自分の”季節”を、大切に。

”災害級”ともいわれた今年の夏が、暦の上では今日で終わる。

自分の「ココロとカラダ」の”季節”は、どんなだっただろう。

6月。

その初日を切ったのは、現在学んでいるBRC講座の講師でもある 大塚あやこ さん直々による個人セッション。
自分はこれによって、「これまでの人生に起きていたことの本質、パターンを生み出していた原点」を観に行くことができた。
そして、それによる感触というのは、アタマではなく「ココロとカラダ」による深い納得感であった。

その後も、もう一つの講座であるLPLや、その受講生同士のセッション自主トレによって心のクリーニング・クリアリングをした。
そして結局、そこで浄化した「未解決なココロの問題」の根本原因が、既述の個人セッションで「観たもの」に結局帰着していくことを感じ
一つ一つに納得せざるを得なかった。

7月。

先月の動きによって起きた「ココロの変容」が、確実に「カラダ」にも現れる。

最も変わったのは、声。

あれだけ霞み、こもっていた声は、より低くなり、けれど太く、ちゃんと”響く”ようになった。
それは自覚できることでもあり、他の人から指摘を受けるものでもあった。

また左の肩、左の表情(筋)は特に緩んだ自覚があり、楽になった。

そして、そんななかで参加した、出羽三山の修行体験。
それは決して「苦行」をベースにしたものではなく、「今ここで起きていること」に身を置き、それをただ感じてみる、という哲学的体験だった。

言葉を発さず、「外側からの教え」は存在せず。

”自分” という存在に「とどまり、感じる」こと。
過去や未来を「考える」ことばかりしている自分を離れる、ということ。

「考える」事を離れ、「感還る」こと。

・・・そんな「イマココ」へ ”戻ってくる” ための言霊が、羽黒修験にはあった。

それが、「うけたもう」。

今、自分の「外と内」に起きていることを、今「ただ受ける」こと。
それが、自分に安心を覚える唯一の道である事を教えてくれる、魔法の言葉だった。

そんな体験を通しながら。

「自分に還る」うえで、最も恐れていたことが、より明確になっていった。

それは
「イマココの自分に坐し、待つこと」。
「その”わからなさ”にとどまっていること」。
 

その「わからなさ」に問いを立て、解決しようとし続けることこそが「迷いと苦しみ」を生んでいたけれど
それを恐れたが故に止めることができないでいたのが、ようやくわかったのだ。

だからこそ、自分が恐れていた”そのこと”は、同時に自分が「最も望んでいた」ことだったのだ。

そしてその「Power of Patience」を実践したのが、この7月だった。

8月。

自分の人生に起き続けていた「そもそも論」の、自己の想像を超えた原点を観に行った、6月。

それを紐解いた中で現れた「最も恐れ、且つ最も望んでいたこと」を実践した、7月。

そして、8月。

・・・こうした「変容」の負荷を引き受けるかのように・・・

夏風邪を、ひいた。

でもその「夏風邪と称したもの」は、こうした「パラダイムシフト」と
そのたどり着いたものの「余りのシンプルさ」に愕然とした、「カラダの反応」であったように感じている。

だから、その「シンプルさ」に抗い続けた自分のココロとカラダに、その「新しい”それ”」をなじませるために、今一度・・・

「繭になる」必要があったのではないか。

少なくとも「カラダ」は、そう言っている。
 
 

そして、そのなかで、もう一つ。

・・・結局、自分の生き辛さを生む ”源因” というのは・・・たった一つしか、なかった。

それは

「気づけない」こと。

自分の人生に起きていたのは、ただ、これだけ。

ただこれだけのことが、「自分との不調和」を起こすのだ。

その「気づけない」ことで起きていた未完了の感情や、未解決の問題というのは、各論なのだ。

「気付けない」こと。
・・・そのただ一点が、人生問題を起こす、ただ一つの ”源因” だった。

そんなことに「気づいてしまった」、8月は。
「繭」に戻りながら、そのことへの”残念さ・悲しさ”を、ココロとカラダが ”しみじみと味わう” 月だったように感じた。

進んでいるかのようにして、留まり続けていたことに気づき。
留まり続けるかのようにして、進むことに気づく。
それらのことに「気づけなかった」ことに、気づく。
 

・・・そんな夏だった。
 
 
 
明日から、暦は秋。

また緩やかに、再起動していこう。
 
 
 
おしまい。

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