「心の学び」が引き寄せた?

よっちゃんです。
 
今通っているTLI講座。
自分の人生の主導権を自分に引き戻し、前へ進むために
心の「在り方」を整え、その上での「やり方」を学んでいます。
 
そんな学びをしているが故の、引き寄せなのか。

さぁ、お漏らし。今度はカーチャン。

「あなたが今何をしているのかが、よくわからない」。
「だから今のあなたのこと、どう人に説明していいのかわからないから私。お友達とのお茶会に出るのも辛いのよ。わかるでしょ?」
「私の老後の幸不幸は、あなたが私を心配させないで ”フツーに” ”ちゃんと” できるようになるかどうか、に懸かってるのよ?」
 
「あなたもう、大人なのよ?心配させないで。」
 
 
...カーチャン。
よっちゃんは今、自分の価値観に寄り添って、自分に必要だと思う学びをやっているよ。
よっちゃんは、職業じゃないよ。
よっちゃんは、資格じゃないよ。
よっちゃんは、肩書じゃないよ。
よっちゃんは、名刺じゃないよ。
でもそれじゃあ、ダメなんだよね。
受け入れられないんだよね。
 
ゴメンネ。
 
...とりあえず今は。
自分が生まれてきてしまった罪悪感と、怒りと、悲しみを。
無かったことにしないで、感じきってみよう。
 
無かったことにするの、よくないのだ。

「あなたのことが心配」「私を心配させないで」の真意。

「私はあなたのことが信じられない。」
「あなたが私に受け入れられるには、条件が要る。」

 
これだぁね。
 
そして、これが子供にもたらす最終到達点が

生まれてきてごめんなさい。生きててごめんなさい。

親の心配をクリアできない自分は、ダメだ。
親の提示する条件に合致しない自分は、愛されないんだ。
 
これに、到達する。
 
それを何とかするためには
 
「死ぬ」
 
のが一番いいのだけれど、それも怖いので。
 
生きたまま何とかしようとする。
 
それが

「自己否定」と、それに根差した「親忖度」。

例えば、オーソドックスなのが
「早く結婚して、私を安心させて!」とか。
 
これに対して健全な子供、自己受容ができる子供は、自分の「いやだ!」にOKを出せるので
「うるせーばか!」って言える。
もしくは「うるせーばか!」って思う自分にOKしながら、「ですよね~」って言えちゃう。
 
でも、そうでない子供は、なんとか親の思いを遂げようと頑張る。
 
「大好きな親に受け入れられたいから」。
 
そのために、したくない結婚をして生き辛い人生を歩み。
 
死んだまま、生きる。
 
死んだまま生きて、死ぬ。
 
そして、そんな子供を見て親は「私の心配」が無くなったことを喜んでいる。
 
...とまぁ。
親の「心配している」の末路は、そんな危険性を、はらんでいる。
 
しかし。
「あなたのことが心配」「私を心配させないで」の真意 には、その向こう側が、まだある。

「あなたのことが心配」「私を心配させないで」の真意、の真意。

「私は私のことが信じられない。」
「私が私を受け入れるには、条件が要る。」
 
これだぁね。
 

抑圧と、投影。

要は、その親自身が、自分を信用していない。自分を受容していない。
その”自己不信” の眼鏡で見る他人は、世界は。
自分のことを信じていないし、受容しているわけがないのだ。
 
そして。
  
自己信用、自己受容が進んでいないことによる、自己不安、恐れがある親は。
 
それを「無いこと」にしている親は。
 
自己信用、自己受容の道へ進もうとしている子供を見て。
 
我慢ならない。
許せない。
イライラする。
 
そして
 
うらやましい。
 
自分がない事にしているもの、見たくないものを、見せつけられるから。
 
そして、それを再び「見なくてすむ状態」へ押し戻すための心理操作が
 

「あなたのことが心配」「私を心配させないで」。

これ。
「心理的虐待」とまで表現している著書だって、あるのだ。
 

どこかで気づいた人が、止めないとね。

自己不信、自己受容が満たされていない親に、そうやって育てられると。
 
自己不信、自己受容が満たされていない子供が育つ。
 
自己不信、自己受容が満たされていない子供が、今度は親になって
 
...そーいうことなのだ。

家族連鎖。

その親も結局、自己不信、自己受容が満たされていない親に
 
育てられていた。
 
だから、そこに気づいた人が止めないと、この連鎖は止まらないのだ。

親が子供に対してナメ切っている、「子供の魔力」とは

親の忖度をし続けている子供を持っていると、子供からたまーに反発されたり、怪訝な顔をされた程度で
親の方は「自分達のことをナメている!」と簡単に反応してしまう。
 
でも、実はその裏には、子供の物凄いパワーが働いているわけで。
 
それは
 
子供が「自分の心をブチ殺す力」。
 
子供ってのは。
大好きな親の価値観を、感情を守るためだったら。
引き換えに自分の心をブチ殺すのなんて、超ーーーー簡単なわけです。 
そこになんの躊躇も、無いわけです。
 
だって。
それくらい親が大好きだから。大切だから。
 
「親の事をメている!」なんて過剰反応する親は、実は子供の深~い抑圧パワーに依存...しちゃってたりして。
 
でもね、逆も然り、なんだよね、やっぱり。↓↓

子供が親に対してナメ切っている、「親の魔力」とは

これはもう、よく言われてるやつ。
 
「自分を犠牲にしてでも子供を守りぬかんとする、親の愛情」。
 
ん?  
...これって、上に書いた「子供から親に対する魔力」と、同じだね。
 
なのにそれが「親」と「子」って立ち位置になると。
 
力入りすぎな親が「思いのミサイル」を打ち込む、という、「強制アプローチの愛情」。
それをなんとかせんとして、自分のスペースに「思いのミサイル」を貯蔵していくという、「抑圧アプローチの愛情」。
 
そういう構造になっちゃうのね。
 
で、その ”ミサイル貯蔵庫” が親になると、今度はその在庫を子供に打ち込むわけだ(笑)。
そりゃループするわな。
 
だからこそ、そこに気づいた人が「在庫一掃処分セール」をやらないとね。

自分が自分の価値観に寄り添って生きていくことの大切さ

親が子を心配する背後には。
 
...その親が子供だった時に、その親の心配を「分かってあげよう」とするあまり
自分のことを「分かってあげよう」とすることができなかった。
...それをやりきれなかった無念さが、あるのだと思う。
 
しかしその無念さを引き継いでいくことは、再び「自分のことが分かってあげられない子供」を育てることになっていく。
 
だからこそ。このループを断ち切るために。
 
「自分が自分の価値観に寄り添って生きていく」決断を、する必要があるのだ、と思う。
 
それがたとえ、親の理解を得られないものだとしても。
 
それが本当の自分自身に寄り添って生きる為なのだとしたら。
 
貫いていいのだ、と思う。
 
...それをやり切る事が出来なかった、親の分まで。

...というわけで、ちょっとだけ、実践。

よっちゃんは早速、今自分が取り組んでいる講座の紹介ウェブページを
プリントアウトし、両親に見せ、説明してみた。
 
自分自身の。また、見えないループでもある「わかってもらいたい!」という戦いを、手放すために。
 
「分かってもらうことに最善を尽くす」ことにした。
 
そして、これに加えて。
事後的に両親へ送信したメールが、あるわけですが。
 
それは次回お漏らし、ということで。
 
 
今日のところは、おしまい。

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