宿便投稿、出します。

よっちゃんです。
 
この夏にひと月ほど出かけた、何となくの、一人旅。
 
でも結局それは、「失感情・失体感」から抜け出すための、魂の巡礼旅になった。
 
ふと降りてくる、様々な気づき。
未解決のままだった感情との、出会い。
その奥にあった、自分の魂の願いのようなもの。
 
人生でとても重要な旅になりました。
 
なかでも、旅のはじめから苦しみ、どうにかしたい、と思ったものが、これ。

ジャッジ。

脳内ジャッジ、とでもいうべきか。
 
例えば、電車のなかで。
「あの人、あんなに股広げて座ってる...もう一人座れるのに。」とか。
 
雨の街中で。
「なんだよ、すれ違う時くらい傘を真横にしたらいいのに。」
 
会社で。
「もっとこうすればいいのに。私がやってあげたら、もっとうまくいくのに。」
 
これが、ジャッジ。
 
 
一人旅で、ひたすら自分と向き合うと、今まで以上に浮彫りになる。
浮彫りになって思うのは。
 
「辛い。邪魔くさい。やめたい!」なのだ。
 
なぜ、やめられないのだろう?
 
色々考えつつ、旅で得た気づきとミックスして自己診断した病名を、書いてみます。
 
(・・・形ある宿便投稿を、今のうちに出す。形無きビチグソになる前に。)
 

よっちゃんは「聖人病」だった。

一言で言ってしまうと、これだと思う!
 
ジャッジが止められないのは、それ相応の「尊大な自己イメージ」があるからこそ、なのだ。
 
あなたにはその方がより良いんだよ、と思ってしまう。
 
そんな教えを与えられる、と思っているから、ジャッジが思い浮かぶ。
 
そんな聖人君子な、自己因子がある。
 
「私は清い人。私は筋斗雲に乗れる。」...と、心のどこかで思っている。
 
・・・と思っている自分に、気づかない。って感じかなぁ。

筋斗雲、乗れませんから!

人にジャッジするくせに、よっちゃん汚いトコある!ケチクソ!狡猾!矛盾だらけ!などなど。
 
だからね、ジャッジする権利なんか、無い、筈なのだ。
 
でもやっちゃう。

では、この「聖人病」の背後にあるもの、仕組みは何なのだ。
 
次はそんな風に、考えた。

よっちゃんが考える”三大聖人病”とは

次の3つ。

① 全律戦肥大
 
② 腹部傲慢感
 
③ 死亡感

 
ダジャレかよ! ...確かにそうかも。
 
でも、半分は本気。
 
① 全律戦肥大
・・・これは読んで字の如し。
「全」てを「律」するための「戦」いの「肥大」。 ジャッジの本体、とでもいうべきもの。
自己の世界も、外側の世界も「自分の基準通りであるべき」という価値観が、ジャッジを生む。
自分にも厳しく、他人にも厳しい、が止められない。
これじゃあ苦しいのだ。
 
② 腹部傲慢感
・・・上記①を下支えしている、症状。
ジャッジをやめられない裏にある、自分はどこかで「尊大である」という思い。
聖人ぶっている腹の底で抱えている、実は傲慢な思い。  
例えば
○「私のことはいいから」という謙遜
→「私はあなたの事を信用していない」「あなたには私の本音を受け取る度量がないのよ」という傲慢な思いが、あったりする。
 
○「私が守ってあげなくちゃ」という義務感
→「あなたにはできない、弱い人」もしくは「あなたが挑戦し、失敗し、学び、成長する権利は無い」という傲慢な思いが、あったりする。
 
○「私はバカだから利用されるかもしれない」という恐怖心
→「私ってバカどころか、人に利用されうる能力の持ち主なの」「周りの人は、キレイな私を利用しうる汚い人」
という傲慢な思いを、隠し持っている。
 
腹の底にある「私は周りよりも尊大」。これが自他への厳しいジャッジへ向かわせる。
 
③ 死亡感
・・・①と②をやってばかりいると、やがて行きつくもの。
「こうあるべき」「こうあらねば」の世界に浸かりすぎて
良し悪し、善悪を抜きにした「生の感情」が無くなっていく。
そして、それが①②をさらに加速、循環させていく。
この無限ループの源。  

じゃあどうやってジャッジやめるの?

もう納得して、肚に落とすしかない。決めちゃう。
 
だって。
 
「人にジャッジするくせに、よっちゃん汚いトコある!ケチクソ!狡猾!矛盾だらけじゃん!」
「そんなよっちゃん、全然立派じゃないじゃん!自分も他人もジャッジする権利無いね!」
 
そして。

そうだそうだ、気付いたぞ!よっちゃんは超ちっぽけなのだ!

ちっぽけなくせに、偉そうに自分も他人もジャッジしてたのか、バカジャネーノ!
あぁ、バカだから、知らず知らずジャッジしてたのか!
ちっぽけイェーイ!
だからもう、わざわざ自他のためにジャッジしない!
余計なお世話する権利なんてないのだ!
だってみんな、こちらがジャッジしなくても自身でしっかり生きてるもん!

 

 
ちっぽけよっちゃん、ジャッジなんてポイっ!  

でも、すぐには止められないっす(笑)。

だってちっぽけだから。そんな物分かり良くないから。
 
でも、よっちゃんちっぽけだから、すぐにやめられなくてもOK!
しかも、ソトヅラはご立派にジャッジ止めた人ぶってもOK!

 
どっちでも、どれでもOK!  
ちっぽけよっちゃんは、もう「べきべきねばねば」とか「使命感」なんかを自分に課す価値なんてないのだ!
だって、ちっぽけだから。
 
ここまでいくと、もう。

ユルユルですわ。

ユルユル。
 
緩い。
 
ぼへへ~。

 
自分に対するハードルが、低い。
 
だから、失敗しても、怒られても、嫌われてもOK。許可出しちゃう。 
だって、よっちゃんちっぽけだから。

でも、本当はそんなのやだなぁ、と思ってる自分にもOK出しちゃう。
だって、よっちゃんちっぽけだから。
そう思っちゃいけない、などと執着を手放せる聖人じゃ、ないから。
 

自分へのハードルが低いと。

それを投影する「他人へのハードル」も、低くなる。
 
ここまでくると、随分楽です。
 
そして何より。

よっちゃんに接する人が、超ラクチンになります。

 
イェーイ!
 

誰でもいつでも、頭の中でできる ”ちっぽけになってジャッジを外すワーク”

これはもう、日常でいつでもできる。
 
よっちゃん毎日やってます。
  
ジャッジを脳内で捕捉したら、ワーク開始。
 
原因になってる傲慢さを見抜く。いや、ちっぽけだから見抜かなくてもOKにしちゃう。
 
ちっぽけな自分はジャッジなんてしなくていい。許可を出す。
 
でも、ジャッジしちゃってもいい。許可を出す。
 
全部、OKにする。
  
そんな感じでしょうか。
 
これからも自分に相談、しかも無料相談していくのだ!
 
 
最後に。
よっちゃんちっぽけだから、この記事が誰にも読まれなくてもOK!
でも、本当は読んでもらえたらいいなぁ、と思っちゃってもOK!
どっちでもOKなのだ!
イェーイ!

おすすめの記事