「私はもう何者にもならなくていい」と「私はもう何をやって生きていってもいい」は、おそらく表裏一体

だ。

人が ”やりたいこと” をやって生きていこうとするとき。

その選んだ ”やりたいこと” の中に、何らかの ”モヤモヤ” を覚えることがある。

その違和感に、フォーカスしてみると。
・・・そこには「自分ではない何者か」になろうとするエネルギーが、くっついていたりする。

しかしそれは人の形をしておらず、巧妙に息を潜ませていることがほとんどだ。

”世間一般” とか ”普通は” とか。
はたまた、メディアの報道や、あの時の誰かのコメント欄。
そしてまた、いつかの時代のあなたにとっての上司や権威者、そして・・・

あなたの親の ”価値観の声” 、だったりする。

そして。
あなたの「やりたいこと」に「自分ではない何者か」を”リンク付け”してしまうもの、それは・・・

「そうあるべき」とか「そうあらねば」といった「マインド」だ。

そしてそのマインドを生む源泉は、そのマインドが持つ・・・

「恐れ・不安」の感覚

「そうしなければ、○○になる」という否定的予測の ”アクセスポイント” が
縦横無尽に自己の内部に張り巡らされているのだ。

そんな内側の世界に「やりたいこと」を放り込めば、自ずとその ”アクセスポイント” が
無意識の内にその「やりたいこと」にワラワラと絡みつき、たぐり寄せられてしまう。

そして、その ”他の何者かになろうとするアクセスポイント” を、「ビリーフ」と呼んだりする。

だからこそ、そのビリーフを探求し、「やりたいこと」に絡みつく余計なアクセスポイントの”ノイズ除去”に努めることは
真に「やりたいこと」の姿を掴むために大切になってくる。

その ”モヤモヤ” は、何か。
その「やりたいこと」のどんな側面に、「べき・ねば」が張り付いているのか。
その側面のもつ、どんな質感に「べき・ねば」が張り付いているのか。
 
さらに言えば。
その「べき・ねば」を生んでいる源泉は、私以外の「誰の声」なのか。 

・・・そんなことまで「意識化」できたとき、あなたのビリーフのクリアリングは深まっていく。

「他の何者でもない私」であることを、許していく

ビリーフのクリアリングとは、すなわち・・・
「他の何者かの声」がするアクセスポイントを、削ぎ落としていくこと。

それは、言い換えれば・・・
「他の何者でもない私」である自分を、許していく旅。

私は、他の何者にもならなくていい。 

そうやって余計なアクセスポイントを除去していくと、代わりに見えてくるのは

魂の、シルエット。

「他の何者でもない私」の、姿。

そして、同時に見えてくるもの、それは・・・

その「魂」とつながるための、”揺るがなかったアクセスポイント” だ。
 
 
「他の何者かになるためのアクセスポイント」によって見えなくなっていた、「封印された扉」。

それが見えた時。

あなたの中にこだましてきた ”世間一般” とか ”普通” といったものの声。
メディア報道や、あの時のコメント欄の声。
これまでの権威者の、価値観の声。

親の価値観の声。

それらすべての「他の何者かの声」から、解き放たれ・・・

「もう何者にもならなくていい私」に、還る。
「もう何をやって生きていってもいい私」に、還る。
 

・・・それらは、表裏一体。
 
 
そして、それゆえの静寂が、あなたを包む。

あなたは「ただの私」として「封印された扉」を開く。

そしてあなたは、その静寂の内において、ついに聴くことになるのだ。

魂の、声。

「もう何をやって生きていってもいい私」に還ることで
「もうこれしかない、という揺るがない私」が立ち現れる
、という・・・

美しき、皮肉。

しかしながら、「もう何をやって生きていってもいい私」に還ることによってこそ、
「もうこれしかない、という揺るがなさ」の中に・・・

しなやかな創造性” が、宿るのだろう。
 
 
探究の果てに、ようやく何を彫ってもいい木材を準備できた瞬間、
彫刻するシルエットが既に約束されていた事を、思い知る。

・・・”やりたいこと”をやって生きる旅は、そんな「美しき皮肉への旅」なのかもしれない。
 
そして、あなたのその旅路は、この世界であなたしか体験できないものだ。
 
だからこそ・・・
あなたが、「あなた自身」という視座からあなた自身を見た時。
「あなたが他の何者にもならないこと」「あなたがあなたの魂に還ること」は、あなたの「権利」だと言えよう。

しかし、あなたが「世界の全体性」という視座からあなた自身を見た時。
「あなたが他の何者にもならないこと」「あなたがあなたの魂に還ること」は・・・

あなたの「義務」であり「運命」なのかもしれない。

そしてそれを、大いなるものは・・・
 
 
「天命」、と呼ぶのかもしれないのだ。
 
 
 
 

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