断ってはいけない、キャンセルしていけない・・・気が変わっては、いけない。

この週末は関西へ遠征して、「ブログが書けないブログ会」で有名な(?)友人のブログ会へ参加。

そのまま翌日は神戸でのセッション自主トレに参加の予定だった。

でも、今回の自主トレの予定が近づくにつれ・・・

なぜだろう・・・
 
 
「なんか、”今じゃない”感じがする。」 
 
 
自主トレがやりたくないのではなく。

なんか、”今じゃない”感じが、する。

むーん・・・(-_-)・・・そんな気分。
 
 
LPLの仲間もいる前日のブログ会で、なんとなくそのことを話してみたところ・・・

気づいた。

この「むーん・・・(-_-)」の正体。その本質。

それは・・・
「気持ちが変化する自分」を受け入れず、それを「あってはいけないこと」にしているため、だった。
そして、そんな「気移り」「気まぐれ」に従って行動することを、「いけないことにしている」
のだ。

それが今回”自主トレについて”という案件を使って生じただけで。
本質は、そこではなかったのだ。

「気が変わってはいけない」という、ビリーフ。

・・・でも1人で旅する時なんか、割と「気まぐれ」で動けているはずだ。どういうことだ・・・

もう少し自分の内側を探る。

・・・そうか。その先に人間関係があり、「気が変わる」ことで態度・行動を変えると「人に迷惑を掛けるイメージ」になる。

それが「むーん・・・」となるようだ。

「気持ちの変化に従って態度や行動を変えると、人に迷惑をかける」。
・・・という、子ビリーフ(コーピング・ビリーフ)。

そして、この”子ビリーフ”の行き着く先は・・・
そうしない自分は ”見捨てられる” 、というコアビリーフだ。

でも、自分はこのコアビリーフの方は解体させているので、その”見捨てられ感”には、もう至らないのだけど。

子ビリーフによる「感情・行動面での自動反応」だけは、残っている。

しかし気づいた以上は、早速それが「ウソである」ことを腑に落としたい。
・・・というわけで、実際にその場で明日の自主トレを「気の移ろいに従ってキャンセルしてみる」という、”実地ワーク”。

そして、その結果として ”現実” からやってくるストロークは

「はい、了解!」「うん、えぇんちゃう」

だった。まぁ、そうだよなぁ・・・

「自分の感情を感じても良い」、第2フェーズ。

自分がかつてバーンアウトする直前、生まれて初めて「カウンセリングなるもの」を受けたとき
手に入れた”許可”が・・・

「私は自分の感情を感じてもいい」、というものだった。

・・・たったこれだけの事に、2時間 × 2回のセッションをかけなければならないくらい、その”ドア” は固かった。
でも、ずっと他人軸人生を生きてきた自分にとっては、その”たったそれだけの許可” が、まるで ”大革命” のようなものだったのだ。

そして、今。
その ”大革命” による権利は、自分の中で ”ごく普通のこと” として息づいている・・・

・・・はず、だったんだけど。

その”感じても良い感情”が「変わる」、というフェーズに対しては、深い許しを与えていなかったのだ。
 
 
「自分の感情を感じても良い」、第2フェーズ。 

「当初の感情から変わってもいい、気まぐれでもいい、気移りしてもいい。」

そこへの ”許し” が、自分にも。

そして他人にも・・・薄かったのだ。

確かにそうかもしれない・・・
実際、そうやって「感情が変わって、気まぐれで、それを行動態度に移して周囲を振り回す人」を、ジャッジしてきているし・・・

そして何より・・・

そうやっても結局みんなに好かれている人がキラキラして見えたし、その人たちを、羨ましがっていたのだから。

もうこのビリーフは、外しておきたい。

自主トレを「気の移ろいに従ってキャンセルしてみる」という、”実地ワーク”を、やってみて。

この実地ワークをやってみて、最初に出た自分の反応は。

あの「むーん・・・」な感情が、なくなったことだ。

そしてまた、明日の自主トレについては「行かないことにしたけど、行ってもいいかな」とさえ思っていた。

そして、気づく。

自分にとって大切だったのは、やはり。
「自分の気持ちの移ろいを大事にしてあげること」、そのものだったのだ。

だからこそ、それを大事にしてあげた瞬間、「自主トレに行くかどうか」という選択への縛りが無くなったのだと思う。

勿論ビジネスの場面などでは「やりたくなくなったから」などという”気まぐれでの方針変更”などは、ほぼ許されない。
(いや、これもまた”思い込み”だなぁ、きっと・・・) 
でもそういう時のストレスの元は、もしかしたら「やりたくない仕事そのもの」以上に「やりたくなくなったという”気持ちの変化を抑え込んでしまうこと”」なのかもしれない、と感じる。

なんかこれって・・・よく聞く「退職の意を伝えた後の方がスッキリした気持ちでガンガン働く」、みたいな”あるあるエピソード”を思い出すなぁ、と。

あれって結局は、「退職の意を伝えたこと自体のスッキリ感」もあるけど、それ以上に・・・
自分の中にある”もう疲れた、ウンザリ、もう嫌になった”という「気の移ろいを いけないことにせず、表明(許可)できた」ことによるスッキリ感、なのだろうなぁ。

実際、その「気持ちの部分」を大切にできた途端 退職自体どうでもよくなってしまって撤回し、何もなかったかのように働く人も中にはいる、というし・・・
 
 
・・・というわけで、明日の自主トレは「やっぱり行こうかな」とも思ったのだけど。

今回は実際に「キャンセルし”きってみる”」というのを、やってみることにした。

そんなことを思いながら京都のホテルにつき、意識が眠りに入ろうとしていた瞬間。
 
 
 
そこに関する、色んな”気付き”や”過去の感覚”が 数珠つなぎに降ってきたのだった。
 
 
 
・・・つづく。

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