ツナゲル ライフ インテグレーション講座ベーシック、第4講。

人生の主導権を自分に取り戻し、進むための「あり方」と「やり方」を統合するための、学び。
 
講義を重ねる毎に、深く、豊かになっていく。
 

「好き」「強み」「得意」に許可を出し、「ミッション」「ヴィジョン」につなげてみる

今回の個人プレゼンは「好き」「強み」「得意」と「ミッション」について。
 
この「好き」「強み」「得意」を発表するには。
 
これらが「自分にもあるのだ」「それを発表していいのだ」という事への
 
自分への ”許可” が必要になる。
 
ここへの壁として立ちはだかるのが
 
「被支配者的な無価値感、無力感」だ。
 
・・・「謙遜」「調和」の美徳や、学校教育などによる「忍耐」「努力」。
さらには「服従」「思考停止」への順応。
またこれらが脈々と習慣化されてきたことによる、価値観だ。
 

「被支配者的な価値観の連鎖・集約の中にいる自分」という、考え方をしてみる。

そしてこの「被支配者的な無価値感、無力感」を、自分単体だけでなく
”この自分自身に至るまでの代々の血筋の連鎖” というところまで考えを向けてみる。
 
すると、話は。
「支配者層」と「非支配者層」それぞれの、「価値観の連鎖・集積」が存在するのではというところまで、話が及んでいく。
この見えざる ”集団的価値観の地下水脈” を代々引き継ぎ、生存してきた ”末端としての自分” に、思いを馳せることになるのだ。
 
多くの人は歴史上、”被支配者側” である。
 
そしてこの「被支配者層が生存を懸けてきた価値観の集約」。
それを設定するメリットがあるのは、支配する側だ。
そしてその裏には、「被支配者が ”自分を生きる力” を身につけ、自分たちを超えてしまったら困る」という怖れがある。

インターネット情報革命と、 ”価値観の書き換え”

しかしインターネットの登場と、情報社会の影響力の不可逆性により
もはやその「張本人による企て」と「そのウソ」は、どんどん露見されるようになった。
 
学校や会社などでのヒエラルキー構造で「被支配者的価値観」に慣れすぎた自分のような世代は
情報社会の影響力による「被支配者的価値観の書き換え」を、ある程度 ”意識的に” 改革していく必要がある。
 
しかし今後は「ネットワーク型社会構造ネイティヴ」が登場するにつれ、この「被支配者DNA」は少しずつ上書きされていくのだろう。
 
...少々非現実的な事を書いたかもしれないけれど、無きにしもあらず、だと思う。

「好き」にアクセスし始めた人の、「理由がないゆえのパワフルさ」

そんな仮説もちょっと頭に入れつつ、 ”自分に許可を出し” て
個々の「好き」「強み」「得意」を発表し、その先の「ミッション」にまで話を繋いでいく。
 
そうやって自分の「好き」にアクセスし、発表している時の、仲間の

生き生きとした表情。

凄いと思った。
 
自分の「好き」「強み」「得意」を使って生きる。
 
”生きる自分” を、表に出す。
 
そんな思いにアクセスした時の、人の「生きる力」のパワフルさ。
 
まざまざと見た思いがした。
 
 
「好き」には、その理由がない。
 
理由がないゆえに、その「好き」自体を、何かをもって止めることが出来ない。
 
だから、それを抑止するには「表に出してはいけない」と設定するしかないのだ。
 
・・・もしかしたら、これが。
本当に「支配者層」が怖れる「被支配者層の ”自分を生きる力” 」・・・なのかもしれない、とさえ感じた。

そして、自分に対する最後の「支配者」は、自分自身。

だから、自分の「好き」「強み」「得意」に対する「許可の壁を突破すること」とは
自分自身に打ち勝つこと、なのだ。
 

「好き」「強み」「得意」で生きる ”自分になった” 想定から、「ヴィジョン」を覗いてみる

講座中のワークは、さらに深いところまで進んだ。
 
「好き」「強み」「得意」で生きる ”自分になった” というイメージにアクセスし 
その上で自分はいつまでに、どこで、何を、誰と、何のためにやっていくのか。
 
そんな「ヴィジョン」を、描いていく。
 
そんな「自分を生きる許可」を出すシミュレーションは
それこそ ”無意識に”、潜在意識へその種を蒔く。
 
それは 

「本当にやっても大丈夫なんだよ」、という種。

脳の出す「やるな!ろくなことにならないぞ!」の壁を乗り越え
魂の声に、力を貸す。そんなワークだった。
 

価値観の ”バウムクーヘン” を、突き破る

価値観を書き換えて、「自分を生きる」ステージを上げていく作業は 
内側からだけでなく、外側からインパクトを自分に与える方法もある。
 
例えば。
普段行かないような、グレードの高い飲食店やホテルを利用する。
グリーン車や、ファーストクラスに乗る。
 
「そんなものは浪費だ!」「背伸びするな!」という脳の声は一旦保留し
そうした体験を、自分にさせてみる。
 
そういった ”場” に、自分を置いてみる。
 
すると、そこにいるのは「無理のない自己価値観として、それをやっている人たち」だ。
 
自分が「ダメだ!」と思っていることに、無理なく許可を出している人たちは

より高い「価値観の階層」で生きている。

人間は同じ世界にいるようで、そのような「異なる価値観の階層」で生きている。
 
「見えないカースト」。
 
そしてそれを作っているのもまた、自分自身。
 
その階層は ”バウムクーヘン” の如く、世界の中で重なり合っている。
 
だからこそ、より良く「自分を生きる」ために
まずはお試しでいいから、その ”価値観のバウムクーヘン” を突き破ってみよう。
 
そして、自分に馴染ませてみよう。
 
馴染んできたらいつのまにか、そんな自分に抵抗が無くなっているから。 
 
...そんな提案と学びもあった。

毒になった ”理想という名の怪物” を突き破る、勇気。

今回も仲間の一人がクライアントとなり、そのカウンセリング公開セッションをシェアした。
 
そこで浮かび上がったのは、自身を苦しめる ”理想” という名の怪物、だった。
 
理想を追うというのは、ある意味では「なりたい自分」という夢、希望、モチベーションとなり
人生を前に進ませる。
 
しかしそれは一方で、「ああなれないダメな自分」という鏡となり、自身にジャブを打ち続ける ”怪物” となる。
 
そんな ”理想ちゃん” を突き破る、勇気の言葉。それが

「これでも私だ」。

優劣、善悪...様々なモノサシに頼らない、究極にして無敵の自己受容。
 
「自己肯定感」のさらに向こうにある、境地。
 
自分はこれを、こう呼ぼうと思った。

自己”ポンコツ”感 。

自己ポンコツ感をもって、毒になった理想を突き破る、勇気。
 
そしてまた。
そうやって溶かした理想の中に、実はずっと存在していた ”本当の願い” の、美しさ。
 
そんなものを目の当たりにし、自分にとっても気づきと癒やしの公開セッションとなった。
 

”生きる自分” で、”自分を生きる” 。

そのために、自分の持つ「好き」「強み」「得意」の源泉に発言権を与え、どんどん許可を出す。
 
魂に、力を貸す。
 
もういつまでも、「本当の自分」を、秘仏にしない。
 
「期間限定御開帳」も、必要ない。
 
 
目指すは

魂の「常時大開帳」。

仲間も、また自分も、そんな決意と ”魂の疼き” で溢れていった、第4講が終了した。
 
 
来月は、とうとう最終講。
 
今や友達として以上の ”同志” となった仲間とともに、精一杯 学びと気付きを得、
自身とそれを取り巻く世界に向けて実践していきたい。
 
 
 

--- 
最後に...アイキャッチ画像の、ソル先生。
講座後の片付け中でも、凛と ”自分を生きて” いらっしゃるのである。
 

おしまい。
 

おすすめの記事