。許可が多いほど、人は自由。
そしてまた気付く。
手放すものが増えるほど、手放したくないものも、浮き彫りになる。
なんでもかんでも野放図な自分になってしまうことは無くて。
逆に「あぁ、ここだけは譲りたくない、大切なものがあるんだなぁ」に、なってくる。
そして「その譲りたくないものって
本当は手放したい物だったりするんだろうか?」なーんて
再検討できるようになったり。
こうして自分を整えていくのは、ナンカオモロイのだ。
おしまい。今回は短め!