こころ・からだ ひとりごとココロとカラダ セッションを受けまくる日々 去年のいつごろからだったか、継続でのカウンセリングセッションを受けています。 この御時世なので対面ではなく、古典的な電話でのセッション方式。 電話をハンズフリーにし、傾聴してもらいます。 僕はただ安心・安全なセッション空間のなかで、考えすぎることもなければ、またカッコつけたりすることもなく自然体で話します。 そうや... 2021.02.07
こころ・からだ 自分に還るココロとカラダ気づく ようやくにして 「”僕” を始めた」1年が、終わろうとしている。 2020年。 それは僕にとって、一言で表すならば ようやくにして 「”僕” を始めた」1年 だった、と言える年でした。 ”僕の意識” を、始めた これまでの僕の人生を支え続けた一方、僕の心身に負荷をかけ続けたペルソナを破壊し、 その内奥にあった”僕の意識”に戻りました。 そこからもう一度、始めました... 2020.12.31
こころ・からだ 自分に還るひとりごと理性・感性ココロとカラダ 「至らなさの全て」を抱きしめてこそ、僕は「この1年を精一杯生きた」と、意宣り上げる。 2020年も、そろそろ終わり。 僕にとってこの1年は、まるでジェットコースターのように駆け抜けた1年でした。 この1年に名前をつけるなら、「怒涛」かな、と思います。 ちなみにこの「怒涛」には、コロナ禍はほとんど関係のないものでした。 新たな挑戦や変化への選択が矢継ぎ早に訪れ続け、それに対応し続けた1年でした。 ... 2020.12.30
こころ・からだ 今思えばひとりごとココロとカラダ 「音楽」という存在に救われ続けてきた、僕のカラダ。 僕の身体の底にある生き辛い体感覚・体反応と向き合うたび、思い知ることがあります。 それは、僕にとって「音楽は、僕のそんな体感覚・体反応を救い続けてきた存在だった」ということです。 音楽、特に 良い音楽というのは、聴覚だけでなく他の五感へも刺激を呼び起こします。 これはつまり、その五感を司る臓器である五”官”に伝... 2020.12.27
こころ・からだ 自分に還るひとりごとココロとカラダ 小さな小さなルーティーン ~自分のカラダにかける、ただ2つのことば~ あるときは、目覚めてすぐに。 あるときは、湯船の中で。 あるときは、風呂上がりのストレッチポールに乗りながら。 あるときは、寝る前、布団の中で。 ただ2種類の言葉を、自分のカラダに、かけます。 「大丈夫」。「ありがとう」。 「大丈夫」には、根拠をつけません。 「ありがとう」には、条件をつけません。... 2020.09.23
こころ・からだ ひとりごとココロとカラダ 改めて、今一度「自分のカラダと仲良くする、初心者」から。 前回の記事。 ・・・そんなこんなで、僕はようやく、「自分のカラダと仲良くする初心者」の位置にまで立ち戻ったのだと思います。 人生をブーストさせていくためのプロセス 「人生がブーストするプロセス」というのは、おそらく ①:「体感覚・体反応レベルでの”大丈夫感”」を”カラダ”に備えていく、「”身”理ステージ... 2020.09.20
こころ・からだ ひとりごとココロとカラダ 「半音下げ」は、疲れのサイン。 自分の体感覚・体反応に意識を向けるようになってからというもの、自分の からだ から 色々なメッセージや教えを 貰えるようになりました。 そして、最近気づいたこと。 音楽を聴く人・好きな人というのは、少なからず「脳内ミュージック」を体験したことがあると思います。 僕はどうも、からだが疲れている時に、その「... 2020.09.14
読む 読後感想ココロとカラダ 【読後感想】武田友紀さん著『「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる「繊細さん」の本』 武田友紀さん著 『「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる「繊細さん」の本』を読みました。 kindle版にて購入しました。 『「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる「繊細さん」の本』 (Amazon:単行本リンク) (Amazon:kindle版リンク) 「繊細さん」=HSP とは 本書での「繊細さん」とは... 2020.09.12
こころ・からだ 自分に還るココロとカラダ 「沈黙との対話」と「統合の代償」 この1年。 僕自身の生き辛さの正体が、心理ステージ以前の「身理ステージ」、つまり「自分が生きていること、そのものに対する”大丈夫感の無さ”」という「体の感覚そのもの」にあることがわかってから、以前に書いたこの記事の通り、自らの体感覚・体反応のケアを続けてきました。 そしてこれは、いわば「沈黙との対話」なのだというこ... 2020.07.23
こころ・からだ 自分に還るひとりごとココロとカラダ 本当の自分は結局、心の学びの”劣等生”だった 前回の記事の続きのような、今回の記事。 前回の記事を読んでくださった人の中には、その内容を「心の探求の果てにたどり着いた、ある種の境地」のように話してくださった人もいますが、自分の中では「とてもそのようなものではない」という感覚があります。」 自分の中では、むしろ心の学びからの「後退、撤退」という感覚です。 ... 2020.02.24
こころ・からだ 自分に還るココロとカラダ ”身”理へ、還る。 心の探求の果てに感得した、生きづらさの正体。 それは、心理的なものというより「自分が生きていること、そのものに対する”大丈夫感の無さ”」という「体の感覚そのもの」であったこと。 それと同時に感得したのは「こころ、というものは、『体感覚というマグマ』を比喩的に描写し、表現し、言語化したものであって、そのマグマから無尽蔵に... 2020.02.11
こころ・からだ ひとりごとココロとカラダ 「体感覚・体反応」という”地雷原” 久々のブログ更新。 そして、これがどれほど読む方に伝わるものなのか、また有益なのか、もはやわかりません。 自分にとっても意味のあるものなのかどうか・・・ アヤシイ表現ばかりに、なるかもしれません。 表現が小難しく仰々しいだけで、書いてあることは単純であるように思います。 ・・・わからないけど、それでも、書き... 2019.07.13