先日の、LPL受講生同士でのカウンセリングセッション自主トレでのこと。

クライアントとしての主訴は
「”お前は足りない”とか”だからダメなんだ”的なストロークを人から受けると、カラダに反応が出る」というもの。
肩が重くなり、カラダが固まってしまうのだ。

最近うまいこと このストロークを受けることができ、この体反応を思い出すことができた。
 
 
 
早速、マインドフルネスの意識状態でその”言葉のストローク”をカウンセラーに肩代わりしてもらい、その感覚にとどまる。

「これ、何歳ごろから?」

・・・要は、ちっちゃい頃からの感覚なのだ。

「幼い頃の原風景」と「インナーチャイルド」

これはやはり、”評価・達成”バリバリな、父との関係が原風景になっていた。

自分はマインドフルな状態で目を閉じたままでいたこともあり
肚の位置に、いわゆる ”インナーチャイルド” が浮かび上がった。

カウンセリングセッションではよく、この ”インナーチャイルド” が出てくることがある。

いわゆる ”傷ついた、内なる子ども”。

人は大人になってもその”心の傷”を抱えて生きていて
そこには未だ癒えていない”未完了の感情”が張り付いている。

そして人は、その傷を、あの時のあの感情を ”二度と味わわないようにする” ために、”誓い” を立てる。

それが、その後の人生パターンを作る・・・いわゆるビリーフになるのだ。

「インナーチャイルドワーク」

そのままセッションは「インナーチャイルドワーク」へ。

肚に居る「子どもの自分」に会いに行く、潜在意識のイメージワークだ。

そしてそこには・・・
”何か”を追いかけて走り、疲れ、休んで、また走る・・・そんな”子どもの自分”がいた。

大人の自分がそこへ降りていき、背後から制止しようと試みるも、子供の自分は”走ること”を止めない。

とうとう無理やり制止し、こちらを振り向かせると・・・
 
 
泣いてた。 
 
グチャグチャだった。

そして彼を抱きかかえても、その宙に浮いた手足は ”走ること” を止めず、空を切り続けていた。

そのまま抱きかかえ、大人の自分が声をかけ、彼を落ち着かせていった。

「ほしかったもの」

子供の”彼”が、ほしかったもの。

それは・・・「何のジャッジもバイオレンスもない会話を、父とできる世界」だった。

そのためには、まずこの「足りない」「ダメ」という”階段”を、全て登り切る。
そうすれば、その先に、憧れの”安穏な会話の世界”が、あるはずだ。

そう思っていたのだった。

しかし、この「足りない」「ダメ」という”条件リスト”が減ることはない。むしろ、増え続ける。

子どもからしたら、もう ”大パニック” だったのだ。
 
 
”彼”の「ほしかったもの」。
”彼”の「悲しみ」。
 
・・・これらを味わい、穏やかさを取り戻した、子供の自分。

そして、そこに寄り添った ”大人の自分”。

そんなイメージワークから「子供の自分とお別れして、大人の自分がイマココに戻ってくるように・・・」と、カウンセラーのナビゲートが入る。

しかし、”大人の自分” はここで、ある ”自発的選択” をした。

”大人の自分” を、”彼と共に” いるよう、”置いてきた” のだ。
 
 
”彼”とつながり、”彼”と共に、これからを進む・・・

それが、自分の望むもの。
・・・自分はそのインスピレーションに、従ったのだ。

これがインナーチャイルドワークとして正しいのかどうかは、わからない。
でも自分がそのイメージを ”置いてきた” という選択については、今も満足している。
 
 
これでいい。
 
 

セッションを終えて

セッションを終えてしばらくしたときのこと。

・・・突然、とある光景が浮かんだ。

それは、あの「バーンアウトの瞬間」を、自分自身が俯瞰している光景だった。

出社前。
突然 自分の中に ”何か” が起きてしまって、涙が止まらなくなって、パニックになった、あの日の光景・・・

あれはまさに、先ほど会いに行った”内なる子どもの姿”と、全く同じだった。

親子の関係性が、その後の人生パターンを、規定する。
人生の歩み方の種は既に、幼き頃の時点で決められてしまっている。
 
 
・・・そのリアリティを、潜在意識レベルで体感した、重要なセッションだった。
 
 

おしまい。

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