「思い込み」を解く薬もまた「思い込み」でいい?!

先日開催された、LPL認定セラピスト試験でのクライアント参加。

これによって、自分には「いわれのない自分攻撃すらも”自分の落ち度”を探し求めようとする」心のクセがあることがわかった。

そんな自分を振り返ってみると。

・・・これって要は、「被支配者マインド」というべきものではないか。

そして、この「被支配者マインド」をもって社会に出ると。

見事なまでに「使われ放題の”被支配”従業員マインド」で、仕事をし続けることになる。

覚えた違和感を抑え込んで、耐え忍び仕事をする。
反論を飲み込んで、指示通りに仕事をする。

自分の違和感、反論、感情を「覚えてもいい、それ自体悪くない、出してもいい」という許可を出せないまま
「自分以外の何かに従う」という構造の中で生きるようになる。

そしてこの「自分の違和感、反論、感情を ”覚えてもいい、それ自体悪くない、出してもいい” という許可が出せない」のは・・・

結局のところ、「自己否定」と、それに伴う「恐れ」なのだ。

人類の歴史は「支配者と被支配者の歴史」。被支配者側は「 ”被支配” の枠内に収まり続ける」ための「自己否定の伝言ゲーム」を”仕掛けられてきた” 可能性がある

私は無力だ。
私は恥ずべき存在だ。
私は嫌われる存在だ。
私は見捨てられる。
私は人を傷つける。・・・・などなど。

そうした「自己否定」は必ず、”外からのストローク” を受けることで生成される。

人々の尊厳ある”いのち”の力が、自らすすんでそのようなものを生成する・・・ことは、無いはずだ。

そしてその「外からの否定的ストローク」を発信できるのは、それを自身にインストールされている人。

そしてその「否定的ストロークの発信者」でさえ、自分がそんな発信をしていることに、気づいていない。

これぞ「思い込みの力」のなせる業・・・「思い込み」は、それ自体が「思い込みかどうかさえ気づいていないもの」を言うのだから。

そうして人々は、知らず知らず自らの「自己否定的思い込み」を発信し、受け入れ、傷つけあっている。

そんな「自己否定」の持つ、一番の ”魔力” は。

「その分だけ、自らの”命の持つ力”を、発揮できなくすること」だと思う。

自らの「生命エネルギーの発揮」を、そこそこのところで、留めさせる。

すると、そこに出来たスキマの分だけ・・・人は「何かに支配され、それを恐れて、生きる」ようになる。

集合的無意識、集合的自我(シャドウ)ともいうべき ”見えないクラウドサーバー” の力

そんな「自己否定の伝言ゲーム」は、今に始まったものではなく、
人類の歴史の時間軸において連綿と行われてきた 自己否定”観” なのだと思う。

そして・・・少々怪しく聞こえるかもしれないけれど、
世界には、そういった人々の無意識を集約した ”見えないクラウドサーバー” のようなものがある、という考え方がある。
それはユングの提唱した集合的無意識だったり、はたまた集合的自我(シャドウ)ともいわれるものに通ずる気がする。

身近な最小単位だと「意思疎通」や「以心伝心」、「共感の渦」といった ”心のつながり” といわれる現象が、これに当たると思う。

歴史の中で人々が相互にコミュニケーションを取り、それを通じて個々の価値観が生成され、またそれをもって人々がコミュニケーションを取り・・・
その繰り返しの中で ”見えないクラウドサーバー” にアップロードされ続けた ”私達の自己否定観” を、今の人々がダウンロードし、シェア(コミュニケーション)してしまう。
そしてその情報を受け取った人がその正しさを確認しようと、その ”見えないクラウドサーバー” にアクセスし、
「こんなにある!間違いない!」とクラウドデータを巡回しては、受け入れる。
その人が今度は、それを自分なりに咀嚼し、再びその ”見えないクラウドサーバー” に、私達の自己否定観情報を、アップする。

こうして ”見えないクラウドサーバー” による自己否定を歴史上シェアし続けてきた人々・・・
・・・そのことによって「ソコソコの生命力で生きるようセットアップされた人々」を

歴史上、「被支配者(側)」と、いうのだと思う。

そして歴史上の人類の殆どが、「被支配者側」の人間だ。

逆に、ほんの一部の「支配者層」の人々。
・・・彼らはなぜ、あんなにも徹底的に「血筋」にこだわったのか。

それはもしかしたら、彼らはその ”見えない自己否定クラウドサーバー” の存在を知っていて
そのために、被支配者側の人間という「見えないクラウドサーバーへの”アクセスポイント”」を徹底排除するためだったのかもしれない。
・・・と考えると、非常に面白い。

「被支配者」に対する「そこから出ないための仕掛け」は、そこらじゅうにある?

時間、物理を超えて生成された ”見えない自己否定クラウドサーバー” を共有し続ける、被支配者たち。

支配者側にとって、自分も含めた ”被支配者たち” は、そのサーバー情報のもと 支配者が手を下さずとも
勝手に、ひとりでに「自己否定をもって自己を規定」し、そこそこの生命力で「支配されてくれる」、ありがたい存在だ。

あとは、そこから彼らが出ないようにするだけ。

そして、そのための”仕掛け”は、そこかしこにありそうだ。

例えば、自分が受けた頃の「学校教育」が、まさにそうだったのかもしれない・・・
なぜなら、自分が学校で培った一番の能力は・・・

「やりたくないことを、努力と忍耐と根性で、我慢してやり抜く力」だったから。
時間通り行動させられ、誰もが同じ授業を受け、出された宿題をこなし、みんなと仲良くしなさいと言われ・・・
「そうしたくない」「イヤだ」をいかに抑圧して、言うことを聞いて「べきねば」をこなし続けるか、その力ばかり養われていった。

そして、その「べきねばをこなす」というアウトプットは、社会に入っても延々とつづく。

そうやって、「”何か”の言うことを聞き、”べきねば”をこなし続け」させ
「あななたちは、その枠から脱出する生命力が無いのだ」と、洗脳する。

もし誤ってそこから出てしまう人が出ようものなら。
・・・例えば学校では、そういった人を「サボリ」とか「不登校」と呼ぶ。

このワードはあくまで学校に「来させたい側」の作ったものだ。

でももしその「サボった」「学校に来なくなった」人が、それで幸せになったのだとしたら。
「サボリ」「不登校」というワードの放つ「来ない私はダメ、という自己否定」から自由になっただけなのだとしたら。

それは「学校はイヤだ、と思う自分はダメじゃない」という ”自分の感情、決断を肯定する生命力” を取り戻しただけなのかもしれない。
それはその人にとって「自主的進路変更」であり、ただの「登校洗脳からの脱出」なのかもしれないのだ。

インターネットの持つ「スピリチュアル性」が、「被支配者を解放する」?!

そうやって、被支配者が本来持っていた思考、表現、価値観の ”自由さに目覚める” 事を推進するツールが、今は存在する。

それが、インターネット。

世界中の人たちが一瞬にして、その思考、表現、価値観を共有できるようになってしまった。

そしてその流れはもはや、支配者側の人でさえ止めることができない。

こうして、既述した ”見えないクラウドサーバー” が、見事に「見える化」してしまったのだ。

そしてそのサーバーにはもはや ”見えないクラウドサーバーだったからこそ保たれた「自己否定観」”というカラクリが暴かれ
そこから自由になるための新しい情報、世界観が、どんどんアップロードされ続けている。
そしてそれがもはや「集合的無意識」ともいうべきレベルまで、深く人の心をつなげ始めている。

そう考えるとインターネットは、かなり「スピリチュアルなツール」であると言えるのではないか。

そもそも「スピリチュアル」とか「精神宇宙の追求」といったことが「胡散臭いもの」とされてきたのは
もしかしたら「被支配者がその大切さに気づき、自身の生命力を取り戻してしまったら・・・
・・・彼らを支配できなくなる!」から、だった可能性もあるのだ。

そうやって、インターネットには。

「心のあり方」の大切さに気づく情報が、沢山ある。
その見識を深める書籍やセミナーなどの情報も、ある。
それを手伝う対人支援職と、つながる事ができる。

思い込み、自己否定をクリアリングし、自分の生命力を取り戻すことができる。
その取り戻した生命力で生きられるコミュニティが存在することに、気づいてしまう。

もう「支配・被支配のトリック」から「降りても生きられる時代」であることに・・・気づいてしまう

それは、困る。

・・・今や益々見えにくくなった ”支配者側” の人たちが怖れるのは多分、被支配者からの「転覆・攻撃」ではない。

被支配者がその舞台・仕組みそのものから「降りてしまう」ことだ。

それはいわば、「無視」なのだ。

今はそうやって、「支配・被支配のトリック」からの ”脱出者” が、ジワジワと出てきている時代だと思う。
個を立てて、「支配・被支配」のヒエラルキー組織ではなく”ネットワーク型” でつながり生きている、いわば ”フリーランサー” が、その代表だろう。

自分の「思い込み・信じ込み」を「壮大な歴史トリックのせい」だと、「思いこんでみる」。

自分を生き辛くしている、自分を生きるための「本来の生命力を」抑え込んでいる自己否定、思い込み、信じ込み。

それを発見したならば。

既述したような「壮大な歴史トリックのせい」だと、「思いこんでみる」。

これまで”本当の自分”を騙してきた「自己否定」を、別の視点で「騙し討ち」する。

それだけで「あぁ、自分のせいじゃなかった」って、思えるかもしれない。

それによって「自己否定してきた自分を、否定しない」ようになるだけでも、相当に儲けもんだ。

それが「思い込み」を俯瞰し、「”もう突き崩してもいい”という許可」が出せるようになるための、第一歩になるかもしれないのだ。
 
 
おしまい。
 
 
 

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