
これまで記事の、続き。
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【2月の回顧録①】「燃え尽きストーリー」、再接近の ”兆し”?
【2月の回顧録②】”Lost Being” ~ 私とは、何か。
「燃え尽き直前」と同じ体感覚を察知したことに端を発した、自己探究。
・・・そのなかで降りてきた恐るべき気付き。
それは、まさに「私とは」という根幹に関わるものだった。
「私」とは、私・・・という”主体”ではなく、私が「提供できるもの」、つまり”客体”の方を「私である」と自己定義して生きていた感覚に、気づいたのだった。
「燃え尽き直前」と同じ体感覚が再燃しつつあることと、その探究から発見した、自己定義。
・・・これらを主訴として、LPL認定セラピストの辻元晶子さん(あこちゃん)の個人セッションを受けた。
辻元晶子さんのHP(ブログ)はこちら:癒しを超えて豊かな未来創造へ
個人セッションで見えてきたもの
※以下、人によっては例のごとく”アヤシイ”と感じる方もいるかと思いますが、ありのままを書きます。セラピストのあこちゃんに、これまでのいきさつを話すことで、自分の信念体系(ビリーフシステム)には「でき続けないと、いちゃいけない。(だからやりぬく)」という感覚、そして前提・観念が強固にあることがわかった。
そしてその信念体系と同一化していることによって、心身は常に「動転している」ことに気づいた。
「動転している」・・・それを言語化できたことで、はじめて「あぁ、動転しているんだ・・・この言葉がぴったりだ」と自認し、意識化することができた感覚があった。
次に、それが「いつから起きているのか」といったことも探るため、マインドフルネスの意識状態になり、潜在意識に眠る”過去を、見に行く”よう誘導してもらう。
マインドフルネスになり、意識が過去へと”沈んで”いく。
「”この動転している感じ”が、そもそも初めから起きている気がする」・・・そんなことに気づき、あこちゃんに話した。
その後は、真っ暗な状態が続くばかり。
・・・記憶や情景が、何も出てこない。
「??・・・僕はこのプロセスに、うまくコミットできていないのかな・・・??」
自分のイマココの体験を俯瞰している(もうひとりの)自分が、そんなふうに思い始めた、その時だった。
「誰かのお腹のなかに、自分が戻っていく・・・?!」
そして・・・
さっきまで”自分”だったこの身体は・・・自分では、なくなった。
僕は・・・母親に、なった。
そして・・・自分は、お腹の中にいる。
自分の体が母親で、ここ(おなか)には・・・。
小さな小さな、やっと手足が確認できる程度の小さな ”胎児の自分” が、いる。
母親としてこれを伝えている。
身体は、そわそわしている。
頭は「とにかくやんなきゃ」と、つぶやいている。
感情は、焦っている。
信念体系は・・・「役に立たないといけない、そうじゃないとこの家族は回らない。」
これが、母の意識だった。
「しかたがない、とにかくやるしかない」。
その母の感情は、ある種のあきらめではあるけれど、力がない感じではない。そう決めた感じ。そんな”母親の自分”がいる。
『胎児の自分は?』というセラピストの質問には・・・
同じく「やるしかない」、とつぶやく胎児の自分がいた。
母子を結んでいる”へその緒”から、その焦りの拍動を受けとること、インストールすることが、存在意義。
それによって、胎児である僕の身体は、初めから”ソワソワ”。
そんなことを感じていると、急に頭が「押される感じ、吸引され、ぎゅーっと圧迫」されている感じを覚えた。
『この状況の中にある、ほんとうのニーズは?』と、セラピスト。
「・・・自分じゃなくて、母がホッとしている状態。リラックス。・・・そして自分もそれを受け取ればいい、受け取りたかった。」
『胎児の自分がこの世に携えてきたエッセンスは?』に対しては・・・
それは・・・”ゆったりした感覚と見守る感覚”。「”今のまんまで大丈夫だよ”・・・それをゆっくり伝えること。」
・・・こうした「イマココ」の体験をし、マインドフルネスを解いて、自分の顕在意識の世界に、戻った。
「母子同一化」と「バーストラウマ」。
・・・僕がこのセッションで体験したテーマは、これだった。
「心の学び」をしていると「過去生」や「胎内記憶」に関心が深かったり、そのことを体験的に話す人に会ったりする。
僕はその感覚や記憶が全く無いし、感じ取らない人間だと思っていたから、そういうカテゴリーは「自分の管轄外」だと、確信していた。
・・・だって、科学的根拠があるかもわからないし、そもそも、めちゃくちゃアヤシイじゃん(笑)。
でも、今回「体験・体感」したものは、そういったものであったと、認めざるを得なかった。
「思い当たる節」。そして「実感と納得感」
母が既に持ってしまっていた、「やるしかない」「役に立たなければ」という、焦燥感などの感覚。
・・・それには、「思い当たる節」がある。
我が家は母の実父母と過ごす三世代同居、自営業。
そして祖父(母の父)は、かなり若くして脳に障害を負い、介護が必要な状態だった。
祖母は我が家のボスとして、仕事に加え僕の両親である娘夫婦にその全てをほぼ丸投げする、という「ボスマネジメント」を行っていた。
早くから・・・僕が生まれるとっくに前から「仕事」と「介護」に奔走し続けている、焦り。
・・・どこかで「やるしかない」と決めた瞬間とその焦燥感があって、当たり前だとしか言いようがない。
そして、この感覚を「へその緒」を介して「母子同一化」し、自分が胎内でその感覚をインストールしてしまった、という いわゆる「バーストラウマ」も、あって不思議ではないのかもしれない。
このセッションで僕が「体験・体感」したことのどこまでが事実と一致しているのか、それはわからない。
・・・でも、僕が「イマココでこれを体験・体感した」こと自体は、事実だ。
そしてそこから得られたことに「実感と納得感」がある。
・・・僕はそれを、ただ大切にすればいいだけだ。
最後に、このセッションでの体験を通して以下のようなアファメーション(潜在意識を書き換えるための、自分にかけてあげたい声掛け)をまとめ、このセッションのまとめ(着地)とした。
アファメーション:焦っている感じを焦ってなおそうとしない。焦りを上塗りしない。僕はこの人生を、落ち着きに向けてゆっくり着地する。
この状況におけるポジティブな側面:感情的安心感、調和、大事にする、される、支え、サポート、休息。
セッションを終えて
セッションを終えて、まず実感していたこと。
それは
「そりゃあ、無理もないわー・・・」
・・・潜在意識の世界の中で、僕はこの言葉を、掛け続けていた。
そしてこの言葉は・・・
「母と自分」、その両方にかけていた言葉だった。
「私=提供できるもの」という自己定義。
私=Doingである、という存在定義のもと、それが消えないようにという焦燥感と動転が、いつもどこかにあったまま過ごしていたこと。
その謎について、「訳がわかった」という納得感が、そこにはあった。
そして・・・
母は時折「私は何も自信がないの」などと言ったりすることがあるけれど、
母は母の戦いをやり抜いた、勇敢な人だと思う。それは父もまた、そうなのだ。
誰にとっても、そうなるだけの「無理もない状況」があって、家族の ”心の何か” は、連鎖してしまうのだ。
誰も、悪くない。
悪くないのなら、この「バーストラウマ」を・・・
「トラウマ」、という呼び方ではなく、自分の中でこう呼びたい。
「第0チャクラ」。
人間には体の中心、背骨の基底部から頭頂部にかけて7つのエネルギーセンターであるチャクラがあり、そこから外界とのエネルギー交換を行っている、という東洋的な考え方がある。そして各チャクラには、その内包する「成長のテーマ」がある。
その基底である「第1チャクラ」はまさに「自分のはじまり」に関するテーマで、一般には「誕生~幼少期」に関する成長テーマだ。
家族や集団、共同体の中で生きていくための、根本的な”在り方”のテーマで、それは一言で言えば「無条件の愛」に根ざした「自己への根源的な安心感」といったもの。
そんな世界観のなかに生きるための最重要課題は、やはり、親子との関係になってくる。
そんな「第1チャクラ」は、へその緒が切れた時から始まる、という考え方もあるようで。
・・・だから、今回のセッションで見たものを「第0チャクラ」と自分の中で呼んでみよう・・・そう思った。
第0チャクラの体験・体感・実感・・・あまりにも不思議で、貴重なものだった。
そういえば、このセッション会場へ来るための一つ前の最寄り駅は、かつて母の生まれ育った場所だったっけ・・・
・・・これも何かの暗示、虫の知らせだったのだろうか。
そして「もうひと仕事」ありそうだ
今回の個人セッションは、とても重要な自己探究に関するものだった。
そして、そこには「もうひと仕事ありそうだ」というのも、気づいた。
「私=Doing」だ、という根源的自己定義を「コアビリーフ」として、あらためて言語化すること。
その「コアビリーフ」を、リセットしていくこと。
・・・”でき続けないと、いちゃいけない。”
「僕は、いるだけではいちゃいけない存在だ。」
この核心的なビリーフを、リセットしていこう。
・・・そしてそのチャンスの日は図らずも、すぐ目の前に来ていたのだった。
つづく。